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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第九章 早春、道をえらぶ

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わたしの椀が先で、おかあさんのは、そのまま

 坂の下まで来ると、音が上から下りてきた。

 はじめは、一つだった。鶏だ。そのあとに、木を叩く音が重なった。二つ鳴って、あいだがあいて、また二つ鳴る。屋根の上でやっている音だ。

 音は、あっちからも、こっちからも来る。上の段のほうと、下の家のほうと、両方から来て、途中でいっしょになる。いっしょになっても、どっちがどっちだか分かる。

 立って聞いていたら、荷が腕から下がってきた。持ちかえて、肩へ載せた。載せると、耳のところが荷でふさがって、音が片方だけになった。

 坂のまん中は、踏むと足のさきが沈んで、そこで止まる。はしのほうは、まだかたい。

 はしを歩いた。はしのほうがかたいと、ミナに言ったのは、わたしだ。

「つむぎちゃん」

 声は、下の家の裏から来た。おばさんは、そっちから回って出てきた。

「もう上がってきたのかい。門のとこで下りたんだろ」

「うん」

「けさから、あんたのおとうさんが二回下りてきたよ」

「なにしに」

「下を見にさ。門のほうを見て、それから上がっていくんだよ」

「二回とも?」

「二回ともさ」

 おばさんは、干し場のほうへ戻っていった。濡れた布を、竿の上へ広げていく。竿の下の土は、そこだけ色が濃い。朝にも干したらしい。

 上の段まで上がった。うちの戸は閉まっている。となりの戸は、あいたままだ。

 おとうさんが、戸口から出てきた。こっちへ来て、片方の手を上げた。

 上げた手は、わたしの頭のところまで来て、止まった。それから、下りて、荷のほうへ行った。

「持てるよ」

「知ってる」

 おとうさんは、荷を片手で持ち上げて、もう片方の手へ移した。移してから、先に中へ入った。


 戸を閉めると、外の音が半分になった。

 においは、戸のところまで出てきていた。豆と、麦のにおいだ。竈の上で、鍋の蓋が、はしのほうだけ動いている。

 鍋の下の火は、細い枝が二本入っている。強くしないで、そのままにしてある。

 おかあさんは、台の前にいた。前掛けで手を拭いて、それから鍋のほうへ戻った。戻ってから、もう一度こっちを見た。

「……思っていたより、早かったみたい」

「雨、降らなかったの。四日だったよ」

「……四日」

「行くときとおなじ。宿は三回」

 おかあさんは、椀を二つ出した。わたしのを、先に取った。

 鍋から入れて、いちど手を止めて、それから、もう一杯ぶん足した。足してから、また足した。

 汁は、椀のふちのところまで来た。持ち上げたら、こぼれる。

「おかあさん、それ、」

 言うより先に、笑うほうが出た。声は、土間の奥まで行った。

 おとうさんが、荷を下ろす手を止めて、顔を上げた。

「……こぼれるわね」

「こぼれる」

「……でも、足りないよりいいでしょう」

「いいけど、持てないよ」

 椀は、台に置いたままにして、口をつけて、上のほうから先に飲んだ。減ってから、持ち上げた。両手で持つと、指のあいだから熱が上がってくる。

 湯気は、まっすぐ上に出る。息を吹くと、横へ流れて、すぐ戻ってくる。二回吹いてから、口へ入れた。

 吸うと、においが鼻の奥まで入ってくる。飲みこんだあとも、そこにだけ残っている。

 豆は、はじめが硬い。噛むと、まん中がやわらかくなって、皮のところだけ、あとまで残る。六回で無くなった。

 麦のほうは、噛むと口の中でばらける。三回だ。

 おかあさんは、自分の椀にも入れた。入れてから、台のはしの紙のところへ行った。椀は、そのままになった。

「鶏、いる?」

「いる。三羽ともいる」

「いちばん小さいの、まだいちばん強い?」

「強い」

「囲い、朝あける?」

「朝あけて、夕方に入れる。このあいだ、いちばん小さいのが、あける前に外にいた」

「どこから出たの」

「分からん。いま、そこを探してる」

 おとうさんは、椀を持ったまま、飲まずにいた。わたしのほうを見てから、飲んだ。

「あのね、ミナっていう子がいるの。おなじへやなの」

「聞いてる」

「ミナはね、順番に、さいごまで言うの。とちゅうで止まらないの。わたしが分かっても、もういっかい言うの。分かった? って、あとで訊くの」

