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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第九章 早春、道をえらぶ

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いつからできるのかと訊かれてわたしは答えた

 外の戸から、桶を持った人が入ってきた。石のところで足を止めて、片方ずつ、靴の底をこすった。落ちたのは土だ。

 もう片方をこするあいだも、桶は腕にかけたままだった。水は、ふちのところで揺れて、こぼれなかった。

 わたしも、おなじところでこすった。冬のはじめは、こすっても何も落ちなかった。外が硬かったからだ。

 石の床には、外から入ってきたぶんの濡れたあとがついている。はしのほうから先に乾いて、まん中があとまで残る。濡れているところは、乾いたところと、においがちがう。

 戸があいているあいだ、屋根のはしから水が落ちるのが見えた。下の石にあたる音は、ここまで来ない。

 上着の下に、板をはさんでいる。落とさないように、はしを指でひっかけておく。線から上は、もう一つぶんしか空いていない。


 字と数のへやの手前で、色の濃い上着が、壁のほうから離れた。

 まえの人だった。紙を持っている。まえより厚い。

「つむぎ、ですね」

「うん」

「まえにうかがったことを、いちど読みます。ちがっているところがあれば、言ってください」

 その人は、紙のあいだから一枚だけ引き抜いた。書いてあるほうを自分に向けて、胸の高さで持った。

「『はじめに、肩を見る。上がっている子は、のどのところで止まっているので、そこではないと言う。背中にさわらせると、うしろも動くことが分かる。口をあけたら、いちど止まる。止まってから言うと、しまいまで持つ』」

 読んでいるあいだ、その人の目は紙から離れなかった。

 言ったのは、わたしだ。ならびも、そのままだ。

 でも、わたしは、あのね、から言った。紙のほうには、それが無い。

「ちがっていますか」

「ちがってない」

「では、このとおりでよろしいですね」

「うん」

「なんで、二回きくの」

「まえに書いたものと、おなじになるかどうかを見ます」

「おなじだった?」

「はい」

 その人の靴は、底のはしまで乾いていた。こすったあとが無い。外から入ってきたのではないらしい。

 その人は、読んだ紙を下へ回した。上に来たのは、白いほうだ。

「もう一つ、うかがいます」

「うん」

「いつから、できるのですか」

 それだけだった。なにが、とは言わなかった。

 板のはしにかけた指に、力が入った。

 うちで水を出していたのは、塾へ行くまえからだ。そのまえのことは、出てこない。

「おぼえてない」

「おぼえていない」

 その人は、白い紙を左の手のひらに載せて、書いた。紙のはしを親指で押さえている。押さえたところだけ、紙が動かない。

 書きおわると、こんどは声に出して読んだ。

「『いつからできるようになったかは、おぼえていない』。相違ありませんか」

「そうい、って、なに」

「ちがっているところ、という意味です」

「ない」

 その人は、二枚を重ねた。

「その紙、どうするの」

「持っていきます」

「二枚とも?」

「はい」

 重ねたぶんを、ほかの紙のあいだへ入れた。入れてしまうと、どれがどれだか分からなくなった。

 その人は、字と数のへやの前を通りすぎて、まっすぐ行った。曲がるところで、紙のはしが上着にあたって鳴った。

 まえのときは、うしろを向くまえに、もう一つ言った。きょうは、それが無かった。

 わたしは、戸のところで、上着のなかの板を押さえ直した。


 ミナが先に座っていた。机は二人で一つだ。紙は、まん中に一枚ずつ来る。

「おそいよ」

「廊下で、話してた」

「板、出して。もう書いてあるよ」

 板を膝の上でうら返した。きょう読めるのが出たら、入れるところは、それで無くなる。

 ハンネスは、書きおわって、手を上着でぬぐっていた。指のさきだけが黒い。

 入れる場所をさきに決めておこうと思って、前の板を下のほうから見ていった。知らない形は、いちばんうしろに一つだけあった。六つ目と、書きだしは、おなじにたどれる。ちがうのは、しまいだ。そこで、まるくまわる。

 見ているうちに、口が動いた。動いてから、読めたのだと分かった。

「よめた」

「下が丸いほうね。きょうから出るの。まっすぐのほうは、まだ来ないの。あいだをあけるって言ったでしょ。ちかいところで出すと、まちがえるからなの。分かった?」

「まちがえない」

「まちがえるよ。にてる字は、はなして書くの。わたしね、まえにつめて書いたの。そしたら、あとから出たのを書くすきまが無くなって、はしのほうへ書いたの。はしのは、あとで見ないの」

