うちの水は、いまはおとうさんが汲んでいる
目があいた。上のほうに、木が二本通っている。
うちの屋根は、三本だ。
起きて、上着を着た。おとうさんとおかあさんは、まだ寝ている。おかあさんの手だけが、布の外に出ていた。
戸をあけた。外は暗い。息が白くなって、すぐに消えた。
うちの戸までは、わたしの歩幅で二十歩ある。今朝は、数えないで歩いた。
「さむい」
言ってから、走った。走ると、走ったぶんだけ息が上がる。
うちの戸は、下のところがふくらんでいる。持ち上げてから押すと、あく。行くまえと、同じだ。
においが薄い。煙が、しばらく入っていないにおいだ。中は外より暗い。土間の土は、乾いて白くなっている。
竈のところへ行って、しゃがんだ。棒を灰に入れて、下から寄せる。赤いところは、どこにも出てこない。
細い枝を先に入れて、上へ手を向けた。下のほうが赤くなってから、太い薪を渡した。
「よし」
外へ出た。うちの屋根から、煙が出はじめている。となりの屋根からは、出ていない。
鶏の囲いをあけた。三羽が、もう起きている。いちばん小さいのが、わたしの足の先まで出てきた。
「まだ寝てると思った」
囲いの横の桶に、水が入っていた。ふちの近くまで来ている。三羽が、かわりばんこに首を入れた。
干し場の竿には、なにもかかっていない。夏に取り込んだきりだ。竿の下の草が、わたしの足首まで伸びている。ここは、いつも踏んでいたところだ。竿を押してみたら、片がわの受けから浮いた。
中へ戻って、水瓶の蓋を横へずらした。水は、口のすぐ下にあった。わたしが指を入れると、はじめの節までが濡れた。
手を出しかけて、下ろした。蓋を、もとの向きに戻した。合わせ目のところが、すこしずれた。
「あとは、なんだっけ」
棚のいちばん上に、板が置いてある。行くまえに、わたしがここへ置いていった板だ。炭のほうは持っていった。線は、引けない。
板をうら返して、また表に戻した。うらには、線が一本も無い。
棚の、そのとなりは空いている。あずかりものは、ぜんぶ返してある。
いちばん小さいのが、桶の横で足踏みをしている。
坂を下りた。走ってもいいくらい、乾いている。まん中のへこんだところが、深くなっている。
井戸のところで、桶の音がしていた。
「つむぎちゃん」
下の家のおばさんが、縄を手繰る手を止めた。
「帰ってたのかい。いつだい」
「きのうの夕方」
「そうかい。いつまでいるんだい」
「六日か、七日」
「あっという間だねえ」
「大きくなったねえ」
「わかんない」
汲んだぶんを、縁の桶へ移している。両手で持ち上げて、こぼさないように傾けた。
「水はね、いま、あんたのおとうさんに運んでもらってるよ」
「知ってる」
「朝と夕方に、一軒ぶんずつ来るよ。助かってるよ」
井戸の縁に、桶が二つ伏せてある。朝に鶏のところで見たのと、同じ形をしていた。
「つむぎ」
坂の下から、子が二人上がってきた。走っていたのが、わたしのところで歩きになった。
「馬車、うちの前とおったよね」
「とおったよ。門のところで下りたの」
「乗ってるとき、なにしてるの」
「箱をおさえてるの。石のところで、前に出てくるんだよ」
「宿って、どこで寝るの」
「上のへやだよ。下で話してるのが、聞こえるの」
「がくえんに、鶏いる?」
「いないよ」
「いないんだ」
二人とも、黙ってしまった。わたしは笑った。鶏で黙るとは思わなかった。
「板、まだあるよ。まんなかの割れたやつ」
「もう、すべったの?」
「まだ。雪、降ってないもん」
そういえば、いちども降っていない。地面が、日に日に硬くなっていくだけになっている。
「あとで行く」
子は、二人とも走って下りていった。
置き場の横から坂を上がった。南のがわの筵は、編み目が黒くなっている。行くまえは、置き場の床が見えていた。
水路には、水が落ちていない。冬のあいだは、止めてあるらしい。下から見ると、木が丸い。上手のほうまで、ずっとつづいている。中を覗くと、底に落ち葉がたまっていた。
上の段まで戻るあいだに、二軒から声をかけられた。どっちも「つむぎちゃん」だった。訊かれたのは、どっちも、いつまでいるのかだった。
