わたしは、はじめての手紙にかぞえていることを書いた
紙を、両手で受け取った。
ミナが、重ねてあるところから一枚だけ抜いて、こっちへよこしたものだ。ふつうの授業に配られるのより、うすい。指ではさむと、向こうの手が透けて見えた。
「うちに書くんでしょ」
「なんで分かるの」
「みんな書くもん。来たばっかりのころが、いちばん書くの」
ミナは、残りをそろえて、寝るところのはしへ置いた。
「いっぱいあるの」
「ある。うち、紙をつかううちだから。足りなかったら言ってね。でも、はじめは短いほうがいいよ。長く書くと、向こうも長く書くの。そしたら、返ってくるのが遅くなるの。父さんが、そう言ってた」
「みじかくする」
「うん、みじかく」
膝の上でのばした。しわは、押さえると消えた。書くのは、あとにした。何を書くかが、まだ決まっていない。
朝、鐘が七つ鳴った。下へ行くと、もう子供がいた。かたまっているところのわきを通った。声が止まった。通りすぎてから、また始まった。
階段の下で、実技試験の列でうしろにいた子とすれちがった。その子は、こっちを見てから、壁のほうへ寄った。ぶつかるほど近くはなかった。
廊下では、大人が二人、話しているところを通った。前を通ると、話がやんだ。角を曲がってから、また声がした。何を言っているかは、分からない。
実技試験の日から、そういうことがある。
前のほうで、名前を呼びはじめた。
「つむぎ」
呼ばれたとき、前の子たちが先にふり返った。呼んだほうを見るより先に、こっちを見た。
右の戸へ入った。ふつうの授業は、いつもと同じだった。紙が一枚ずつ配られて、前の板に字が書かれて、それを写す。となりはミナだ。
「わたしね、きのう、実技試験受けたよ」
「どうだった」
「ふつうだった。……つむぎのときは、どうだったの」
「水、出した」
「ふうん」
ミナは、自分の紙に目を戻した。それから、こっちの紙を横から見た。
「あ、その字、線が上に出てる。ここまででいいの」
「ここまで」
「うん、ここまで」
直した。ミナのと同じ形になった。
ふつうの授業が終わってから、名前を呼ばれた。
呼ばれたのは、わたしだけだった。
廊下のいちばん奥まで歩いた。戸は、あいていた。
器は、もう無い。石の床に、まるいあとが八つ残っていた。まんなかのところだけ、まわりより白い。しゃがんでさわってみると、かたさはほかと同じだった。
ゾフィー先生は、先に来ていた。袖のところを留めてから、こっちへ来た。
「今日から、はじめます。詠唱からです」
「えいしょう」
「はい。声に出します。はじめは、みじかいところだけです」
ゾフィー先生は、ゆっくり言った。実技試験の日に前の子たちが言っていた、そのはじめのところだ。
「アド・ウェニ」
ひと区切りで止めて、同じところをもういちど言った。
「アド・ウェニ」
それから、次を言った。
「アクア・エス」
「言ってみてください」
言った。
「よくできています。ただ、二つ目が長いです。同じ長さにします」
言い直した。長さをそろえた。
「はい。息は、はじめに入れます。途中で足すと、切れます」
「いきをいれる」
「吸ってから、言います」
吸ってから言った。さっきより、しまいまで持った。
「そうです。いまのを覚えてください」
「このじゅもん、なんのことばなの」
ゾフィー先生は、袖のところを直した。
「ことばです。意味は、あとで習います」
「意味、あるの」
「あります。ただ、はじめに入れるのは形です。形が入っていないと、意味を置くところがありません」
「置くところ」
「そうです。入れ物のほうが先です」
「これ、おぼえたら、どうなるの」
「正しくなります」
「いまは、まちがってるの」
「まちがってはいません。順序が、まだです」
口の中で言ってみた。二つ目までは入る。三つ目から先は、まだもらっていない。
「毎日、この二つだけを言ってください。声は小さくてかまいません。水は、出さなくていいです」
「出しちゃだめなの」
「決められたところと、決められたときだけです」
朝の紙に書いてあったのと、同じだった。
「わかった」
「では、明日も同じ時間に」
ゾフィー先生は、机のほうへ体を向けてから、袖のところをまた留め直した。
