ゾフィー先生は、つづきからできますとわたしに言った
目がさめたとき、まだ揺れていた。
寝るところは動いていない。それなのに、からだのほうが揺れている。手を出して、板のふちをつかんだ。つかむと、止まった。
行きのときも、下りてから二日はこうだった。四日ぶんが、あとから来る。
寝るあいだ、板は上着の内がわに置いてある。出して、字のほうを上にした。線から上は、来たときのまま空いていない。下のところは、消さないままだ。
ミナは、もう起きていた。手は、まだ布のなかにある。手が出るまでは、炭を持たない。声はかけないで、上着を着た。
廊下へ出た。石は、はしのほうがまだ冷たい。まん中は、そうでもない。まえは、どっちも冷たかった。
上の段から、靴の音が下りてくる。いちばんはじめに下りていく子たちは、きょうも早い。名前は、いまも聞いていない。
外の音が、まえより近いところで鳴っている。戸をあけしめする音が、上のほうでも下のほうでもする。
屋根のはしから水が落ちるのは、もう見えなかった。落ちるものが、無くなったらしい。
下の広いところは、まだ人がすくない。はしのところに、荷が三つ置いてある。ふたつは知らない色で、まん中のがうちのだ。
うちのは、ふたの上に、ひもがもう一本かけてあった。かけたのは、わたしではない。
あれは、あとから、まとめて運ぶんだって。わたしのは、小さいほうだけだ。
机のところを通ったら、名前を呼ばれた。
「つむぎ」
「うん」
「持っていくものは、そこにまとめてある。あとは、昼すぎだ」
「うん」
「こっちの紙からは、もう抜いてある」
「ぬくの」
「抜いた」
その人は、次の紙をひらいて、こっちを見なくなった。
抜いたぶんが、どこへ行ったのかは、言わなかった。
いつもの時間に、廊下の奥へ行った。突き当りの戸は、あいたままになっている。いつもは、閉めてから始める。
床のまるいあとの上に、器が無い。あとだけが、まるく残っている。まるいあとのまん中には、欠けたところがある。器を置いていると、下になって見えない。
光は、床の途中までしか来ない。器が無いので、切れているところがよく分かる。
うしろの壁ぎわの机には、紙が置いたままになっていた。人はいない。
ゾフィー先生は、こっちの机のところに立っていた。机の上には、紙が何枚か重ねてある。いちばん上のは、まだ字が入っていない。
「器は、下げました」
「うん」
「きょうまで、と聞いています」
「うん」
「では、きょうは、お教えするものがありません」
「五つ目は」
「五つ目は、お教えする日が決まっています。きょうは、その日ではありません」
日にちのほうは、そこで止まった。
「四つ目までは、あなたのものです。手順のとおりにやれば、いつ来ても、おなじところから続きます。はじめから、やり直すことにはなりません」
「はじめからじゃないんだ」
「はい」
ゾフィー先生は、袖の内がわを指で一度おさえた。それから、手は下りたままになった。
「戸は、あけておいてください」
言われたとおりにして、外へ出た。
しまいまで、水のことは出てこなかった。
へやへ戻ると、ミナはもう書きはじめていた。机のはしに、紙が重ねてある。炭のにおいは、書いたばかりのほうが強い。
「つむぎ、板」
「うん」
上着の内がわから出して、渡した。ミナは受け取らないで、机のはしを指でさした。そこへ置いた。
ミナは、自分の紙を、板のとなりへひらいた。
「これ、なに」
「つむぎの」
紙は二枚あった。上のほうには、上から下まで字が入っている。そのならびに、見おぼえがあった。
まるくまわる字が、上の分かれた形のすぐ下に来ている。習った順番だと、そこには来ない字だ。そこへ入れたのは、わたしだ。
その下も、そのつぎも、板とおなじだった。しまいの行まで見た。
持っているところが、指のかたちに折れた。紙は、はしが波になると、もう戻らない。
手をひらいた。
「消すって言ったでしょ」
「言った」
「消したら、もう出てこないの。だから、消すまえに写したの。かえる日のまえの日。つむぎが荷を出してたときなの」
「さわらなかったよ」
