「わからないことは、よっつになった」と、娘の紙にあった
「直さん。うちのも、見てくれるかね」
声は、坂の下から来た。下の家の戸が半分あいていて、中から煙が細く出ている。
「明日、下りたときに見ます」
「急がなくていいよ。まだ夜は冷えないから。去年見てもらったとこは、冬のあいだ何ともなかったよ。助かった」
「壁の下は、霜の前に見ます。凍ってからでは、土が練れません」
「それじゃ、頼むよ」
取り入れは三日前に済んだ。今年の見回りは、そこから出ることにしてある。
置き場の前を通った。袋の面は、あれから動いていない。胸のあたりで止まっている。南の風よけの筵は、杭で留めたままだ。上のはしの結びを引いてみると、そのまま締まった。
屋根は、去年俺が替えた垂木のところだけ色が違う。下から見ると、藁の垂れ方はそろっていた。北の隅も、濡れた跡が下りてきていない。
見るところは去年と同じにした。屋根、壁の下、薪、それから戸。上の段の三軒を先にして、北のはずれへ上がる。下の二軒は、坂を下りたついでに回る。
上の段のまん中の家は、屋根の南の面が痩せていた。上から下へ、帯のように一筋だけ薄い。日の当たる面から先に来る。
「葺き替えるのかい」
「足せば足ります。上から重ねます」
「頼むのは、いつがいいんだろうね」
「ヨナスさんの手が空くのは、木を出したあとです。それまでに藁を分けておいてください」
板に書いた。屋根、上の段のまん中、藁。そこまで書いて、隣へ回った。
隣は、薪が地面に直に積んであった。
「下から湿ります。何か噛ませてください」
「板が無いよ」
「石でも足ります。束の下に、二つずつ」
石を拾って、束を持ち上げた。下の二段は、もう色が変わっている。抜いて、乾いたほうを上へ積み直した。濡れたぶんは、離して立てて並べた。
「去年は、こんなに湿らなかったよ」
「去年より、雨のあとが長いです。軒の下でも、乾くのに二日かかっています」
北のはずれへは、井戸の前を通って、木のあいだを抜ける。
次の朝、道具を持って上がった。鑿と槌と、砥石。木の切れ端を三つ。それに縄を一本。筵は、丸めて肩へ掛けた。
戸を叩いた。内側で、鍋を下ろす音がした。
「まだ言うのかい」
「今日やります。日のあるうちに終わります」
「押せば動くと言ったろう」
「押して動くうちは、埋めれば直ります。動かなくなると、戸ごとこしらえることになります」
「……知らないよ。あたしは頼んじゃいないからね」
戸は縄で吊ってある。上の結びをほどいて、外した。壁へ立てかけ、下に木の切れ端を噛ませる。土へ直につけると、木口から吸う。
敷居は、右のはしが沈んでいた。手を当てると、そこだけ湿っている。爪を立てると、爪が入った。秋のはじめに見たときより、指の腹の半分ぶん深い。
鑿には、掘る前に砥石を当てた。当てると、屑の切れ方が変わる。
「なにしてるんだい」
「刃を研いでいます。切れないと、まわりの木がつぶれます」
沈んだところを鑿で掘った。柔らかいところは色が違う。押して戻らなくなるまで掘ると、穴は指三本ぶんの長さになった。底は硬い。そこで止めた。
減っていたのは、押して開けるほうの側だった。押せば、戸の下のはしがそこへ乗る。乗るところが濡れていれば、木のほうが先に負ける。軒の落ちる先が、ちょうどその上にあった。
木の切れ端を、穴の寸法に合わせて削る。長さは掘ったぶんより気持ち長く、幅は少しきつくする。きつすぎれば割れる。削っては当て、当てては削った。三度目で、指で押しても入らなくなった。
槌で叩き込んだ。頭の出たぶんは、鑿を寝かせて落とす。上の面を手のひらでなでて、引っかかるところをもう一度落とした。
「風が入るよ」
「筵を垂らします」
縄を鴨居に渡して、筵の上のはしを結んだ。下は石で押さえる。垂らしたぶん、土間は昼でも暗い。
戸を建てて、下の隙間を見た。右のはしだけ、隙間が無い。埋め木のほうが高い。外して、また落とした。二度目で、左右とも指の先が入るようになった。戸のほうは削らずに済んだ。削れば、こんどは上に隙間が来る。
建てて、押した。動かない。引くと、上のところが擦れる。上の縄をほどいて、掛け直した。掛け直したら、擦れなくなった。
「もう直ったのかい」
「夕方に、また見ます」
