つぎで五つ目だと言われて、わたしは荷をつくった
「つぎは、五つ目です」
廊下の突き当りのへやで、ゾフィー先生がそう言った。戸は、もう閉めてある。
靴のなかで、足の指が曲がった。曲がったまま、しばらく戻らなかった。
「よくできています。四つ目は、毎日おなじところに置けています」
「五つ目って、なに」
「五つ目です。ことばは、言う日にお教えします」
「いつ」
「四つ目が、あと何日かおなじだったら、その日です」
何日か、とだけ言った。数は言わなかった。
座るところは、きょうも戸からいちばん遠い、床のまるいあとの前だった。器は、そのまん中に来ている。ゾフィー先生は、手前に立ったままだ。
息を入れてから、四つ言った。手は、そのあとで出した。
水の面は、指の一本ぶんだけ上がる。細くはならない。上がって、そこで置いたようになる。
「はい。いまのは、四つ目のおしまいが置ききれていません。置ききらないうちにやめると、そこが空きます」
「あくと、どうなるの」
「空いたところは、あとから埋められません。もう一度、しまいまで置いてください」
言い直した。おなじだけ上がった。そのつぎも、おなじだった。
廊下のほうを、足音がいくつも通っていった。通りきってからも、まだ言っていた。
ふちの下まで行くには、これを何回も続ける。何回続けたかは、あとになると分からなくなる。
床についた手が、いつのまにか冷たくなっていた。手のひらのまん中だけ、離しても石の形がついている。
「はい。きょうのぶんは、おわりです」
立つと、上着の下の板が、腹のところで下へずれていた。上着の上から押して、もとの高さに戻した。
戸をあけた。廊下は、もうだれも通っていない。
下の広いところへ下りた。人は、朝より少ない。
戸をあけたままにしてあるへやが、はしにある。まえは、閉まっていた。あけたところから、風が下りてくる。
中までは見えない。声だけが出てくる。ひとりぶんずつ、あいだをあけて出てくる。
どの声も、しまいのところで高くなる。高くなって、すぐやむ。
高くなるまでのあいだは、子によってちがう。長いのがあって、そのつぎのは短い。短いほうが、二回続いた。
もう一度、長いのが来た。そのあとは、途切れた。
わたしのは、高くならないところで終わる。
つぎの日、字と数がおわって下りていくと、机の人が紙から顔を上げた。手のひらを、こっちへ向けた。
止まった。
机の上の紙は、二つに分けて置いてある。片方だけ、上に石が載せてある。
「三日あとだ」
「なに」
「村へ帰る日だ。朝、下で待つこと。馬車が来る」
「うん」
「荷は、前の晩のうちに下へ下ろしておくこと」
「もどるのは、いつ」
「そっちで言われる」
その人は、もう次の紙をひらいた。ひらいてからは、こっちを見なかった。
下の広いところを走った。階段は、二段ずつ上がった。走ると、上着のなかで板が鳴った。
へやへ入ると、ミナは机の前にいた。書きかけの紙が、一枚出ている。字は、はしまで行ってから折り返す。わたしの板より、行と行のあいだがせまい。
「言われた」
「なにを」
「かえる日。三日あと」
「それと、つぎで五つ目だって」
「なにが」
「ことば。四つまでもらってて、あと一つなの」
「そう。……荷、出して」
ミナは、炭を置いて、立った。紙のほうではなくて、先に荷のところへ行った。
「まだ、はやいよ」
「はやくないの。三日って、二日しかないの。あしたと、あさって。さいごの日は、朝に出るから入らないでしょ。いい?」
「いい」
わたしが出すまえに、ミナが手を入れていた。上から順に出して、寝るところの上へ置いていく。かたいものと、やわらかいものを、離して置いた。
からになった荷の中は、しめった木のにおいがした。底には、来たときの布が敷いたままになっている。はしのところが、少しめくれていた。
「言い忘れてたことがあるの」
「まだあるんだ」
「あるよ。ひもね、はしを二回まわしてから結ぶの。一回だと、ゆれるとゆるむの。ゆるむと、ふたが浮くの。浮くと、中のが動いて、下のがつぶれるでしょ。分かった?」
「まわしてから、結ぶ」
