名を出さない相手が、娘に会いたいと言ってきた
蓄えの三度目を出したのは、昨日だ。朝のうちに上の段の三軒と、下の二軒が器を持って来た。北のはずれの二軒ぶんは、こっちから運んだ。運び手は二人で足りた。
雪が浅いからだ。筵に載せて引かずに、担いだまま上がれた。この冬に降ったのは三度で、どれも積もらなかった。屋根は北の面だけが白い。
置き場の筵の上に乗ったぶんは、昼までに消える。筵は昨日の夕方に戻した。杭が一本、抜けかけていたので打ち直した。土が凍ってからでは、打っても効かない。
置き場では、袋の上の面が胸の下から手のひら二つぶんまで来ていた。昨日で下がって、そこから動いていない。出したぶんだけ、北の柱ぎわが空いている。壁が無いので、そこは風が抜ける。次に積むときは、空いたほうから先に使う。
配るぶんの割は、去年から変えていない。割ったのは村のほうだ。文乃の紙が効くのは、何を先に出すかだけだ。
道は、朝のうちだけ霜で白い。踏むと下の土が出る。上りでは、その黒いところを続けて踏んでいく。外して白いほうへ乗ると、足が前へ出る。荷があれば、そのぶんが肩へ戻る。
井戸は、汲んだぶんが縁でこぼれて、朝に氷が薄く張る。割るほどではない。桶の底で押せば、ずれて重なる。縄には、二杯かける。
夕のぶんを移して戻ってくると、石段の上から呼ばれた。
「直」
村長だった。上から三段目で足を止めて、そこから言った。
「主家からだ」
「昨日ですか」
「夕べ遅くだ。人が来て、置いて、そのまま戻った。泊まっとらん」
「急ぎですか」
「そうは書いとらん。書いとらんが、泊まらんかった」
村長は二段下りて、紙を出した。二つに折ってある。折った外の面にも字があって、こちらへ向いていた。前の二枚は、字を内にして四つに折ってあった。
「おれは読んだ。届いた先がおれだからな。読まずに渡すと、あとで訊かれたときに困る」
「読みます」
字は、前の二枚と同じ手だった。行の始まる位置まで同じだ。墨の濃さが、はじめの行としまいの行で変わらない。
行は、ぜんぶで七つある。
はじめの行に、つむぎに会いたいという申し入れが主家にあった、と書いてある。次の行で、申し入れた者は主家に名を伝えている、と続く。
「会いたい、ですか」
「そう書いてある」
その下が、名を外へ出さぬようにと言われている、だった。主家はそのとおりにする、とある。
残りは三つだ。会わせるか、会わせぬか。決めるのは親である。主家では決めない。返事は人をやって承る。いつまでに、という行は無い。
俺は、訊ねの三度目だと思っていた。名前、年、村。次ができること。その次があるなら、また何かを訊いてくるのだろうと。
紙に、訊ねのことは一行も無い。字は、どの行も大きさが揃っている。急いで書いた行が一つも無い。
「主家に名はある。外へは出さない、と読みました」
「おれもそう読んだ」
主家が、言われたとおりにしている。紙から読めるのは、そこまでだ。
書いたのは主家で、使いが口で足したことは無いという。村長が訊いたのは、そこだけだそうだ。
「返事は、いつまでにと言ってきましたか」
「言ってこん。人を寄越すとだけだ。日も決めておらん。決めておらんが、来る」
村長は、俺の手の紙を見た。
「それは、あんたが持っとけ。おれのところに置いといても、決まらん」
「預かります」
紙は俺の手に残った。
「村長は、どう読みました」
「おれが読むところじゃない。おれのところへ来たのは、届けるぶんだけだ」
村長は石段を上がりかけて、途中で振り返った。
「杭は、あんたか」
「一本、打ち直しました」
「凍る前でよかった。あとは春でいい」
村長は上の段のほうへ行った。石の白いところに、靴の跡が二つ残った。
置き場の土台に腰を下ろして、紙をもう一度ひらいた。人と話をまとめるときは、まず相手を見る。どこの誰で、何を欲しがっていて、何が出せるのか。そこが分かれば、出方は決まる。
今度は、はじめの一つが無い。この前は、訊いた者の名が、もっと上のほうで止まっていた。今度は主家にある。あって、外へ来ない。来ないのは、来させない者がいるからだ。
