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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第二章 夏、二軒目の家

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おうちが二つになっても、わたしのやることは同じだった

「おとうさーん。おかあさーん。起きてる?」

 外から声をかけてから、縄で吊った戸を押した。中はまだ薄暗くて、土間の隅でおとうさんが起き上がるのが見えた。

「……早いな」

「早くないよ。もう鶏が鳴いたもん」

 うちの鶏は三羽いて、いちばん小さいのがいちばん先に鳴く。あれが鳴いたら朝だ。

 わたしは水瓶の前にしゃがんだ。こっちのおうちにも、水瓶ができた。うちのよりずっと新しくて、内側がまだ白い。

 手のひらを口の上に向ける。水が出る。底を打つ音が、はじめは高い。

「あっ」

 思わず声が出た。音がちがう。うちの水瓶はもっと低くて、ぼこぼこいう。新しいのは、かん、かん、って上のほうで鳴る。

 目をつぶってみた。たまってくると、だんだん低くなっていく。いまはこのへん、と思って目を開けたら、当たっていた。当たると気持ちがいい。

 水が縁の指二本下まで来たので、手を下ろした。

「これでいっぱい」

 それ以上は出さない。入るところが無いのに出しても、こぼれるだけだ。

「あのね、こっちのおうちは、まだ干すものが少ないでしょ。だから先にこっちをやるの。うちのは多いから、あと。順番、決めたんだ」

 おとうさんは「そうか」と言って、それからちょっと黙って、「助かるよ」と言った。

 竈にも火を入れた。細い枝に手をかざして、ぱっと赤くなったら、もう一本足す。ぱちぱち鳴りだすまでのあいだが、いちばん好きだ。こっちの竈はまだ土が新しくて、火の音がうちのより固い。

 おうちが二つになって、やることも二つになった。朝にやることも、夕方にやることも、ぜんぶ二回ある。

 わたしは、そのほうがいいと思う。二回できるからだ。


 おかあさんは、いつも見ている。

 わたしが水を出しているときも、火を入れているときも、少し離れたところに立って見ている。それから、小さい紙の束をひらいて、なにか書く。

 紙の束は、はじめて会った日から持っている。いつのまにか、うちの中にあるのが当たり前になった。

「なに書いてるの」

「……いろいろ」

 おかあさんは、そう言うようになった。前は「なんでもないの」だった。いろいろ、のほうがいい。なんでもなくはないもん。

 その朝、おかあさんがわたしの手を取った。ひっくり返して、指の腹をおしてみて、それからまた書いた。前もやられたので、じっとしていた。くすぐったくはない。

 書きおわってから、おかあさんは紙を見たまま言った。

「……あの水は、どこから来ているのかしら」

 わたしのほうを見ないで言うので、独り言かと思った。でも、待っている顔だった。

「えっとね」

 わたしは水瓶を指した。

「ここに、出るの」

「……うん」

「出るときは、出るの。こう、して、こうしたら」

 手のひらを向けて、動かしてみせた。でも、それだと出ないので、手を下ろした。出そうと思ってないときは出ない。

 言おうとしたら、言葉が先に無くなった。頭の中には、ちゃんとある。ある気がする。でも、口から出るところで消えてしまう。

「……わかんない」

 困ったので、そう言った。

 おかあさんは怒らなかった。早くしなさいとも言わなかった。

「そう」

 それだけ言って、また書いた。ちょっとだけ長く書いていた。

「あのね、鶏がね、いちばん小さいのがいちばん強いんだよ。おっきいのを追いかけるの。それでね、うちの前の石、あれ、朝はつめたくて、昼はあったかいの。座るならお昼のほうがいいよ」