ミナは、自分の荷のひもでやってみせた。二回まわして、結んで、引いた。引いても、ほどけなかった。
「それとね、かけるところは、ふたのまん中じゃないの。はしのほうなの。まん中だと、あけるたびにほどくことになるの」
「あけるの?」
「あけるよ。道でぬれたら、上のを入れかえるの。父さんが、市の帰りにそうするの」
「つむぎのうちは、坂の上なの」
「上。井戸のところから、まだ上がるの。畑が段になってて、そのいちばん上。あのね、上がるとき、まん中を歩くと足がとられるの。はしのほうがかたいの。おとうさんが、そっちを歩くから」
「かたいほうを歩くの。うちの父さんも、市の道でそう言うの。荷を引くときは、わだちの外なの」
板は、上着から出して、寝るところへ置いてあった。ミナが、それを取った。
「消した?」
「まだ」
「じゃあ、いい」
ミナは、板を机のはしへ置いて、自分の紙をそのとなりに広げた。それから、炭を持った。
「なにしてるの」
「書くの」
炭の音は、切れたり続いたりした。続く音は短い。切れているときのほうが長い。そのあいだ、ミナの目は板のほうへ行っている。
ミナの手は、書くあいだ、いちども板にさわらなかった。板は、机のはしに置いたままだった。
わたしは、出したものを入れる順に置き直していた。かたいほうを先に、と言われたからだ。かたいほうは、持つと角が手にあたる。やわらかいほうは、たたむたびに厚みがちがう。
「つむぎ、いちばんうしろ、空けた?」
「あけた」
「そこね、道でなにか買っても入るの。うちの父さんは、市から帰るとき、そこへ入れるの。空けておくと、荷を二つにしなくていいの」
書きながら、そう言った。書いているあいだも、口は止まらなかった。
板は、あとで返ってきた。上と下が、さかさまになっていた。
三日目の晩に、荷を閉じた。
入れる順は、ミナの言ったとおりにした。一度ぜんぶ入れて、出して、入れ直した。二度目は、上から手で押さえると、ふたのところに指が二本ぶん空いた。
布は、たたむと厚みが二つぶんになる。炭は、そのあいだへ入れた。いちばんうしろは、空けたままにした。手を入れると、指のさきが底の布にあたる。
板は、いちばん上に置いた。ミナが、そう言っていたからだ。
置いてから、ふたに手をかけた。かけたところで、手が止まった。
荷のなかは、上から押される。押されたところは、こすれる。炭で書いたものは、こすれば取れる。
紙を荷へ入れないほうがいいと、ミナは言った。荷のなかで、かたちが変わるからだ。
板は、かたちは変わらない。変わるのは、字のほうだ。
板を取り出して、上着の下へはさんだ。いつもはさんでいるところだ。それから、ふたを下ろした。
ひもは、はしを二回まわして結んだ。かけたのは、ふたのはしのほうだ。引いた。ゆるまなかった。
「つむぎ、下ろそう。二人で持つの。段のところで、角がぶつかるの。ぶつかると、ふたが浮いて、また結び直しになるの」
荷は、二人で下ろした。ミナが上のほうを持って、わたしが下を持った。下は、角が手のひらに食い込む。持ちかえると、こんどは指のつけねに来た。
途中で、ミナが一度止まった。止まってから、持ち直した。そのあいだ、荷の重さがぜんぶこっちへ下りてきて、それから半分に戻った。
石の段は、いちばん下の一枚だけ、ほかより広い。そこまで来て、いちど足を止めた。
下の広いところのはしに、荷がもう二つ置いてある。ふたの色が、どちらもうちのとちがう。うちのは、そのとなりへ置いた。
置いてから、手のひらを見た。角のあたったところが、白くなっている。押すと、じきに戻った。
ミナも、自分の手をひらいて、こっちへ向けた。おなじところが、おなじように白い。
床の石は、上から触ると冷たい。ミナは、その手を上着の内がわへ入れた。
上がるときは、二段ずつにはならなかった。下の戸は、もう閉まっていた。
へやへ戻ると、布のなかは、すぐにあたたかくなった。いちばん寒かったころは、足のさきだけが、朝まで冷たいままだった。
上着の下から板を出した。腹のところが、板の形にあたたかい。
上着の前をあけた。内がわには、何も入っていない。
上着の内がわに、板を入れた。