その者が誰かも、紙には無い。
訊くことなら、すぐに出てくる。どこから来た人か。つむぎのことを、誰から聞いたのか。会って、そのあとをどうするつもりなのか。会うのは一度きりなのか。
目の前にいるなら、はじめの一つを訊けば足りる。あとは、答え方のほうに出る。そういうものを、一つも渡されていない。
会わせるなら、どこの誰かを知らないまま、娘を人の前へ出すことになる。会わせないなら、断った先で何がどう動くのかが分からない。どちらを取っても、俺は同じことを知らないままでいる。
会う場所のことは、七行のどこにも入っていない。村へ来るのか、あちらへ行くのか、主家で会うのか。どれを取っても、日が要る。あの子は学園にいて、こっちの都合だけでは動かない。
人を寄越す、という行はある。寄越すのは主家の人だ。
命じてはいない。決めるのは親だと、そこだけは、はっきり書いてある。書ける者が書いて、書けないところを、こっちへ回してきた。
戸をあけると、湯の音がしていた。文乃は台の前で、炭の先を布でこすっている。
「主家から紙が来た。村長が持ってきた」
「……日にちなら、まだ先よ」
「日にちじゃない。つむぎに会いたいと言ってきた者がいる」
文乃は炭を布の上へ置いた。
「……だれ」
「紙に無い」
「……無いの」
「主家にはある。名乗ってはいるんだ。外へ出すなと言われて、主家がそのとおりにしている」
「……言われて」
「そう書いてある」
文乃は紙を受け取って、台の空いているところへ置いた。指で端を押さえて、はじめから読んだ。読みながら、行の頭を上から数えている。
「……名乗ったって、どうして分かるの」
「主家がそう書いてきた。こっちにあるのは、その一行だけだ」
文乃は読みおえた。台の上の紙は、置いたところから動いていない。
「……この前、訊いた人がいたわね」
「同じ人かどうかまでは、出ていない。訊いたところで、返ってはこない」
「……会うかどうかを、うちが決めるの」
「主家は決めない。回してきたのは、そこだ」
「……あの子は、自分で行くって言ったわ」
「言った。あのときは、目の前に置いて訊いた」
「……いまは、訊けない」
「訊ける。書いて渡せば、向こうへ行く」
「……何日」
「行きが五日だ。帰りは、この前が四日だった。読んで、書いて、寄越すぶんを入れると、九日か十日になる」
「……十日」
「返事を出すのは、その先になる」
「……そのあいだに、人が来たら」
「来たら、こっちで決めることになる」
文乃は炭を取って、また布の上へ戻した。二度そうした。
「訊ねがあったのは、つむぎで三人目だ。前に枠で行った四人のうち、二人に来ている」
「……その子たちにも、こんな紙は来たの」
「訊いていない。次に人が来たら、それを訊く」
「……八つよ」
「八つだ。行くと決めたのも、あの子だ」
「……決めたわ」
湯が鳴っている。文乃は鍋を下ろして、蓋をして隅へ寄せた。竈の灰は、まだ赤いところが残っている。
文乃は紙をたたんで、俺のほうへ戻した。
受け取って、そのまま持っていた。
鶏を入れてから、隣の戸をあけた。
水瓶は、口から手のひら三つぶん下がっている。明日の朝に足す。減りが遅い。使うのは鶏のぶんだけだ。竈は冷たい。灰は、上から押さえたきりだ。
干し場の竿は、直した受けのところが動いていない。木を噛ませたぶんだけ、竿の端が上を向いている。干すものが無いので、竿は上げたままにしてある。
土間の隅に、筵がたたんである。雪が深くなれば引くのに使う。この降り方では、まだ要らない。
戸を引いた。吊り縄が伸びたぶん、上のはしが前より下がっている。掛け直すのは、春だ。
こっちの家の前まで戻った。朝の白いところは、もう無い。踏んだ跡だけが、土のまま黒く残っている。夜のうちに冷えれば、朝にはまた白くなる。
文乃は、もう灯りを落としている。紙は、上着の内に入れたままだ。
書いて訊くなら、明日の朝でいい。書かずに決めるなら、それも明日でいい。
冬で、道は五日になっていた。




