道は、わたしの村で終わっていなかった
おしりの下が、ときどき浮いた。
石を踏むと、荷台がひとつ跳ねる。跳ねたあとは、しばらく細かくふるえている。板の上に藁が敷いてあって、その上に布が重ねてある。それでも、下から来るものは来る。
手をつかずに座っていたら、だんだん横へずれていった。ずれきったところで壁に当たって、そこで止まる。何回かやって、まんなかがいちばん揺れないと分かった。
幌の合わせ目から、外が見えた。木と、草と、また木。おなじものが、うしろへ流れていく。ときどき畑がある。畑があると、そのむこうに屋根がある。
馬は二頭いる。首の振り方が、そろっていない。片方が先に振って、すこし遅れてもう片方が振る。ときどき、二つがぴったり合う。合った回数を数えていたら、十七で分からなくなった。
「十七」
「いま、そろったよ」
声に出しても、だれも何も言わなかった。村だと、だれかが何か言う。
幌のなかには、もう一人乗っている。村へ迎えに来た人だ。前のほうに座って、膝に板をのせて、その上で紙に書いている。こんなに揺れているのに、字が曲がっていない。書いた紙は、下のほうへ入れていく。ときどき顔を上げて、前を見る。上げても、すぐ紙へ戻る。
昼に、いっぺん止まった。馬に水をやるあいだ、外へ出ていていいと言われた。
地面に下りたのに、まだ揺れている気がした。立っているだけなのに、足が勝手に動く。道のわきの草のところに座って、おさまるまで待った。桶で水をやっているのを、そこから見ていた。一頭が飲んで、もう一頭が待っている。待っているほうが、前足で地面をかいた。
「その子、待つの、きらいなんだ」
「そうだ」
馬をひいている人が言った。それから、桶を持ち替えた。
「うちの鶏もそう。いちばん小さいのが、いちばん待たない。でも、いちばん強い」
「そうか」
「これ、なんの草」
「馬が食う草だ」
その人は、もう一頭のほうへ桶を移した。それきり、何も言わなかった。
することが、なくなった。寝るか、数えるか、外を見るか。飽きたら次にして、また飽きたら次にする。そうしているうちに、日が高くなって、また低くなった。
みっつめの答えが出た。馬車のなかで、なにをしているのか。ずっと分からなかったのに、乗ったら半日で分かった。
一晩目の宿は、道のわきにあった。二晩目も、おなじような建物だった。どちらも、下が土間で、上に部屋がある。一晩目は、いつもの時間に目がさめた。外はまだ暗くて、下でも上でも、だれも動いていなかった。
二日目は、すこし雨が降った。幌の内がわに、水の粒がならんだ。落ちてくるかと思って見ていたけれど、落ちてこなかった。
三日目の昼まえに、車輪の鳴り方が変わった。土の上では、ごろごろ言う。ここは、かたかた言う。外を見たら、地面に石がならべてあった。石と石のあいだが、ぴったりくっついている。
人が増えた。歩いている人。荷を担いだ人。立って話している人。馬をひいている人が声を出すと、歩いていた人がよけた。
においも変わった。焼いたもののにおいと、けもののにおいと、それから、知らないにおい。
子供が三人、走って横を抜けていった。ひとりだけ、こっちを見た。手を上げてみたら、上げ返してきた。上げ返してから、その子も走っていった。
両がわに、店がならんでいた。店の前に、板が下がっている。ひもで吊るしてあるのもあるし、柱に打ちつけてあるのもある。どれにも、字が書いてあった。わたしは立ちあがった。
「東の町だ」
「リューデンでございます」
馬車の人が言った。言いながら、書くのをやめなかった。
「リューデン」
二回言ってみた。二回言うと、覚えられる。
「ここの店、ぜんぶで、いくつ」
「存じません」
「町にも、名前があるんだね」
「ございます」
「おじさんのも、ある?」
「ローレンツでございます」
そのあとは、また紙のほうを見ていた。
わたしは、うしろのすみから箱を引き寄せて、蓋をあけた。手本の板が、いちばん上にある。それをよけて、下のほうから、じぶんの板と、布に包んだ炭を出した。
