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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第八章 冬、訊ねが続く

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六つ目の字がよめた日に、わたしは廊下でおしえた

 耳のさきをつまむと、つままれているのが分からない。指のほうだけ、あるのが分かる。

 布から出た。靴に足を入れると、朝いちばんの中は、わたしの形をしていない。歩いていくうちに、だんだん自分の形になる。

 ミナは先に起きていて、板を膝の高さで持っていた。

「つむぎ、耳」

「みみ?」

「赤いよ。どっちも。うちでは、赤いうちはいいって言うの。白くなったら、こすらないで、手でふさぐの。こすると、あとで痛くなるんだって」

「しろくなると、どうなるの」

「いちど、指のさきが色を無くしたみたいになったの。あれは、こすっちゃだめなの。分かった?」

 耳に手をあてた。手のほうが冷たい。

「つめたい手をあてても、いいの」

「よくないよ。あたたかいほうであっためるの。つめたいのをあてても、ふさげてないの。ふさぐのは、外にあたらないようにするためだから」

 手のひらは、耳にあてたままにした。しばらくして、どっちが冷たいのか分からなくなった。

 ミナは、先に戸をあけた。

 朝のぶんは、下でもらう。今日は、もらってから食べるまでのあいだに、指が動くようになった。はじめのころは、食べおわるまでかかっていた。

 ミナは、食べるあいだに紙のことを言っていた。もらう日は、まだ先らしい。

 歩くと、指のさきからあたたかくなる。わたしの耳は、いちばんあとだ。


 字と数のへやでは、ミナのほうが戸に近い。紙は、机のまん中に一枚ずつ来る。

 板は膝の上でうら返す。線から上は、もうせまい。炭は、はじめに持ってきたときの半分より短い。

 ハンネスが、前の板に今日のぶんを書いた。炭のあとが、書きおわりのところで太くなっている。

 はしから読んでいった。五つ目までは、口が先に動いた。六つ目は、目より口があとになった。

 上が二本に分かれている形だ。きのうまでは、ここで目がすべった。きょうは、口のなかで、はじめから終わりまで通った。

「よめた」

 ミナが、炭を置いた。

「出たでしょ。上が分かれてるのは、これで一つ目なの。あと二つあるの。一つは下が丸くて、もう一つは下がまっすぐなの。いっしょに出すと、まちがえるんだって。だから、間をあけて出すの」

「あとの二つは、いつ出るの」

「知らない。でも、間はあけるって言ってたよ。だから、すぐじゃないの」

「ミナは、いくつまでよめるの」

「かぞえてないよ。読めないのが出てきたら、その日のうちに訊くの。訊いたら、書いて覚えるの。書かないと、つぎの日にはもう分からなくなってるから。だから、わたしのは覚えた順に入ってるの。分かった?」

 板のほうを見た。わたしのは、そうなっていない。

「つむぎの炭、そんなに短いの?」

「みじかい」

「短いのはね、ひもを巻くといいの。巻くと、指が黒くならないの。うちでは、書けなくなるまで巻いて使うの。捨てるのは、指でつまめなくなってからなの。まだ、そこまでじゃないよ」

