断りの返事は来ないまま、娘の帰る日だけが来た
置き場の袋は、上の面が腰より下まで来た。五度目のぶんを出して、六日になる。
朝のうちに回って、口の中を見た。手を入れるのに、いまは膝を折る。冬のはじめは、立ったままで届いた。
いちばん下の二段には手をつけない。麦だ。種にするぶんも、そこにある。雪はもう無いので、出す日より先に、蒔く日のほうが来る。
口を締めた縄は、出す日ごとに締め直してきた。減れば、そのぶん袋が痩せて緩む。
土台は、南のはしだけ乾いている。日が回りはじめるのが、そこからだ。
道へ出ると、土が鳴った。白いところを外して黒いほうへ乗っても、同じように鳴る。
日が回ると、鳴らなくなる。凍っていたころは、夕まで鳴っていた。白いのが残るのは、朝のうちだけになった。
屋根の北の面も、昼には乾いている。
壁の下は、霜で浮いたままだ。押すと、下りるようになった。凍っているあいだは、押しても動かない。動くようになってから土を足す。足すのは女衆のほうが上手い。
井戸へ寄った。こぼれたぶんは、もう縁に残らない。日のあるうちに落ちる。朝に割らなくてよくなった。割らずにいると、縁の欠けたところがそのまま見える。石の内へ、指の幅ほど入ったあたりだ。
子供が、薪を割る場所のほうへ来て、木屑を拾って帰った。このあいだから、また来ている。
その割る場所も、上の面だけ乾いた。下は湿ったままだ。割ったぶんは、乾いたほうへ積む。
積むついでに、下になっていたのを上へ出した。冬に積んだままにすると、下のほうが湿ったまま春を越す。
畑のほうへ回った。上の段の三軒は、もう出ている。起こすには早いが、返した土の色を見ている。
畑の道は、荷を引いても轍が残らない。土が締まっている。ぬかるむのは、これからだ。
村長の家の石段は、下から三段目までが乾いた。上のほうは濡れたままだ。日の当たり方が、そこで変わる。
帰りに、隣の鶏を出した。朝に出して、夕に入れる。寒いうちは、出しても戸のそばから離れなかった。いまは、家の前の石のところまで行く。餌の入れものは、干し場のわきに置いたままだ。
文乃の紙は、この冬で、配る順のところだけが長くなった。何を先に出すかは、そこを見て決まる。決めるのは村長だ。決め直しは、途中で一度あった。
書くところが足りなくなると、紙を足す。足したところは、めくると厚みで分かる。
束は、書きおえたぶんが下へ溜まる。上にあるのは、いつも書きかけのほうだ。
置き場へ戻ると、裏から村長が回ってきた。手に紙がある。
「主家からだ。つむぎの帰る日だ」
「いつですか」
「十日先だ。村へ着く日が書いてある」
受け取ってひらいた。紙は、前に来たものより小さい。書いてあるのは三行だけだ。
はじめに日がある。次に、送りは主家で立てる、とある。しまいの行は、その日に村へ着かなかったときは村長へ知らせよ、だ。
「春の入りですか」
「春の入りだ。道が締まってからでないと、車が沈む。沈めば、そのぶん日が延びる。向こうも、それで日を決めとる」
「麦の前ですね」
「前だ。蒔きにかかると、村じゅうの手が畑へ行く。人の来る日と重なると、どっちも半端になる」
村長は袋の面を見た。
「五度目で、そこまで下りたか」
「下りました」
「あと一度で足りる。足りなんだら、そのときに言う」
「そうします」
「戻ってきたら、あの子を置き場のほうへ寄越さんでいい。冬のうちに済ませる話は、もう済んどる」
「言っておきます」
「言うだけでいい。手はもう足りとる」
村長は、石段のほうへは戻らずに、畑の道を上がっていった。
これは、こっちが何かを決める紙ではない。日が書いてあって、そのとおりに人が動く。
読んで、しまうだけで済む。そういう紙は、久しぶりだ。
会いたいと言ってきた者のことは、どこにも出てこない。断ったことにも、触れていない。
断りは、あの人が持って帰った。そのあとは、何も来ていない。訊くとしても、訊く先は主家までだ。そこから先へは、俺の言葉が行かない。
折って、上着の内へやった。先に入れてあるのと、同じところだ。厚みが増えたぶんだけ、前が張る。
十日先に、あの子が村へ着く。道は五日だ。学園を出るのは、五日あとになる。