読めたら、上に線を引く。読めなかったら、下に引く。そう決めて、はしから見ていった。塾で習った字が、すぐにあった。二本の棒のあいだが、ちゃんとあいている。上に線を引いた。
次の板は、まるい形が三つならんでいた。三つとも知っている。声に出したら、音になった。音にはなったけれど、意味は分からない。それでも、読めたことは読めた。上に引いた。知らない形は、下に引いた。知らない形のとなりには、たいてい、知っている字がならんでいる。
ゆれるから、線が坂になった。まっすぐ引こうとすると、もっと坂になる。そのうち、引くのが追いつかなくなった。
「まって」
馬車は待たなかった。
店は、行っても行っても終わらなかった。曲がっても、また店があった。高いところに下がっている板は、字が大きい。低いところの板は、近くまで来ないと見えない。
町は、思っていたよりずっと長かった。抜けるまで、ずっと字があった。抜けたら、また土の道になって、車輪がもとの鳴り方に戻った。
三晩目の宿に着いたときには、もう日が落ちていた。部屋は上にあった。板の壁で、窓が一つある。毛布はかたい。手で押すと、押したところが戻ってこない。
村では、暗くなると音がなくなる。ここは、暗くなってからも音がしていた。人の声。戸の音。馬の足の音。近くではないのに、よく聞こえる。
目をつぶって、数えた。村の外で寝るのは、これで三回目だ。数えても、目はさえていた。
前にも、こういう夜があった。
熱を出したことがある。まだ水瓶の縁に手がとどかなくて、踏み台に乗っていたころだ。
あたまが熱くて、足のさきが寒かった。寝ているところが、ゆっくり回っている気がした。目をあけても、暗いままだった。
その晩は、サナがいた。サナは水を汲んできて、布を濡らして、しぼって、わたしのひたいにのせた。濡れた布がのると、そこだけ楽になる。しばらくすると、ぬるくなる。ぬるくなるころに、また替えた。何回替えたかは、数えなかった。
起きあがれなかった。サナは器を持ってきて、口のところまで下ろした。
『飲む』
わたしは飲んだ。半分こぼした。こぼれたところを、サナが拭いた。
足のさきを、かけてある布のなかへ引っこめた。
『さむい』
サナは、上に布をもう一枚かけた。かけてから、はしを下へ折り込んだ。足のほうも折り込んだ。
夜中に目がさめた。火が消えていなかった。サナは焚き口の前に座っていて、こっちを向いていなかった。背中だけが見えた。
朝、目をあけたら、外が明るかった。サナは、わたしのひたいに手を当てた。
『下がった』
それだけ言って、外へ出ていった。そのあとのことは、おぼえていない。たぶん、また寝た。
宿の天井は、うちの天井より高かった。目がなれてくると、板のならびが見えた。板は、ぜんぶで十一枚あった。数えおわったら、眠くなった。
朝、下へ下りたら、ローレンツが先に外にいた。馬車の横に立って、地面を靴の先で押していた。押してから、すこし場所を変えて、また押した。それから乗った。
朝の道には、こっちへ来る馬車もいた。すれちがうとき、車輪と車輪が近くなって、それから離れる。荷を積んだ馬車が多い。空の馬車は、速い。
上りにかかると、馬をひいている人は下りて、馬のとなりを歩いた。上りのあいだは、乗らない。
道は、まだ続いていた。うしろを見ると、通ってきた道が細くなって、草のところで見えなくなる。前を見ると、おなじように続いている。町も、村も、どこにも見えない。
ふたつめは、まだ分からない。終わるところが、四日たっても出てこない。
「今日の、昼をすぎるころに着きます」
ローレンツが言った。
「着いても、道は終わらないよね」
返事はなかった。かわりに、紙をそろえる音がした。
わたしは板を出して、線を数えた。
上の線と、下の線を、はしから順に。ゆれていたから、どれも坂になっている。数えおわってから、もういちど、上だけ数えた。
よめる字のほうが、おおかった。




