門から戸のところまで、わたしは八十二歩あるいた
石の門だった。
柱が二本立っていて、上のところで、横にわたした石がつないでいる。近づいて手を当てたら、日の当たっているほうだけ、あたたかかった。反対がわは冷たいままだ。両手で、いっぺんにさわってみた。
「かたっぽだけ、あったかい」
ローレンツは、荷台から箱を下ろしているところだった。
門の内がわは、土ではなかった。石が敷いてある。リューデンの道の石より、一枚が大きい。継ぎ目につま先を入れようとしたら、入らなかった。
門から、建物の戸のところまで歩いた。八十二歩あった。うちから井戸までは六十歩ぐらいだ。それより長い。
もういちど門まで戻って、やり直した。今度は八十四歩になった。行きと帰りで、歩幅がちがったらしい。
「どっちだろ」
「日の落ちるまえに、済ませてしまいます」
箱は、ローレンツが持った。わたしは、うしろから行った。
石の上を歩くと、音が返ってくる。土だと返ってこない。かかとで強く踏んでみたら、壁のほうから、おなじ音がすこし遅れて来た。二回踏んだら、二回来た。
「音が、返ってくるよ」
建物は、ぜんぶ石だった。横に長い。上にもう一段のっていて、そこにも窓がならんでいる。
戸を見た。大きい戸が正面に一つ。その右に、小さい戸が四つ。左にも四つある。角を曲がったところにも、戸は続いていた。曲がった先までは、ここからは見えない。
村の家は、戸が一つだ。おとうさんの家も一つ。塾も一つ。
「戸が、いくつもあるね」
ローレンツの背中が、正面の戸のほうへ行った。
門のところに、べつの馬車が入ってきた。子供が下りて、大人が荷を下ろしている。その子は、下りてすぐ建物を見上げた。上まで見て、それから下まで見た。さっき、わたしも同じことをした。
中は、外より暗かった。窓が高いところにあって、光がななめに落ちている。
ローレンツは、入ってすぐ右へ行った。だれにも訊かなかった。角のところで、わたしが訊くより先に曲がった。
机が一つあって、人が座っていた。
ローレンツは紙を出した。いちばん上の一枚だけを取り、上のはしを持って、下が机につくまで下ろしてから手を離した。紙は、音を立てなかった。
「アドラー家からまいりました。つむぎさんでございます」
机の人は、紙を読んだ。読みおわってから、わたしのほうを見た。
その人の指は、はしのところが黒かった。おかあさんの指も、書いた日はそうなる。
「名は、自分で言えるかい」
「つむぎ」
「聞こえない」
「つむぎ」
その人は書きはじめた。書いている字は、わたしのほうから見ると、さかさまだった。さかさまだと、知っている形かどうか分からない。首を横にしてみたけれど、それでも分からなかった。
「さかさま」
机の人は、書いたものを持って奥へ入っていった。
待っているあいだ、天井を見た。うちの天井より、ずっと高い。太い木が横に渡してあって、そのあいだに石がはまっている。下から見ると、平らだった。
うしろで戸のあく音がした。人が入ってきて、そのまま奥へ行った。足の音が、天井のほうへ広がって、それから消えた。
ローレンツの手には、まだ渡していない紙があった。字のあるほうが内がわになっていた。
「なんでもしってるんだね」
「昔、ここにおりました」
「ここに?」
「私が習ったのは、字と数と、書き方だけでございます」
言ってから、紙を持ち替えて、右手を空けた。
「ふうん」
わたしは、机の上を見ていた。さっきの字が、まだ気になっている。
「あのね、さかさまだと、知ってる字でも分かんないよ。塾のは、ぜんぶこっち向きだった」
机の人が戻ってきて、上の段へ行くように言った。部屋は上だという。
「持てるかい」
「持てる」
ローレンツは、箱を階段の下まで運んで、そこへ置いた。
「季節の節目に、人がまいります」
「うん」
「では」
ローレンツは、戸のところで向き直った。それから出ていって、戸を手で押さえ、音のしないように閉めた。
わたしは箱を持ち上げた。両手でないと持てない。
階段は石で、まんなかがへこんでいた。同じところばかり踏むと、石でもへこむらしい。
上にも戸がならんでいた。はしから三つ目をあけたら、中に、先に来ている子がいた。