廊下は、行きより長く感じた。歩きながら、言ってみた。歩幅に合わせると、切れ目のところでちょうど足が着く。着いたところで切ると、長さがそろった。
うしろから来た子に、追い越された。口を止めた。すぎてから、また言った。
部屋の戸までで、四回言えた。
うちから持ってきた炭が、まだある。短い炭を一本取った。
まちがえても、替えの紙はない。一枚きりだ。
声に出してから書くことにした。言うと、何を先に書くかが出てくる。
紙のはしを指ではさんで、行のところを決めた。上を指二本ぶんあけて、そこから書く。あけすぎると、あとが足りなくなる。
「なに書くの」
ミナが、寝るところの上でこっちを向いた。
「げんきです、って」
「それだけ?」
「あと、かぞえてるって書く」
「なにを」
「かえるまで」
いちばん上に、おとうさん、と書いた。その下に、おかあさん、と書いた。二つで、紙のはしまではいかなかった。
げんきです、と書いた。かぜはひいてない、とも書いた。
ここのじは、じゅくのじとおなじだった、と書いた。書いてから、じゅく、のところを見た。棒が一本たりない。
「線、ひくの」
「まちがえたから」
上から線を引いて、横に書き直した。線は、まっすぐ引けた。
「まっすぐだね」
「まっすぐでないと、だめなんだって」
わからないことは、よっつになった、と書いた。よっつめが何かは、書かなかった。長く書くと、返ってくるのが遅くなる。
ミナのことも書こうとした。ミナ、の字が分からない。訊けば教えてくれる。でも、訊いたら、書くまえに読まれたのと同じだ。やめた。
かえるまでを、かぞえてる、と書いた。しまいに、つむぎ、と書いた。この形は、いちばんはじめに覚えた。
ローレンツが、季節の節目に人がまいります、と言っていた。そのときに渡せばいい。
半分に折って、もう半分に折った。自分の布の下へ入れた。
「読んであげようか」
「いい」
「じゃあ、いい」
ミナは、紙の重ねてあるほうへ手をのばして、はしをそろえ直した。
次の日の夕方、下の広いところに人がたまっていた。
決まりの紙のとなりに、もう一枚ふえている。行が四つの紙より、ずっと大きい。
「見えない」
「肩、どいてよ」
前のほうから、そんな声がした。子供の頭のあいだから、はしのところだけ見えた。
そこだけ見ても、字が細いのは分かった。決まりの紙の字より細くて、しまいが跳ねている。速く書いた形だ。
うしろで待った。だんだん減って、いちばん前まで行けた。
貼ってあるのは、頭よりずっと上だ。見上げていると、首がだるくなる。いちばん上の行だけ、ほかより字が大きい。口の中で読んだ。
じつぎしけん。すこし空いて、けっか。
「上から三つ目、だれ」
「知らない」
「読めないの」
「読めない」
「上から順番なんでしょ、これ」
「できた子から書いてあるんだって。みんな言ってる」
うしろのほうで、そんな声がした。その下は、名前だった。ひとつの行に、ひとつずつ。
いくつか、知らない形がまじっている。そこは飛ばして、あとで拾った。拾えると、たいてい分かった。いちばん下の行だけ、ほかより字がつまっている。書くところが足りなくなったみたいだ。
自分の名前をさがした。行のはじめに、知っている形が三つある。つ、む、ぎ。塾ではじめに覚えたのが、この三つだった。
あった。いちばん上だ。
指をのばしてみたけれど、とどかなかった。つま先で立っても、とどかない。
「そこ、いつまでいるの」
「いま行く」
ミナの名前もさがした。下のほうにあった。
名前の行を数えた。二十三あった。
実技試験は、わけるものだった。行く子と、行かない子をわけるんだ、とミナが言っていた。
紙は、分かれていなかった。線も入っていない。あいだも空いていない。上から下まで、ひとつづきだった。
「にじゅうさん」
声に出した。うしろにいた子が、こっちを見た。
実技試験の日に、まだ呼ばれていなかった子だ。上着のふちが、光って見えた。ほかの子のところは、光らない。
その子は、名前をさがさなかった。わたしの立っているところを見て、それから紙のいちばん上を見た。それから、また目を戻した。わたしは場所をあけた。その子は、動かなかった。
下がってから、もういちど見上げた。
よめた。よんだら、みんなの名前が、ならんでいた。




