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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第七章 秋、帰る日を数える

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わたしは毎日、なんのことばを言っているんだろう

 戸が、閉まっていた。

 この部屋の戸は、いつもあけたままだ。閉まっているのを見たのは、はじめてだった。

 押すと、下のはしが石にあたって、途中で重くなる。あいたぶんだけ、わたしは体を入れた。うしろ手に、また押した。手をかけたところは、ざらざらしている。まわりより、色が濃い。

「今日から、閉めます。風が通りますので」

 ゾフィー先生は、片方の袖を下ろした。腕が、そこで隠れた。

 字と数が終わってから、わたしはここへ来る。廊下は、来たころより暗い。突き当りまで行くと、自分の足の音しか無くなる。

 この前までは、戸があいていて、下の声がここまで来ていた。今日は、来ない。

 この部屋で水を出したことは、一度もない。やるのは、えいしょうだけだ。

 床に膝をついた。まるいあとを、また数えた。八つだ。ふえても減ってもいない。膝の下の石は、前よりあたたまるのが遅い。

「では、三つ、続けてください」

 はじめに、息を多く入れた。三つぶんより、すこし多くだ。

「アド・ウェニ。アクア・エス。ウルナ・ディミ」

 しまいまで行って、息がすこしあまった。

「よくできています。今日は、はじめの息が足りていました」

 ゾフィー先生の目は、わたしの口から動かない。手のほうは、今日も見なかった。

「ねえ、寝るまえにもやってるよ。声は出してないの。ミナが起きちゃうから。布のなかで、息だけでやるの。そしたらね、三つ目のところで一回、間があくんだよ。いつも、おなじところであくの」