 言いたいことができたので、そっちを言った。おかあさんは「そうなの」と言って、鶏のことは書かなかった。石のことも書かなかった。

 書くものと、書かないものがあるらしい。


 昼前に、井戸へ行った。おかあさんもついてきた。

 井戸端にはいつもだれかいる。おばさんたちが桶を並べて、洗って、しゃべっている。

「つむぎ、おはよう。あんた、また二軒ぶん働いてるのかい」

「うん。二軒あるから」

「たいしたもんだよ。うちの息子なんか、桶ひとつ運ぶのに三回休むからね。休んでるあいだに水が乾いちまう」

 おばさんは笑って、それから空を見上げた。

「……しかし、降らないねえ」

 まわりのおばさんたちも、そろって空を見た。わたしも見た。青くて、雲が細いのが一本あるだけだった。

「去年の今ごろは、もう二回は降ってたよ」

「三回だよ。あたしは覚えてる。畑に入れなくて、亭主が家でごろごろしてたもの」

「あんたのとこはいつでもごろごろしてるじゃないか」

 みんなで笑った。麦の穂は、このあいだよりまた色が濃くなっていた。畑のほうまで黄色が来ている。

 降らないと困る、という話らしい。うちの水瓶はいつもいっぱいだから、わたしはあんまり困らない。

 おばさんの一人が、桶の上に手をかざした。水が出て、桶がいっぱいになるまえに止まった。それからその人は「ふう」と言って、桶を引き寄せて洗いはじめた。もう一人が、次の桶を出す。順番に出す。みんなそうする。

「つむぎ、あんたも一つおくれ」

「いいよ」

 わたしも手をかざした。桶が満ちたので、止めた。

「ありがとね。助かるよ」

 役に立った。うれしい。

 おかあさんが、それを見ていた。

 わたしの水を見るときと、同じ顔だった。桶が満ちるまでのあいだ、じっと見て、それから紙に書いた。ほかの人が出すときも、また書いた。

 よその人の水も見るんだ、と思った。

 なにを書いているのかは、やっぱり分からない。


 午後は、おとうさんのところへ行った。

 村の東のはずれで、家の壁を直している。おとうさんとヨナスのおじさんと、あと二人。土を練るのに水がいるので、わたしが運ぶことになっている。桶を両手で抱えて、こぼさないように歩く。これはわたしの仕事だ。

「おう、来たか。待ってたぞ」

 ヨナスのおじさんが手を振った。

「水は、つむぎのが冷たいからな」

「井戸のと同じだよ」

「同じじゃないね。俺には分かる」

 同じなのに。でも、うれしかったので、そういうことにしておいた。

 おとうさんは壁の前でしゃがんで、下のほうを指で押していた。

「ここは去年塗り足したところですね。上と乾き方がちがうので、先に濡らしてからのほうがいい」

「……そんなもん、分かるのか」

「押せば分かります」

 家の人が来て、おとうさんに何か訊いた。おとうさんが答えると、その人はうなずいて、道具を取りに行った。

 しばらく見ていたら、みんなおとうさんに訊きに来ることが分かった。どこから塗るか、どのくらい水を足すか、いつまでに終わるか。おとうさんは、そのたびに手を止めて答える。

 はじめて会った日、わたしはおとうさんの手を見て、村の人みたいだと言った。ほんとうにそうだった。

 わたしは二回、水を運んだ。三回目を運んでいったら、みんな飲んでしまって、桶が空になった。

「もう一回、いる?」

「いる」

 ヨナスのおじさんが即答した。

 四回目を持っていく途中で、ヨナスのおじさんが桶を受け取ろうとして、また尻もちをついた。水はこぼれなかった。おじさんだけが地面に座っていた。

「……今のは、石があった」

「なかったよ」

「あったんだ」

 わたしが地面を見ても、なにも無かった。おとうさんが笑うのをこらえているのが、横から見えた。


 日が暮れて、三人でごはんを食べた。

 わたしのぶんと、おとうさんのぶんと、おかあさんのぶん。うちのぶんは、朝のうちにいつもどおり一分けよけてある。サナの分だ。

 今日はサナは帰ってこなかった。前もそうだった。その前もそうだ。よけた分は悪くならないようにしてあるから、いつでもいい。

「じゃあ、帰るね」

 立ち上がると、おかあさんが紙の束を閉じた。おとうさんは戸のところまで出てきた。

「明日は、朝いちばんに来なくていいぞ」

「なんで?」

「……いや。来ていい」

 変な人だ。言いかけてやめるのは、いつものことだけど。

 外は暗かった。おとうさんにもらった、まるくて長いあかりを押す。白い丸が地面を走る。うちの戸口までは二十歩くらいで、あかりが無くても行けるけど、あったほうが楽しい。

「……そこ、いま踏んだ」

 丸を先に走らせて、追いかけて、追いついたところで踏む。そうやって帰る。

 うちに入って、水瓶を見た。ちゃんといっぱいだ。よけた分にも布がかかっている。干したものは畳んである。

「ただいま」

 だれもいないけど、言う。言っておくと、帰ってきた感じがする。

 あかりを消して、横になった。

 隣のおうちのほうから、まだ小さく声がしている。二人でなにか話しているらしい。壁ごしに、音だけが来る。

 おとうさんとおかあさんのおうちと、うちと、どっちもうちだ。

 でも、寝るのはこっちだ。


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