部屋には、寝るところが二つあった。窓が一つ。壁ぎわに、水の入った瓶が置いてある。
女の子は、片方の寝るところに布をひろげていた。背は、わたしと同じくらいだ。顔を上げた。
「ここ、いっしょの子だよね。わたし、ミナ。リューデンから来たの。名前、言える?」
「つむぎ」
「つむぎ。うん、覚えた」
ミナは、ひろげていた布をたたみ直しはじめた。はしとはしを合わせて、それから半分にする。
「あのね、リューデン通ってきたよ。三日目の昼まえ。字がいっぱいあった。板が下がってて、高いところのは大きくて、低いところのは近くまで行かないと……あと、門から戸まで八十二歩あった。ちがう、二回目は八十四だった」
「どっちが本当?」
「わかんない」
「じゃあ、明日もういちど歩いてみたらいいよ。三回やって、二回おなじだったほうが本当だって、父さんが言ってた」
「三回」
「うん、三回」
「いま行ってくる」
「もう暗いよ」
わたしは箱を下ろした。
「どこから来たの」
「村。馬車で四日。リューデンより、ずっと向こう」
「わたしのうちからは、近いよ。朝に出たら、その日のうちに着くの」
ミナは、たたんだ布を寝るところのはしへ置いた。置いてから、こっちを見た。
「荷は、下に入れるといいよ。上に置いておくと、掃除の人が動かすの。動かされると、どこへいったか分からなくなる。わたし、きのう上に置いておいて、動かされたから。だから、下」
「わかった」
わたしは箱を寝るところの下へ入れた。入れてから、引き出して蓋をあけた。炭は割れていなかった。手本の板も、字がこすれていない。もとに戻して、また下へやった。
「明日は、朝に鐘が鳴るの。鳴ったら、下へ行くの。下で待っていると、名前を呼ばれるの。分かった?」
「うん」
「そのあとが、ふつうの授業。字と、数と、書き方。ここまでは、みんな行くの」
「ここまでは?」
「うん。そのあとに、魔法の授業があるの。行く子と、行かない子がいるの」
ミナは、そこでいちど手を膝に置いた。
この子は、言いおわるたびにこっちを見る。見てから、次を言う。先生は、そうしなかった。
「わたしは、魔法の授業は、ないよ」
「そうなんだ」
「父さんが、字と数と書き方ができれば足りるって。うち、帳場だから」
「ちょうば」
「お店の、お金と品物を書くところ」
「つむぎは、字、書ける?」
「書ける。板と、灰に」
「灰?」
「うすく敷いてあるんだよ。指で書く。書いたら消して、また書く」
「紙じゃないんだ」
「紙は、村にはあんまり無い」
ミナは、しばらく考えていた。
「こっちは紙だよ。紙は消せないから、はじめに頭の中でぜんぶ作ってから書くの。父さんがそう言ってた」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶ」
わたしは、窓のところへ行った。外は、もう青くなっている。下のほうで、まだ人が歩いていた。荷を担いだ人と、手ぶらの人がいる。担いだ人のほうが速い。
夜になった。寝るところに座って、足を下ろしていた。うちの寝るところより高い。ぶらさげても、つま先が床につかない。
それから、立った。水瓶のところへ行って、蓋をあけた。いっぱい入っている。手を入れてみた。冷たい。
瓶は、うちのより小さい。両はしを持って、すこしだけ浮かせてみた。中の水がいちど寄って、戻った。
部屋を見まわした。竈は無い。落とす火も無い。戸をあけた。外の音は、さっきより減っている。戸を閉めた。
「火、ないんだ」
ミナは、もう横になっていた。こっちを見ていない。
この時間には、火に灰をかけている。それから、鶏が三羽そろっているのを見て、うちへ入る。手が、なんとなく動いた。持つものが無かった。指をひらいて、閉じた。
やることが、一つも残っていない。へんなかんじがした。
「なにしてるの」
ミナが、寝るところから顔を上げた。
「見てる」
「なにを?」
「水」
ミナは起きてきて、瓶の中を覗いた。それから蓋をもとに戻した。
「それね、朝と夕方に、入れてもらえるの。下働きの人が桶で持ってきて、そこへ足していくの。わたし、きのう見てた」
ミナは、わたしの顔をいちど見た。
「へやのみずは、くんでこなくていいんだよ」




