娘に何ができるかを、主家は答えなかった
置き場の袋の面は、胸の下から手のひら一つぶん下がっている。二度目に蓄えを出した日で下がったきりだ。
筵はその日の夕方に戻した。杭は打ち直していない。縄は秋に結んだままで、風の来る側だけを長く残してある。引くと、そちらが先に締まる。
土台の南に噛ませた平たい石は、へこまずに残っていた。袋を下ろすとき、みな同じ側へ乗る。沈むようなら、もう一枚足す。今年は要らない。
袋は上から取る。下の二段は麦で、今年のぶんはその上だ。外から積んであるので、上の面は真ん中がわずかに高い。低いほうから先に減る。
配るぶんは、家ごとに何人いるかで決まっている。決めたのは、俺ではない。村のほうだ。三度目の日も、もう決まっている。
「そこの石、いつ噛ませた」
置き場の裏からヨナスが出てきた。皮を剥いた丸太を一本、肩に載せている。皮は端のほうだけ残っていて、そこが白い。
「村長が来た日の、日のあるうちです」
「道理でな。おれが乗ったときは、動いた」
ヨナスは丸太を下ろして、柱のわきへ立てかけた。端が土に少し入った。柱のその高さだけ、木の色が薄い。去年からそこに立てかけている。
「上のまん中は、藁を足したところがまだ黒い。乾くまでは、上がるな」
「上がりません」
「上がるやつがいるんだ。毎年な」
ヨナスは手のひらを二度打ち合わせて、木屑を落とした。それから上の道へ戻っていった。声は坂の上のほうまで続いた。こっちに言っているのではない。
井戸の縄は、水を一杯かけたぐらいでは戻らなくなった。二杯かける。二杯目は縄の下側へ回してかける。凍るのは、いつも下側からだ。
畑のあいだの道は、朝に踏むと音がして沈む。前は昼のうちに戻っていた。いまは夕まで硬い。硬いほうが担ぐには楽だ。桶が振れても、足がとられない。
一軒ぶんを運びおえて、鶏に餌をやった。水は娘の家の水瓶から汲む。井戸より近い。餌の入れものは干し場のわきに置いてある。動かすと、三羽とも先にそっちへ行く。
昼を回ったころ、村長が坂を上がってきた。上着は着ていない。息が上がっている。上まで一息で来たらしい。
「使いの人だ。おまえに用があるとよ」
「いま行きます」
村長の家の前に、馬がいた。一頭で、荷は無い。鞍の上に、たたんだ布が一枚のせてある。
ローレンツは戸口から出てきた。旅装の上に、もう一枚重ねている。前に見たときは着ていなかったものだ。袖の先だけがこすれている。手綱を持っていた側だ。
「直さん。主家からまいりました」
「ローレンツさん」
「お伝えすることがございます」
「うかがいます」
「つむぎさんのことを、またお訊ねになった方がございました」
「またでしたか」
「またでございます」
前と同じ人かどうかは、この人にも分からないという。取り次いだ者が、前とは別だそうだ。別の者が受けたぶん、言葉は書き取ってある。書き取ったものを、この人は読んできている。
「何を訊かれましたか」
「何ができるお子か、と。訊かれたのは、その言葉のままでございます。先方からも、それ以上は承っておりません」
俺は、いま聞いた言葉をもう一度、頭のなかへ置き直した。三つではない。一つだ。
「主家は、なんと答えましたか」
「お答えしておりません」
「答えなかったんですか」
村長が戸口のところで足を止めた。
「お名と、お年と、村のことは、お答えするものでございます。できますことは、お答えしておりません。家のことでございますので」
「前のときは、答えたと言いましたね」
「答えました。訊かれたのが、名と年と村でしたので」
「なぜ、できることは答えないんでしょう」
「答えるものと、答えないものが、家によって決まっております。主家では、できますことは答えません。どこまでが家のことかは、家ごとに違います」
馬が首を下げた。前足を一度替えて、また止まった。柱に手綱をひと巻きしてあるだけだ。結んでいない。
ローレンツは、はじめに立った場所から動いていない。足もとの土は、踏み固まらずに乾いたままだ。手は腰の前で合わせている。紙は持っていない。