昼は、筵の外で食べた。食べ終わるころ、筵の内に湯呑みが一つ出ていた。中は熱かった。
午後は、奥の家の敷居も見た。こちらは沈んでいない。踏むところが違う。戸の前に板が一枚置いてあって、みんなそこで足を落としている。
去年、上のほうを塗り足した壁も見ておいた。土の色の違うところは、まだ硬い。指で押しても粉が出ない。動くのは二年目のことが多いと聞いている。今年は、動いていない。
日の傾くころ、手前の家の戸をもう一度建てた。
「音がしなくなったね」
「敷居が減っていました。減ったぶんを埋めました」
「あたしは頼んじゃいないよ」
「そう伺いました。二軒を見ておくようにと、村長から言われています」
「ふん」
筵を外して、たたんだ。内側は、朝より暗い。
「しばらくは、押さないでください。押すと、埋めたところから先に減ります」
「引けばいいのかい」
「引いてください。掛けたところが下がったら、また来ます」
道具を袋へ入れた。坂を下りるころには、木のあいだが暗くなっていた。
家の前で、村長が待っていた。片手を懐へ入れている。
「来た」
「主家からですか」
「昨日、人が来た。おれのところへ置いて、朝に発った。泊まりは一晩だ。届けるだけの用は、一晩で発つ」
懐から、布の包みを出した。紐は、ほどいたあとがある。
「二枚ある。一枚は、つむぎちゃんのだそうだ。学園を出てから、日を置かずに来たと言っていた」
「預かります」
上の一枚をひらいた。字が細い。行と行のあいだが詰まっている。読ませるためではなく、写して残すために書いた紙だ。
いちばん上に、学園の名があった。その下から、役目の名と数が並んでいる。
教える者が四十一人。そのうち七人は、外から呼ばれて来ている。子供の側につく者が九人。紙を受け持つ者が二人。
数を足した。ぜんぶで五十二人だ。
日にちのところを探した。日にちは、どこにも無い。
「日にちが書いてありません」
「そういう決まりが無いんだろう。届いた日なら、そっちで足しておけばいい」
学ぶもののところは、一行きりだった。前に見たのと同じ行だ。
役目の名は、どれも読めた。人の名は、一つも書いていない。
上から下まで、もう一度通した。増えたぶんは、無かった。
「何か分かったか」
「人の数が分かりました」
「そうか」
紙を四つに折り直して、俺の懐へ入れた。
「来ると言ったものは来た。来たものには、訊かれたぶんだけ書いてある。書く者は、訊かれていないことまでは書かん」
村長は坂のほうを向いた。
「明後日、木を出す。ヨナスが人を集める。あんたの手はいらん。上の段の藁は、そのあとだ」
言い終わってから、村長は坂を下りた。
土間へ入った。文乃は、干し場から鉢を運び入れているところだった。
紙を出した。
「つむぎからだ」
文乃は前掛けで手を拭いてから、受け取った。鉢を台の奥へ動かして、そこへ紙を置いた。
はじめの行に、おとうさん、とある。次の行が、おかあさん、だ。字は大きい。しまいへ近づくほど大きくなって、行も詰まっていた。
げんきです、とあった。かぜはひいてない、とあった。
三行目に、字の上から線を引いたところがある。線はまっすぐだ。すぐ横に、書き直してある。書き直したほうは、棒がそろっていた。
「……ここ、直してあるわ」
「線が、まっすぐだ」
その下の行に、わからないことは、よっつになった、とあった。
よっつめが何かは、書いていない。
「……よっつ」
文乃は、その行を二度読んだ。それから、しまいまで読んだ。
しまいには、かえるまでのことが書いてあった。数えている、とある。朝に一つずつ増やしているのかどうかは、書いていない。
文乃は紙をもとのとおりに折って、自分の紙の束のあいだへ入れた。それから束のいちばん上をひらいて、日づけだけを書いた。
「……返事は、いつ出せるのかしら」
「村長に訊く。あちらから人が来るときに、預かってもらう」
外は暗くなっている。灯りを板のところへ持っていった。
板の上のほうは、夏のままだ。二行が、形だけになって木に残っている。
鉋を出した。刃を少し出して、紙の来たほうの行へ当てた。ひと当てでは、字が薄くなるだけで消えない。二度、三度と当てるうちに、字のあったところが白くなった。削り屑を払い、下の面も払った。
もう一行には、当てなかった。
二行のうち、一行だけ消した。