畑の段は、土しか無い。行くまえは、まだ穂が立っていた。刈ったあとの株が、段のはしまでならんでいる。
日の落ちるすこし前に、うちへ戻った。
戸は、閉めてあった。朝、出るときはあけておいたのに。
持ち上げて、押した。竈に火が入っている。細い枝が、朝より減っている。
「サナ」
「戻ったのね、つむぎ」
座るところは、ずっとまえから決まっている。サナが戸のがわで、わたしが竈のがわだ。
ならぶと、サナの肩が、わたしの目のところに来る。行くまえは、耳のあたりだった。
サナの上着は、前があいたままだ。おとうさんも、下の家のおじさんも、この時期はひもで留めている。
「さむくないの?」
「平気よ」
襟が、外へ折れている。
「あのね、馬車、四日だったよ。三ばん寝たの」
「長かったわね」
「行くとちゅうに、わきへ入る道が三つあったよ。ぜんぶ、あの道から出てるの。先に行った人は、いるんだって」
「帰りも四日か、五日だって。雨だと、のびるの」
「あのね、あっちはね、壁も石なの。木のところが、どこにも無いんだよ。火も、入れないの」
「石だと、冷えるでしょう」
「うん。朝は、廊下がいちばん冷たいの。ミナはね、足を先に布の中へ入れてから、上まで引っぱるんだよ。わたしのは、はしが出ちゃうの」
「字はね、塾のとおなじだったよ。板じゃなくて、紙に書くの。紙は、一枚ずつもらうんだよ。おかあさんに手紙も書いた。みじかくするといいって、ミナが教えてくれたの」
「そのミナって子と、同じ部屋なのね」
「それでね、朝ごはんのあと、いちばん奥のへやに呼ばれるの。ひとりだけ。呼ばれたら、詠唱をやるの」
「毎日なの?」
「うん、毎日。詠唱ってね、」
口が止まった。
「ことばなの。水を出すまえに言うの。みんな、言ってから出すんだよ」
「呪文は、まだみっつのところまでなの。切るところが、みっつあって、はじめのが起こすところで、つぎが水で、」
水のつぎが、出てこない。
「言うと、はんぶんで止まるの。器の、まんなかのところまで」
「先生は、それで合ってるって言うの。水のほうは見ないんだよ。口だけ見てるの」
両手で、器のかたちを作ってみせた。作ってから、くずした。
「あ、やってみせる」
棚から器を出して、土間へ置いた。器は、わたしの両手にちょうど入る大きさだ。
手を向けようとして、口のほうが先に動いた。
「アド・ウェニ」
あとは、飲みこんだ。
手を向けた。水が出て、ふちの下まで来たところで、手を下ろした。
サナは、その上へ手を持ってきた。かけるぶんは、わたしが足した。
こすってから、サナは膝の布で指を拭いた。
「がくえんの水は、溜める日にしか出さないの。ほかの日は、下働きの人が井戸から運ぶんだよ」
「けさ、地面が硬かったよ。霜だね」
「そうね。けさは白かったわ」
「あっちは、霜が来てなかったよ。石だから、外より中のほうが冷たいの」
サナは、立ちあがった。戸をあけて、外へ出ていった。閉まるとき、下のところが鳴った。
夕飯は、となりで食べた。
おかあさんが、鉢の蓋をあけて、わたしのぶんをよそった。台の上の鉢は、行くまえより数がふえている。手前は蓋がしてあって、奥のほうは口があいている。どれにも、小さい紙がはさんである。奥の一つだけ、紙が二枚ある。
「……明日の朝は、寝ててもいいのよ」
「起きる」
「じゃあ、起こすわね」
おとうさんは、椀を置いた。
「明日は、上の段から回る。桶は二つある」
「行く」
「北のはずれは、あさってだ。あそこは、坂の下から回ったほうが早い」
「うん」
「棒、二本になってるね」
「一本を休ませる。そのぶん、長くもつ」
紙が、台のはしに出ていた。おかあさんは、いちばん下の行に日づけを書いて、その下をあけたままにした。
「じゃ、もどるね」
おかあさんは、上着のひもを、わたしの首のところで結び直した。
おとうさんは、戸をあけて、外を見てから、下がった。
「朝、桶のところで待ってる」
二十歩のあいだ、下だけ見て歩いた。
うちの火は、まだ赤かった。灰でふさいで、朝に下から出せるようにしておく。
布と藁は、棚の下にある。わたしの寝るところは、行くまえのままだ。
寝るまえに、水瓶の蓋を、また横へずらした。
水は、朝のところから下がっていなかった。




