↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第六章 夏、学園へ発つ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/72

くらべるための板を、先生がわたしにくれた

「その字は、きょう出す」

 先生が、壁の紙のほうへあごを向けた。

 壁の紙は、いちばん上に大きい字が三つ。その下は、小さい字でうまっている。上の二つは春に読めた。三つ目だけが、見ても音にならないままだった。

「夏までって言ったよ」

「言った。だから、きょうだ」

 先生は炭を持って、壁の板の前に立った。書いているあいだ、背中で板が隠れた。書きおわってから、こっちを向いた。

 わたしは、板の字と紙の字を、目で行ったり来たりさせた。おなじ形だった。

「おなじだ」

 立って、紙のところまで行った。近くで見ると、字のまわりに、うすい丸がいくつも付いている。前に、だれかが指でさわったところだ。

「さわるな」

「さわってない」

「跡が見える」

「わたしのじゃないよ」

「おれのでもない」

 座って、灰に書いた。上の棒から引いた。書いてから、もういちど紙を見た。

 上の三つが、ぜんぶ読めた。

「よめた」

「言ってみろ」

「き、ま、り」

「そうだ」

「きまり?」

「そこに書いてあるのが、塾のきまりだ」

 わたしは、下の小さい字を見た。まだ、ぜんぶは読めない。

「先生。下のほうは、なんの話」

「自分で読め。そのために来てる」


「つむぎ、行くんだろ」

 うしろの子が言った。

「行くよ」

「いつ」

「秋」

「秋って、すぐじゃん」

「すぐだって、おかあさんも言ってた」

 となりの子が、灰から顔を上げた。去年から来ている子で、わたしより大きい。

「うちのとうさんは、東の町まで馬で二日だ」

「もっと先だよ。馬車で四日か、五日」

「五日か」

 その子は、指を四本立てて、それから五本にした。立てたまま、しばらく見ていた。

「とおいな」

「とおい」

「かえってくるのか」

「かえってくる。季節ごとに」

「ふうん」

 その子は指を下ろして、次の字を書きはじめた。

「向こうにも、塾みたいなのがあるの」

 うしろの子が訊いた。

「あるって」

「灰に書くのか」

「わかんない」

「灰じゃなかったら、なんに書くんだよ」

「わかんない」

 三人で、しばらく考えた。だれも分からなかった。

「手が止まってる」

 先生が言った。わたしたちは、書いた。


 昼まえで終わりだった。帰りに、井戸のほうから呼ばれた。

「秋に行くんだってねえ」

 おばさんは、綱を手繰っているところだった。

「うん」

「遠いねえ」

「馬車で四日か、五日」

「そりゃあ遠い」

 桶が上がってきて、井戸の縁に当たって鳴った。おばさんは、両手で持ち替えた。

「帰ってくるのかい」

「季節ごとに」

「そうかい」

 おばさんは、それから水の話をした。今年は、下がるのが去年より遅いという話だった。


 塾は、夏のあいだも毎朝あった。

 三つ目を習ってから、紙の下のほうも読めるようになった。小さい字は、上の三つより形が細かい。はじめは、行の頭しか拾えなかった。拾えるところが増えると、飛ばすところが減った。飛ばしたぶんは、そのつど訊いた。訊くと、先生は板に書いてくれる。書いてもらったのは、灰に三回書いた。