「はい。あきます。いま、そこで一度考えています。考えないで言えるようになれば、あきません」

「かんがえてる」

「考えています。身についていないところで、かならずあきます」

「ねえ、じゅもんって、これでぜんぶなの」

「先は、あります。今日は、意味を教えます」

「いみ」

「はい。あとで習うと言いました。今日からです」

 ゾフィー先生は、わたしの前へ来て、膝を折った。目の高さが、同じになった。

「はじめの一つが、起こすところです。どの魔法でも、ここから入ります」

「おこす」

「起こします。二つ目が、何を出すかを決めます。あなたのは、水です」

「みず」

「三つ目が、どれだけ出すかです。いま入っているのは、器の半分ぶんです」

 聞きながら、指を折った。わたしの指は、三つで止まった。

「三つ目のはじめは、すこし強く言います。ここが弱いと、どれだけ出すかが決まりきりません」

「きまらないと、どうなるの」

「出るのは、決まったものだけです。決めてから、出します」

 言い直した。三つ目のはじめを強くすると、そのあとが早くなる。

「もう一度です。強くしても、長さは変えません」

 もう一度言った。

「はい。それです」

「アド、って、なに」

「区切りで覚えてください。ことば一つずつには、分かれていません」

「じゃあ、ウェニは」

「同じです。二つで、一つの区切りになります」

「だれが決めたの、これ」

「昔から、そう言うことになっています。だれが決めたかは、伝わっていません」

「ゾフィー先生は、なんて言ってるか知ってるの」

「わたしも、区切りで覚えました。習ったときから、そうです」

「ふうん」

 入れ物のほうが先だ、と前に言われた。入れ物は、もう入っている。入ったところへ、いま意味が置かれた。

 どこが何を決めるかは、分かった。ことばのほうは、分からないままだ。

「これ、字で書ける」

「いまは、耳で覚えてください」

「もういっかい、言っていい」

「どうぞ」

「アド・ウェニ。アクア・エス。ウルナ・ディミ」

 言いながら、はじめが起こすところ、つぎが水、つぎが半分、と思った。切れるところは、ずれなかった。

 詠唱は三つのままだ。四つ目のところは、まだ空いたままになっている。ふえたのは、言いながら思うことのほうだった。

「ねえ、はんぶんのところを、ちがうことばにしたら、もっと出るの」

「はい。量のことばは、ほかにもあります。それも、この形が入ってからです」

「かたち」

「形です。いま入れているのが、その形です」

「じゃあ、よっつめは、いつもらえるの」

「教えていません。三つ目が身についてからです」

「ついてから」

「はい。言えるだけでは、まだです。いつでも同じところで切れるようになったら、教えます」

「どれくらいで」

「人によります」

「よっつめにも、意味あるの」

「あります。教えるときに、いっしょに言います」

「ふうん」

 立ち上がった。膝のうらが、じんとしている。

「水は、まだ出さない」

「はい。溜める日のほかは、出しません」

「ここ、戸を閉めたら、あったかくなるの」

「すこしだけです」

「うちはね、火があったから、戸を閉めるとあたたかかったよ。ここ、火が無いね」

「そのぶん、厚く着てください」

「明日も、同じ時間です」

「わかった」

 出るときも、戸を閉めた。うしろで、中の音が急に遠くなった。


 廊下を戻った。字と数の部屋の前には、もうだれもいない。板の字は、消してあった。

 階段の下まで来たところで、わたしを呼ぶ声がした。

「つむぎ」

 ふり返った。

 実技試験のとき、列のうしろにいた子だった。名前の紙を見上げた日にも、わたしのうしろにいた。

 上着は、ふちのぶんだけ厚みがある。腕を下ろしても、そこにしわが寄らない。同じところでも、わたしのはすぐしわになる。

 その子は、わたしの前まで来て、止まった。走ってきたのではないらしい。息の音がしない。

「唱えなくても出るって、ほんとう」

「出るよ」

「毎日?」

「毎日だよ。ここでは出さないけどね。うちにいたときは、朝と夕方にやってたの。あのね、きょう、意味をおしえてもらったんだよ。はじめのところが、起こすところで、そのつぎが水で、それから、」

 言っているあいだに、その子はわたしの横を通っていった。

 つづきは、口のなかに残った。まだ、名前を訊いていない。

 話が途中で止まっても、べつに困らない。あとでミナに言えばいい。

 その子の靴の音は、下まで行っても聞こえていた。うしろから見ても、ふちのところだけは、すぐ分かった。

 下の広いところは、もう暗くなりかけていた。日の落ちるのが、来たころより早い。壁の紙のところに、まだ何人か立っている。読んでいるのか、待っているのかは、分からない。


 部屋に戻ると、ミナが寝るところに座っていた。布のはしを首まで引き上げて、あごをのせている。

「きょう、呪文の意味をおしえてもらったよ」

「ふうん」

「みっつぶん。はじめのと、水のと、はんぶんの」

「そう」

「ミナも、なにか言うの」

「わたしは、言わないよ。魔法の授業に行かないもん。父さんも、うちは字と数で足りるって言ってたし。だから、そっちのことは分からないの」

「そっか」

 もう一つ、言っていないことがあった。

「階段のところで、知らない子に訊かれたんだよ。唱えなくても出るって、ほんとうって」

「なんて答えたの」

「出るよ、って」

 ミナは、こしを浮かせて、座り直した。

「どの子」

「あのね、上着のふちが、しわにならない子」

「エルマでしょ」

「エルマ」

「エルマだよ。下で名前を呼ばれてるのを聞いたの。はじめは聞きまちがいかと思ったの。でも、そのあともう一回、おなじように呼ばれてたから、それでおぼえた。おぼえた?」

「エルマ」

「うん、エルマ」

 膝の上で、板をうら返した。かえるまでのぶんの棒は、うらの半分まで来ている。朝に一本ずつ足す。数えるのは朝だけにしてある。夜に足すと、次の朝に足したかどうかが分からなくなる。ミナは数えない。父さんがそう言ったからだ。それでも、こっちはやめていない。

「きょう、書き方のときにね、紙のいちばん上に、先に名前を書くって教わったの。まちがえても、その紙はもう替えられないでしょ。だから、名前だけは、いちばんはじめに、いちばんていねいに書くんだって」

「ミナのは、きれいだもんね」

「わたしはね、人の名前も先におぼえるようにしてるの。顔からおぼえると、うしろを向かれたときに分からなくなるでしょ。名前だと、呼ばれてるのが聞こえるから、あとでたしかめられるの。ね?」

「うん」

 言われてみると、そうだった。

「エルマは、名前を先に呼んだよ。こっちは、まだ知らなかったのに」

 ミナは、あごを上げた。

「名前はね、呼ばれてるのを聞いてたら、おぼえるの。つむぎのだって、みんなおぼえてるよ」


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