「そうか」

「荷はね、二人で下ろしたんだよ。段で、角があたるの。上のほうがミナで、下がわたしなの」

「下のほうが重い」

「重かった。とちゅうでミナが持ちかえて、そのとき、いっぺんに下りてきたの」

「そういうもんだ」

「あとね、荷のうしろ、空けてきたの。村から持っていくのを入れるところなの」

 おかあさんが、紙のところから振り向いた。

「……持っていくの」

「うん。空けておくといいって、ミナが言ったの」

 おかあさんは、前掛けの結び目を、いちど直した。それから台へ戻って、自分の椀を持ち上げた。湯気は、もう出ていない。


 食べおわってから、小さい器を取って、鍋のを入れた。上のほうは、すこし空けておいた。

 おかあさんは、それを見ていた。台のはしの布を、一枚こっちへ寄せた。

 布をかけると、はしが器のふちより下まで来た。持つと、下のほうだけ温かい。

「行ってくる」

「……暗くなる前にね」

「うん」

 外へ出たら、風が出ていた。坂の下のほうから、上がってくる風だ。上着の前を留めた。

 うちの戸は、下を持ち上げてから押した。中は、外より冷たい。足のうらから、先に来る。

 土間の奥で、布のこすれる音がした。

「サナ」

 サナは、戸のがわに座っていた。いつものところだ。

 器を、床へ置いた。布を取ると、湯気は、もう見えなかった。持ってくるあいだに、下のほうから冷めていったらしい。

 サナは、器を持って、食べはじめた。食べているあいだ、こっちは見ない。

 サナの上着は、冬のときとおなじものだ。下の家のおじさんは、ひるま、上着を着ていなかった。

「あのね、坂のまん中、やわらかくなってたよ。踏むと、足がめりこむの」

「ゆるんだ」

「ゆるんだ。だから、はしのほうを歩いてきたの」

 そのあとは、なにも言わなかった。

「馬車は四日だったよ。雨だと五日になるんだって。かえりも、雨だと日が動くの」

「へやはね、二人なの。机も、二人で一つなの。ミナは、書くまえに、手を布であたためるの」

「おかあさんが、汁を入れすぎたの。ふちのところまで来ちゃって、持てなくなったの」

 サナは、器を床へ置いた。底が、こつん、と鳴った。

 立って、わたしの横を通って、戸のほうへ行った。

 あいているあいだだけ、外の音が入ってきた。閉まると、また風だけになった。


 器を棚へ上げた。棚のいちばん上まで、手はとどく。

 踏み台は、いまも棚の下にある。まえは、あれに乗って、器を手前から押して、奥へすべらせていた。押しすぎると、向こうがわへ落ちる。

 落として割ったことが、二回ある。二回目のときは、かけらを外へ持っていって、土のやわらかいところへ埋めた。埋めてから、上を足で踏んで平らにした。掘り返したことは、いちどもない。

 いまは、乗らなくてもとどく。手を上げると、肩のところが、上着の中でつっぱる。

 棚の上の面を指でなぞると、土がついた。冬のあいだ、ここで上げ下ろしをした人がいないからだ。

 上着のはしでこすった。こすったところだけ、木の色がちがう。


 外へ出て、戸を閉めた。下を持ち上げて、はまるところではめた。はまると、上のはしのすきまが、まっすぐになる。

 段の上のほうにだけ、日が当たっている。当たっているところは、上から細くなっていく。

 木を叩く音は、もう鳴っていない。屋根の上にいた人は、下りたらしい。

 下のほうで、囲いの戸を下ろす音がした。すこししてから、遠くで、おなじ音がもう一つ鳴った。

 来たときは、音がふえていった。いまは、ひとつずつ減っていく。

 さいごまで残ったのは、風の音だった。


 となりの戸をあけたら、湯気が顔にあたった。

 中は、出ていったときより明るい。あかりが、台のところへ寄せてある。

 おかあさんが、鍋を火のところへ戻していた。

「……冷めてしまったから」

「まだあったの」

「……つむぎのが、まだ半分あるでしょう」

「ある」

 おとうさんは、寝るところの布を出していた。出してから、竈の火を、灰のほうへ寄せた。

「上着、明日出しておけ。丈を足す」

「みじかい?」

「みじかい」

「わかった」

 おかあさんが、椀を出した。こんどは、上のほうが空いている。持ち上げても、こぼれない。

「これなら持てる」

「……そうね」

 湯気が、まっすぐ立った。

 息を吹こうとして、やめた。

 そのまま、口をつけた。

 くちのなかが、あつかった。


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