 朝は、まだ土間が冷たい。昼にちかづくと、奥の竈のほうから、ぬるい風が来る。座るところは、日ごとに前へ行った。わたしは、だんだん早く来るようになっていた。

「また、いちばんか」

「いちばん」

 数のほうもやった。数は、覚えるのが少ない。それでも、まとめて書くところでまちがえる。

「そこだ」

 先生は、まちがえたところだけを指でさす。さされたところを直すと、あとは合っている。

「なんで、そこだけ分かるの」

「毎年、そこでまちがう」


 紙のいちばん下まで読めた日、わたしは、はしから声に出して読んだ。

 灰は、ならしてから書くこと。吹かないこと。箱は、重ねて置いていくこと。おくれた子は、うしろに座ること。

「知ってた」

「知ってても、書いてある」

「なんで」

「あとから来た子が読む」

 わたしは、はじめて来た日のことを思い出した。あの日は、いちばん後ろだった。あの日は、読めなかった。


 その日、帰るときに呼ばれた。

「つむぎ」

「なに」

 先生は、重ねてある箱の下から、板を一枚出した。うすい板だった。片面いっぱいに、炭で字が書いてある。ならびは、習った順だった。

「持っていけ」

 受け取ったら、思ったより重かった。両手で持って、戸口の明るいほうへ向けた。字は、はしまでぎっしり入っている。

「これ、なに」

「手本だ」

 先生は、板のはじのところを指でさした。

「向こうの字が同じなら、いらん。違ったら、これで比べろ」

「おなじじゃないの?」

「知らん。おれは行っていない」

 先生は、壁の紙のほうを見た。

「同じなら、はじめからやらんで済む」

 わからないことの、ひとつ目だ。数えはじめてから、まだ答えは出ていない。

「ありがと」

「平らにして、上へ置いていけ」

 わたしは、箱の灰に手のひらを当てて、押した。それから、重ねてある上に置いた。


 帰るまでのあいだを、数えることにした。

 行くのは秋だ。帰るのは季節ごとだと言われた。指を二本立てて、あいだを見た。秋のつぎは冬だ。あいだに、ほかの季節は入らない。だから、ひと季節ぶんだ。

 その日のうちに、おとうさんの家へ行って、順に言った。

「水は、二軒ぶんだよ」

「ああ」

「うちのは坂の上だから、井戸から二回」

 おとうさんは、書きつけの板を出した。

「担ぐ棒を出す。両はしに提げれば、一回で上がる」

「一回」

「一回だ」

 おとうさんは、板に何か書いた。わたしは横から見た。数のところは読めた。字のところは、はじめの一つだけ読めた。

「あってる?」

「合ってる」

「火は、落としていく」

「ああ」

「でも、サナが帰るかもしれないから、枝は置いとく」

「置いとけ」

 うちへ戻って、焚き口のところに、細い枝をそろえて置いた。太い薪は、その横に立てた。すぐ組めるように、長さもそろえた。

 鶏は、三羽いる。朝に出して、夕方に入れる。

「鶏も、たのむ」

「ああ」

「いちばん小さいのが、いちばん先に入るよ。あとから入れると、けんかになる」

「先に入れる」

「そう。あと、いちばん小さいのは、桶のふちに乗るよ。乗っても、なんにもしないから、そのままでいいよ」

「乗るだけか」

「乗るだけ」

 おとうさんは、板に、鶏、と書いた。数は書かなかった。三羽なのに、と思ったけれど、言わなかった。


 あずかりものは、一つだけ残っていた。下の家の豆だ。

 鉢を抱えて坂を下りていったら、下から声がした。

「持ってこなくていいのに」

 下の家のおばさんだった。畑の縁のところに立っていた。

「返す」

「まだ入ってるじゃないか」

「うん。でも、こっちに置いていくものだから」

「そうかい」

 おばさんは鉢を受け取って、中を覗いた。

「豆は、豆のままだねえ」

「うん」

「いつまで保つんだい、これ」

「わかんない」

 おばさんは笑った。

「じゃあ、早めに使うよ」

 それから、少し黙って、鉢を持ち直した。

「ひと季節、いないのかい」

「うん」

「長いねえ」

「長い?」

「長いよ」

 おばさんは、坂の下のほうへ歩いていった。途中でふり返って、もういちど言った。

「帰ってくるんだろ」

「帰ってくる」

 坂を上がりながら、数えた。

 水が二軒。火が一つ。鶏が三羽。あずかりものが一つ。

 どれにも、やる人がついた。ついていないのは、あずかりものだけだ。あれは、わたしが帰るまで、たぶん誰も持ってこない。


 夜、となりへ行って、箱を出してもらった。

「板、入れる」

 おかあさんは、蓋を横へ置いた。

 中は、前に入れたままだった。着るものが二枚。ひもが一本。板が一枚。炭が三つ。炭は布に包んで、いちばん下にしてある。

 わたしは、手本の板を上に置いた。置いてから、いちど出した。うすい板だ。下に入れると、上のものに押されて、字がこすれる。

 いちばん上に、字のあるほうを上にして置いた。

 おかあさんは、台のところから見ていた。

「……入るのね」

「入った」

 おかあさんは、近くへ来て、板を持ち上げた。字のならびを、はしから目でたどっていた。それから、同じ向きで箱へ戻した。

「あのね、先生が書いてくれたの」

「……そう」

「向こうのと、くらべるんだって」

 おかあさんは、指を一本のばして、板のはしについた炭を払った。払ったぶんが、指の腹に付いた。おかあさんは、それを拭かなかった。

 蓋をのせたら、ちゃんと下りた。

 わたしは、指で押さえながら、中を数えた。

 箱の中身は、八つになった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。