戻らないと伝えた日に、俺が取った四つ目の条件
去年の夏に取った条件は、三つだった。
今度書くのも、三つになる。数を合わせたのではない。書き出して、そこまでだったというだけだ。
朝のうちに置き場を回った。袋の口の縄を締め直す。面はまた下がった。次に出す日で、たぶん終いになる。
霜は、日が上がるころには消える。壁の下の浮いたところへ土を足すのは女衆だ。俺は水を運んだついでに、囲いの下を埋めた。上を踏むと硬い。下はまだ湿っている。
娘が来て、埋めたところを足で二度踏んだ。
「わたしのも入らない?」
「入らん」
娘は踏んだところをもう一度踏んで、鶏のほうへ行った。
板は台に出したままにしてある。いちばん上は、着く日だ。着いてしまえば、用が済む。指の腹で押して、消した。板は、朝のうちは冷たい。
「けした」
娘が横から覗いた。土間の縁で足をこすってから、上がってきている。
「過ぎた日だ」
「もう、いらないの」
「うん。ここに、次のを書く」
消したところへ、名を書いた。つむぎ、と書いて、そこで炭を離した。離してから、その下を少しあけた。
あけたところの下へ、三つ書いた。学園へは戻らないこと。向こうに置いてあるものを、こちらへ戻すこと。行き帰りの人と入用は、行ったときと同じに主家が出すこと。
「なんて書いたの」
「つむぎのことだ」
娘は板の縁を指でなぞって、外へ出ていった。縁のところだけ、炭がつかない。手でよく持つところだからだ。
文乃は台の奥で紙を広げている。配る順番のところだけ、この冬で長くなった。
道は五日だ。向こうで二日か三日。帰りは一日短い。締めて十一日か十二日になる。ここを出て、ここへ戻るまでのぶんだ。
書いた三つは、どれも向こうがやることだ。こちらがやるのは、言うことだけになる。言う相手のほうは、こちらへ来る。
炭を戻した。指の側が黒い。
畑の道へ下りたところで、馬のにおいが来た。
風は下から上がってくる。汗と、濡れた革のにおいだ。においのほうが、先に来ている。凍っていたころは、においが飛ばなかった。
子供が二人、木屑を提げて坂を上がってきた。すれ違ってから、下のほうを見た。
村長が先で、うしろに使いの人がいる。馬は引いていた。乗ってはいない。
道のまん中は、踏むと沈む。はしのほうは硬い。馬も、そちらを歩かせている。
「連れてきた。下で待たせるのもなんだ」
「手間をかけました」
「上の三軒が起こしにかかっとる。見てくる」
村長は畑の道のほうへ折れて、上の段へ上がっていった。
上の段のほうで、土を起こす音がしはじめた。
「直さん」
俺は段を三つぶん下りて、そこで止まった。畑は、これから起こす。
使いの人の裾は濡れている。締まっていないところで、馬が跳ねたぶんだ。上着の肩から上は乾いていて、手袋は外していない。
道のはしへ寄って立った。俺のいるところより半歩下になる。
「送りの日が決まりました。四日のちでございます。ここを出て、向こうへ着くまでは、行きと同じに見ております」
「五日ですね」
「五日でございます」
板に書いた三つのうち、はじめの一つでいい。あとは、それに付いてくる。
板は家に置いてきた。書いたぶんは、頭に入っている。この人は、俺の言うことを運ぶ役だ。運んだぶんは、そのままの形で向こうへ着く。去年の夏も、そうだった。
「その前に、こちらから申し上げます」
相手は、そこで待った。手綱を持った腕は、下げたままだ。
「つむぎは、学園をやめます。本人が、そう言いました」
ローレンツは、馬の口のあたりへ手をやった。手袋のまま、そこへ置いていた。馬は動かなかった。
「承りました。先に申し上げておくことがございます」
「枠でまいりました四人は、いまも続いております。途中でお帰りになった方は、おりません」
言い方は、送りの日を言ったときと変わらない。惜しむでもなく、確かめ直すでもない。持ってきたぶんだけが、出てくる。
「書いてございますことは、書いてございますとおりに運びます。三枚目の、下のところでございます」
去年の夏に、この人が書き足したところだ。村長が、よく書かせたな、と言った。書かせたぶんが、いま動く。