鶏を入れる前に、桶を提げて隣へ入った。
戸を引くと、においが先に来た。人の入らない家は、においが減らない。
雪の来る前から、ここでは火を焚いていない。焦げたにおいは、もう無い。あるのは、湿った藁と、しまってある布のにおいだ。その下に、土間の冷えたのがある。
においは、動かないまま溜まる。戸をあけたくらいでは出ていかない。
桶を下ろす手が、途中で止まった。
戸口のところは、昼でも暗い。目が慣れるまで、少し立っていた。
土間の土は、踏んだところだけ硬い。人の通っていた形のまま、そこが締まっている。
水瓶に足した。鶏のぶんだけなら、二日に一度で足りる。それでも毎日あけている。あけないと、においがこれより濃くなる。
今日は、上のところまで入れた。
干し場の竿は、上げたままだ。掛けるものが無い。日は、竿の下まで回るようになった。
戸は、吊り縄が伸びて、上のはしが下がっている。掛け直した。春でいいと思っていた。その春になった。
においは、あけているあいだに少し薄くなる。閉めれば、また元へ戻る。
外へ出て、戸を閉めた。掛け直したぶん、上のはしが枠にそろって止まる。
うちへ入ると、文乃が土間の奥から出てきた。手に束を持っている。
「村長が紙を持ってきた。つむぎが帰る日が決まった」
「……いつ」
「十日先に、こっちへ着く」
「……十日」
文乃は紙を受け取って、はじめから見た。行が三つしか無いので、すぐ終わった。
「……送りは」
「向こうが立てる。前と同じだ」
「……何日ぐらい」
「六日か七日だ。戻る日は、来てから言ってくるらしい」
「……七日」
「そのくらいだ」
「……去年の上着は、入るかしら」
「入らないだろう。丈のところは、こっちで足せる」
文乃は紙を台へ置いた。読み返しはしない。
「……あの子には」
「書かない」
「……書かないの」
「いま書いて出しても、着くのは、あの子が学園を出る日だ。行き違う」
「……そう」
「それに、書いたものは残る。渡してしまえば、こっちの手を離れる」
文乃は、束を台のはしへ置いた。
「紙には書かない。帰ってきたら、俺から言う」
「……帰ってから」
「そうする」
文乃は、束から一枚抜いて、こっちへ回した。この冬の日を書きつけた紙だ。
下のほうに、まだ来ていない日が一つある。その横に、小さい印が付いている。ほかの行には無い。
「いつ書いた」
「……去年の帰りが、蒔く前だったから。そのあたりだろうと思って」
「合ってる」
「……当てたわけじゃないの。書いておくと、あと何日かが、すぐ出るから」
俺も、聞いてから引いた。同じ数が出た。
「……そっちは、どこへ書くつもり」
「板だ」
「……板だと、消えるでしょう」
「消えない。上に書く」
文乃は紙を戻した。戻してから、印のところを指で二度おさえた。
夕のぶんを、北のはずれの二軒へ運んだ。
道は、上りのところだけ土が出ている。踏むと、そこで止まる。土が硬かったころは、爪先で引っかけて上がった。
どちらの家も、戸口の前の土が乾いていた。桶を置いても、跡がつかない。婆さんは出てこなかった。音で分かるからだ。
戻る道で、坂の下の話し声が聞こえた。聞こえはじめから、切れるところまで続けて聞こえる。前は、はじめと終わりだけだった。
鶏を入れた。戸を閉めるころになっても、まだ外が見えている。このあいだまでは、閉めてから灯りが要った。
窓の下と、竈の風の入る側に、布が詰めてある。冬に入るときに、二つとも入れた。
今日、両方はずした。窓の下があくと、煙が下りずに横へ抜ける。竈の脇は、土の乾くのが早くなる。
はずしたぶんは、たたんで棚へ載せた。次に要るのは、霜が夕まで残るようになってからだ。
土間の壁ぎわは、冬のはじめより薪が少ない。次に積むのは、木出しのあとになる。
外へ出た。日はまだ落ちていない。
軒の下には、布をかけた板がある。布のはしは、もう硬くない。
布のはしを持ち上げて、板の下へ手を入れた。書きかけの紙は、置いたままある。
書いた行を、指の腹でこすった。炭は、こすれば落ちる。落ちたぶんが、俺の指についた。たたんで、板の下へ戻した。裏は使える。
帰ってくる日を、板のいちばん上に書いた。