「名は、まだ下りてきませんか」
「下りてまいりません」
「こちらへ人が来る話は」
「出ておりません。出ましたら、お知らせにまいります。今日も、そのつもりでまいりました」
こっちから足せる条件は無い。俺が増やせるのは、知らせてもらうことだけだ。
「訊かれたことは、答えても答えなくても、こちらへ教えてください」
「承ります。主家へも、そのように申し上げます」
ローレンツは鐙の革を一つぶん詰めた。指を入れて、あいだを見た。それから足をかけた。上がると、腰を鞍の前へ入れた。
馬は坂の下で、前と同じように東へ向いた。蹄の跡は、乾いた土に浅くしか残らない。
村長が門のところから戻ってきて、坂の下を見た。
「答えたのか」
「今度は、答えなかったそうです」
村長は口をすぼめた。それから、置き場のほうへ顎をやった。
「三度目の日の前に、文乃さんの紙を見せてもらう。何が先か、決め直す。明日の昼前でいいか」
「今日、伝えます」
坂を上がりながら、聞いたことを並べ直した。
名も、年も、村も答えた。できることは、答えなかった。
伏せてもらった、と読める。外へ出さないと決めた、とも読める。同じ一つの返事だ。どちらなのかは、あの人に訊いても出てこない。決めているのは、あの人ではない。
井戸の前で桶を持ち替えた。夕のぶんだ。上の段の家は、器を出したままにしてある。中身が減っているのは、耳の遠い人のいる家のほうだ。使う量は、こっちの都合では動かない。
戸をあけると、炭のにおいがした。文乃は台の奥へ紙を寄せて、こっちを見た。台の手前に、書きおえた一枚がある。端が汚れないように、字のあるほうを下にしてある。
「使いの人が来た」
「……つむぎのこと?」
「無事だ。そっちじゃない」
「主家に、つむぎのことをまた訊いた人がいる」
「……こんども、名前と、年と」
「今度は、何ができる子か、だ」
文乃は炭を持ったまま、手を膝の上へ下ろした。炭の先は、紙に触れていない。触れれば、そこに点が残る。
「……答えたの」
「答えなかった」
文乃は炭を台へ置いた。置いた音がした。
「名前と年と村までは答える。できることは答えない。家のことだから、と言っていた」
「……家の」
文乃は台の上の紙を一枚だけ手前へ引いた。指で端をそろえて、そのまま置いた。手を離してから、もう一度端を見ている。ずれてはいない。
「……つむぎは、知らないのね」
「知らない」
「……知らせる?」
次に人が来るのは、季節の節目だ。書いて渡しても、向こうへ着くのは四日か五日あとになる。読むのは、そのあとだ。返事が村へ来るまででは、その倍になる。
「あの子は、書いたぶんを数える」
「……数えるわね」
文乃は写しかけの紙を裏返して、束のあいだへ入れた。入れた場所に指を挟んだままでいて、それから抜いた。抜いたところから下が厚い。書きおえた紙が下へ溜まる積み方で、上へ足していくやり方ではない。
次に人が来るまでには、日がある。
夕方、鶏を入れた。小さいのから入れる。逆にすると、外で騒ぐ。
娘の家の干し場の竿が、片がわの受けから浮いていた。夏に取り込んだきりだ。受けの下へ木を一つ噛ませて、まっすぐに戻した。雪が乗ってからでは、手間が要る。竿そのものは折れていない。受けのほうが先に痩せた。
村長が明日来ることを言うと、文乃の目は、紙の行から動かなかった。
「……朝じゃなくていいの」
「昼前だ」
文乃は行の頭へ炭を戻して、続きを書きはじめた。
外へ出た。風が止まっている。
土のにおいが上がってこない。冷えは、朝のとは底が違う。指の先ではなく、耳のうしろから来る。息が、目の高さより上まで行かない。
軒の下の薪を、乾いたほうから土間へ運んだ。二日ぶんある。三日ぶん入れると、奥の濡れたほうへ手が届かなくなる。運んだあとの軒の下は、前より広く空いている。
鶏の桶は、いつもは洗って戸のわきへ伏せておく。朝にそのまま使える。
俺は、外の桶を軒の内へ入れた。