「お帰りの支度は、こちらでいたします」
「置いてあるものと、行き帰りの人は」
「まとめて運びます。行き帰りは、行きと同じに出します。そこも書いてございます」
馬が道のわきの草へ口をやった。草は、まだ短い。
板の三つは、これで済んだ。こちらが足す前に、向こうに用意がある。
「一度、向こうへ戻します。挨拶をしておきたい相手が、いるそうです」
「承ります。送りは、そのままお使いください。お戻りの日は、こちらで立てます」
「何日になりますか」
「向こうにおいでになるのは、二日と見ております。お帰りは、四日でございます」
干し場の竿には、娘の上着が掛けてある。丈を足す前に、いちど洗った。乾くのに、まる一日かかった。日が回るのは、竿の下までだ。
結ぶ先が無ければ、条件は足せない。冬は、そうだった。言ったことは、この人から先へ行かなかった。
いまは、足す先が目の前にある。足したぶんは、この人が持って帰る。持って帰れば、向こうで紙になる。
「訊きたいことがあります」
「はい」
「会いたいと言われた方からは、その後、何か」
「お返事は、ございません」
馬が耳を後ろへ倒した。頭が動いて、口のところの金具が鳴った。
使いの人は、そちらを見なかった。
何も来ていない、ということだけが、こちらにある。それは、紙にならない。
下のほうで、桶を石へ置く音がした。井戸だ。この時分は、上の段の女衆が回る。北のはずれの二軒だけは、いまも俺が上げている。
「もう一つ、書いておきます。これから訊く人があっても、できることを答えないのは、いままでと同じで」
「同じでございます。家のことは、外へは出ません。決まっておりますので、書き足すまでもございません」
「書いておきます」
「お書きください」
断るために書くのではない。書いてあれば、次に来た者へ見せられる。見せるものが無いと、はじめから話すことになる。
訊くことは、これで仕舞いだ。あとは、こちらが書くほうへ回る。
ローレンツは手綱を持ち直した。鞍には手をかけない。
「下まで引いてまいります。道が締まっておりませんので」
馬は坂のはしのほうを下りていった。あの子が上がってきたのと、同じ側だ。人の足なら、まん中でも下りられる。荷のあるものは、そうはいかない。
風の向きが変わって、においが薄くなった。それでも、道の上にはしばらく残っていた。
夕に、板を台へ出した。窓の下は、布をはずしたぶんだけ明るい。
文乃は束から一枚抜いて、字のあるほうを下にして、俺のほうへ滑らせた。書きそこないの裏だ。
出してあった椀は、書くあいだだけ向こうへ寄せる。寄せると、板と紙が両方置ける。
「一枚でいい」
「……足りなかったら、言って」
炭は、書くほうへ寝かせて持つ。立てて持つと、先が早く減る。
板から写した。書き出しをそろえるのに、はじめの一つで幅を取る。あとは、それに合わせる。板の字は大きい。紙へ移すと、同じことが短くおさまる。
三つ写して、下にもう一つ足した。四つになった。四つ目は、板には無い。畑の道で、俺が足したぶんだ。
書きおえて、文乃のほうへ回した。村長にも、使いの人にも、まだ見せていない。
文乃は台のはしで受けて、上から読んだ。読むあいだ、炭は持ったままだった。読みおえても、置かなかった。
「……去年は、三つだったわね」
「三つだった」
「……来年は、五つになっているかもしれない」
「増やさん」
「……どうかしら」
文乃は笑わなかった。紙を台へ戻してから、口の端だけが動いた。
それから、指で下のほうを押さえた。
「……ここ、あいてる」
「あけておいた」
「……なにを書くの」
「日だ」
写しは、あとで一枚書く。渡すほうは、送りの人に持たせる。こっちに置くほうは、俺が持つ。板の下ではなく、土間へ回す。軒の下は、まだ湿る。
次に人が来たら、こっちの一枚を出す。読んでもらえば、それで済む。
文乃は炭を置いて、自分の束のほうへ手をやった。冬の日を書きつけた紙は、下のほうにある。印の付いた日は、もう過ぎた。
外で声がした。娘が鶏を追っている。声は、囲いのほうから干し場のほうへ動いていった。
帰りの日づけを、条件のいちばん下に書き足した。