「なにを巻くの」

「ひもでも、切れたのでもいいの。わたしはね、上着のはしがほつれたのを取っておいたの。切れたのが出たら、すぐしまうの。あとで要るから。ね?」

「もってるんだ」

 六つ目を板へ書いた。うしろへ足すのではなくて、上に棒のある形の下へ入れた。いままでのならびとは、ちがう。

 書けるのは、線のすぐ上までになった。どこを消すかは、まだ考えていない。

 ハンネスは、机のあいだを一度だけ通った。それから板の前に戻って、書いたぶんを消しはじめた。通って戻るまでが、きのうとおなじだけだった。

 消される前に、わたしはもう一度読んだ。読めるのが、一つ増えた。


 紙を出して、へやを出た。下の広いところは、朝より人がすくない。戸のあいているへやから、声がしていた。ひとりが言って、切れて、また別のがはじまる。

 あの声は、終わるまでが長い。わたしのは、四つで終わる。長いのが、いくつも続いた。声は、へやの中で切れる。廊下まで来るのは、はじめのぶんだけだ。

 壁の紙のまえは、まだ空いていなかった。通ると、ひとりが紙からこっちへ目を移した。となりの子も移した。それから、二人とも紙へ戻した。

 まえに通ったときは、だれも移さなかった。紙は、来たころからそこにある。下のはしが、壁からすこしめくれている。

 足のうらは、まん中を歩くより、はしのほうが冷たい。奥へ行くほど、そうなる。途中から、人の声も聞こえなくなる。


 器は、床のまるいあとの、きのうとはちがう一つに置いてあった。もとの一つは、石がすこしへこんでいる。

 ゾフィー先生は、わたしが座るまで待っていた。

「はじめてください」

 息を大きくして、言った。

「アド・ウェニ。アクア・エス。ウルナ・ディミ。ブレウィ」

 手を出した。

 水の音は、はじめだけした。すぐに聞こえなくなって、内がわの濡れたところだけが上がる。上がるのは、指の一本ぶんまでだ。そこから先へは行かない。

 手は上げたままだ。やむのは、いつも水が先だ。

「はい。どれも、長さがそろっています。数を重ねてください」

 二度目を言った。三度目も、四度目も言った。ゾフィー先生の靴は、はじめに見たところにある。どの回も、上がるのは指の一本ぶんだ。はじめの回とおしまいの回で、ちがいがない。

 器のふちに、内がわだけ線が出てきた。前の回でとまったところが、乾かずに残っている。線は、下から一つずつ増えていく。線のあいだは、どれもおなじだけあいている。せまくもならないし、広くもならない。

 言っているうちに、自分の声が、外から聞こえるみたいになる。耳の中で高かったのは、はじめのほうだけだ。水のことは、はじめの日から一度も言われていない。言われるのは、いつも口のことだ。

 口のなかが乾いた。乾いてからも、まだ半分より下だった。外の廊下で、戸の閉まる音が二度した。二度目は、遠かった。

「きょうも、ふちまでやるの」

「はい。ふちの下までです」

 また言った。声は出ているのに、わたしの口のなかは、動きが小さくなっていく。

「アド・ウェニ。アクア・エス。ウルナ・ディミ。ブレウィ」

 ふちの下まで来たのは、それからしばらくしてだった。はじめに座ってからのぶんは、わたしは数えていない。

 器のふちのすぐ下に、線がもう一本ついた。上のほうは、まだ乾いている。

「はい。今日は、この回で終わります」

 ゾフィー先生は、床のまるいあとを見た。それから、器を持ち上げた。中が鳴った。

 まえは、鳴らなかった。

「あしたは、はじめから続けます」

 立って、戸のところで足ぶみをした。足のうらが、それでやっと自分のになった。


 廊下は、来たときより人がいた。上のほうへ上がる子と、下へ下りる子が、はしですれちがう。

「ねえ」

 うしろから声がした。奥のへやのほうではなくて、廊下の先からだ。

 知らない子だった。わたしより背が高い。上着のそでを、両方ともまくっている。字と数のへやでは、見たことがない。朝のところでも、見ていない。

「止まってから言うっていうの、どれくらい止まるの」

 その子は、はじめのところを言わなかった。肩のことも、背中のことも訊かなかった。だれかが、そこまでは言ったらしい。

 声を出すまえに、手のひらが上着をつかんだ。つかんで、すぐはなした。

「いち、って言うくらい」

「みじかいね」

「みじかいよ。長く止めると、こんどはさきが足りなくなるの。止めてるあいだも、へってるから」

 その子は、うなずかなかった。かわりに、口をあけたり閉じたりした。

 それから、言った。あける、止まる、出す。三つが、一つずつ離れていた。

 声は、はじめから細かった。しまいのところで、かすれた。その子は、しまいまで行くと、肩を上げて息をした。上げてから、自分で下ろした。

「止めるのが長い」

「どれくらい」

 わたしが息をつめてみせた。つめて、すぐ出した。その子は、それを見ていた。

「これくらい」

「みじかい」

「みじかいほうがいい。でも、無くすとだめなの。無いのと、みじかいのは、ちがうよ」

 その子の口があいた。こんどは、うしろがかすれなかった。そのつぎは、こっちを見ないで言った。見ないでも、切れなかった。

「できた」

「うん」

「ありがとう」

 まくった袖は、まくったままだった。その子は、そのまま下へ下りていった。廊下は、また人が通るだけになった。

 おしえてから、自分の手を見た。


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