 上が分かれている形の、すぐ下へ入れた。くっつけて書くと、一つぶんのところに二つ入る。習った順番だと、ずっとうしろに来る字だ。

 入れてから、上へ戻って読み直した。はじめの一つから、また下りていく。おなじのを何回も読むのは、めんどうくさくない。読み直すと、はじめのころに覚えたのが、いちばん早く口から出る。

 線から上は、もう空いていない。

「つむぎ、入らないでしょ」

「はいらない」

「消すの」

「下のほうを消す。数は、紙にもあるから」

「消すまえに、見せて」

 ミナは、両手で受け取って、膝の上でまっすぐに持った。上のはしから、指が下りていく。字のところでいちど止まって、また下りる。

 下まで行くと、はじめへ戻った。ミナの指が二回目を下りていくのを、わたしは見ていた。

「ミナ」

「まって。二回目なの」

 二回目がおわると、ミナは板を返した。字のあるほうを、こっちへ向けて返した。返ってきた板は、あたたかくなっていた。

「なんで二回見るの」

「一回だと、抜けるの。二回目に、抜けたところが出るの。父さんが、そう言うの。市へ持っていく紙も、二回読んでから持っていくんだって」

「わたしのは、市のじゃないよ」

「読むものは、みんなおなじなの。分かった?」

 数のほうへ移った。きょう入ったのは、線のすぐ下だ。右のはしは、空けたままにしてある。


 字と数がおわって、魔法の授業へ行くとちゅうで、下の広いところを通った。

 壁の紙のまえに、きょうは三人いた。近くまで行くと、話が切れた。通りすぎてから、うしろでまた始まった。なにを言っていたかは、聞こえなかった。

 紙の下のはしは、まえより広くめくれている。押さえたら戻るくらいだ。押さえないで通った。

 廊下の奥は、人が通らない。突き当りの戸は、押すところだけ色がうすい。

 床のまるいあとの上に、器が一つ出ている。ゾフィー先生は、戸が閉まってから言った。

「はじめてください」

 言った。手を出した。

「はい。いまのは、二つ目のおしまいが短いです。はじめから、もう一度」

 言い直しているあいだに、内がわの線が一本ふえた。下のほうの線は、うすくなっている。ふえたのだけが、まだ濡れて見える。

 言われるのは、きょうも口のことだった。水のことは、言われない。

 膝のところが、布ごしに冷たくなっていた。立つときに、いちど手をついた。


 部屋へ戻ると、ミナは布のなかに手を入れていた。清書のまえは、いつもそうしている。

「きょう、廊下でまた訊かれた」

「だれに」

「紙を持ってる人」

「なんて」

「まえに言ったのを、読まれた。ちがってないかって」

「ちがってた?」

「ちがってない」

「読むんだ」

「読んだ。それから、また書いた」

 ミナは、手を布から出して、指をひらいたり閉じたりした。

「ねえ、かえる日、言われた?」

「言われてない」

「みっかまえだよ。まえも、そうだったでしょ」

「そうだった」

「みっかあれば足りるの。でも、順にやらないと、さいごに入らなくなるの。着るものは下。かたいほうが先で、やわらかいのはその上なの。板は、いちばん上。下に入れると、上から押されて折れるでしょ。炭は布でつつむの。つつまないと、着るものが黒くなるの。紙は、荷に入れないで、上着の内がわ。荷のなかだと、はしが波になるから。ぜんぶ入れたら、いちど出すの。出して、もういちど入れると、へるの。分かった?」

「へるんだ」

「へるよ。父さんは、市に持っていくとき、二回入れるの。あとね、ひもは切らないで持っていくの。むこうで切ればいいでしょ。切ったのは、みじかくなったら、もう長くならないもん」

「ならない」

「それとね」

「まだあるの」

「あるよ。いちばんうしろに、なにも入れないところを作っておくの。かえりに、村からなにか持ってくるでしょ。持ってくるところが無いと、こまるでしょ」

 かえりのことは、考えていなかった。

「あした、板をまた見せて」

「あしたは、まだ消さない」

「消さなくていいの。見るだけ」

 ミナは、紙のはしをそろえて、膝から下ろした。それから横になった。横になってからも、まだ何か言っていた。しまいのほうは、聞こえなかった。

 わたしも布をかぶった。

 布のなかで、手を胸のところに置いた。上着の内がわは、平たいままだ。入れておく手紙が、わたしには無い。

 そこを、しばらく押さえていた。

 紙は、二枚になった。


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