「さわると、炭がこすれるの。だから、置いたまま写したの。こっちから見ると、さかさまでしょ。さかさまのほうが、かたちだけ見るから、まちがえないの。父さんが、そう言うの。分かった?」
「さかさま」
「さかさま。一回で写して、二回目に、抜けたところを入れたの。二回目で三つ出たの。だから、二回なの」
ミナの字は、いつも行のはじめがまっすぐに来る。この紙だけ、そうなっていない。
「行のはじめは、そろえてないの。つむぎの板とおなじにしたから。ならびを変えたら、つむぎのじゃなくなるでしょ」
「なくなる」
二枚目の上のほうには、数が入っていた。板のうらとおなじだ。右のはしは、板とおなじに空けてある。
「うらも見たの」
「見たよ。うら返さないと、しまいまで写せないでしょ。数のほうは、右を空けてあるの。だから、そこも空けたの。空いてるところも、おなじにしないと、おなじにならないでしょ」
「そうだね」
板の下のほうは、こすれてうすくなっていた。行きも帰りも上着の内がわへ入れていたのに、うすくなった。
「板の、下のほう、うすいの」
「うすくなるよ。炭だから。こっちのは、たたんでしまってあるから、うすくならないの。父さんの帳面も、古いほうがきれいなの」
「そうなんだ」
二枚目は、下のほうが書かれずに空いていた。
「ここ、書いていい」
「いいよ」
炭を借りた。持つと、はじめに持ってきたのより太い。
自分の名前を書いた。塾ではじめて書いたときより、棒が下まで行かないところで止まる。
書きおわると、ミナは紙を二つに折って、上着の内がわへ入れた。
「ここなら、波にならないの」
「そうだった」
板は、机のはしから取って、上着の内がわへ戻した。腹のところが、板の形に平たくなる。
へやを出るとき、ミナが先に荷のほうを持った。わたしのぶんは、そんなに重くない。
廊下で、エルマとすれちがった。
エルマは、わたしの荷のほうを見た。それから、足を止めた。
「もう、来ないの」
「こない」
「ふうん」
エルマは、上着のふちのところを指でつまんで、はなした。
「……つまらなくなる」
それだけ言って、階段のほうへ先に行った。
エルマの上着のふちは、廊下の暗いところへ入ると、光らなくなった。
階段は、下りるときのほうが、まん中のへこみがよく分かる。
下の広いところへ出ると、壁の紙のところには、だれもいなかった。下のはしのめくれは、まえのままだ。
字と数のへやの戸は、あいていた。板は、上の行から白くなっていく。ハンネスは、こっちを見なかった。
「あのさ」
まえに廊下で会った子だった。袖は、きょうもまくっている。
「あれ、しまいまで行った」
「うん」
「でも、止めるのが長い日があるの」
「長くなる日は、肩が上がってるよ。下げると、止めるのがみじかくなるの」
「かたね」
「かた」
「ありがとう」
その子は、上のほうへ上がっていった。
はしのところの荷は、朝と向きが変わっていない。うちのは、まん中のだ。あれは、あとで人が来る。
外の戸のところの石は、乾いていた。ここで靴の底をこする。きょうは、こすっても音がしなかった。
戸を出るところで、ミナが前のほうを持った。わたしは、うしろのはしを持つ。持つところが変わると、重さの来かたも変わる。段を下りたときとは、逆になった。
門の内がわの石は、一枚が大きい。歩くと、足音がうしろから返ってくる。荷を持っていると、返り方がちがう。
門までは、来た日に八十二歩だった。きょうは、そのとおりには歩けない。荷が右にあるので、左のほうが広くなる。
石の継ぎ目は、つま先が入らない。来た日から、そこは変わらない。上着の内がわの板が、歩くと腹のところで少しだけ動く。指で上から押さえた。押さえると、動かなくなる。
日は、門の柱の上のところまで来ている。下に、馬車が止まっているのが見えた。
馬のところに、人が一人立っている。手綱は持っていない。荷を上げるのは、まだあとらしい。
なかばまで来たところで、荷は、ミナのほうだけになった。取ろうとしたら、先に持ち上げられた。ミナは、門の手前で止まって、荷を石の上へ下ろした。
「つむぎのは、ぜんぶこっちにあるの。だから、そっちで無くしても、無くならないの。分かった?」




