わたしが行くりゆうは、ふたつあった
鶏が、桶のふちに乗った。
三羽のうちの、いちばん小さいのだ。ふちは細いのに、ちゃんと立っている。乗ってから下を覗いて、それから飛び下りた。桶にはまだ水が入っていない。
「水は、まだだよ」
桶を足で少し動かしたら、いちばん小さいのがまた乗った。動くほうが、たのしいらしい。
わたしは朝から数えていた。わからないことを数えている。数えても答えは出ないので、たまっていくのは数のほうだけだ。声に出すと忘れないので、出しながら歩いた。
「ひとつ。がくえんの字は、塾の字とおなじかどうか」
同じなら、いま覚えたぶんは、そのまま使える。ちがうなら、はじめからだ。おとうさんは、そこまでは聞いていないと言った。訊いても、あの人は知らないと言うだろうとも言った。
水瓶の蓋をどけて、手を向けた。手を向けているあいだは、ほかのことを考えられる。考えていたら、いつのまにか止めていた。止めてから、覗いた。ちょうどだった。
「ふたつ。馬車のきた道は、どこまで行ったら終わるのか」
四日か五日で終わるらしい。でも、終わったところから先にも、道はあるはずだ。あの道は村で切れていない。馬車は、上がってきて、また下りていった。切れているなら、下りていけない。
竈の口に、細い枝を先に入れた。上から太い薪を渡す。煙が出て、いちど目にきた。よけたら風の向きが変わって、また来た。
「けむい」
火がつくまで、しゃがんだままでいた。膝のところが灰っぽくなる。立ってから手ではらったら、はらったぶんが、戸口の日の中で光った。
竿のところへ行って、干したものをかけた。かけてから、下のほうを手で払った。日は、もう屋根の上まで来ている。鶏は、干し場のところまでついてきて、そこで止まった。
「みっつ。四日も馬車に乗っているあいだ、なにをしているのか」
寝るのだろうか。ずっと寝ていたら、着いたときに眠くないのだろうか。それとも、途中で降りて、歩くのだろうか。
坂の下まで下りていった。曲がりのところに、車輪の跡が二本残っている。片方は消えかけていて、片方は、まだ溝になっている。指を入れたら、いちばん先の節まで入った。
「ふかい」
跡の幅を、歩幅ではかった。二歩と、すこし。うちの戸の幅より広い。
跡は、曲がりの先で草に隠れていた。隠れたところから先は、ここからは見えない。
指は三つのかたちのまま、朝から止まっている。折ったところが、白くなっていた。
「四つ目」
言ってみたけれど、あとが続かなかった。
塾は、麦の忙しいあいだは休みだ。だから朝が少し長くて、そのぶん、数える時間がある。
あずかりものは一つ。手をかざして、五つ数えるあいだ、そのままにした。おとうさんの家のほうもやってから、うちへ戻った。戻ったら、サナがいた。
サナは戸のほうを向いて座っていた。
わたしは竈のほうを向いて座る。前からそうだ。だから、二人で話すときは、向かい合わずに横にならぶ。顔は、声のほうを見るときだけ動く。
棚から器を出して、よけてあったぶんを移した。サナは受け取って、膝の上に置いた。
「あのね、鶏が桶に乗ったよ。水が入ってないのに、覗いてた」
「いちばん小さいのでしょう」
サナは食べはじめた。
「あと、がくえんに行ってくる。とおいけど、季節ごとに帰るって」
「そう。決めたのね」
「塾は、麦のあいだは休みなんだって。だから朝が長いの」
「四日って、どれくらいだと思う?」
「鶏を四回出して、四回入れるくらいね」
言いながら、匙は動いたままだった。
「歩くと、もっとかかるんだって。おとうさんが言ってた」
「あずかりものは、豆。下の家の」
サナは器のほうを見た。
「これには、入ってないわね」
「それと、わからないことを数えてるの。いまは三つ」
「三つだけ?」
「うん。四つ目が、まだ出てこないの」
サナは食べおわると、器を膝から下ろして、両手を膝の上に置いた。それから、戸の外のほうを見ていた。外で鶏が鳴いている。鳴きやんでも、どっちも動かなかった。
夜、となりへ行った。
おとうさんは土間で縄を巻いていた。長いのを、腕に掛けて、手首で回して束にしていく。おかあさんは台のところにいて、紙は出していなかった。
わたしは、入ってすぐに言った。
「行く」
おとうさんは、巻いていた縄を膝に置いた。
「そうか」
「よめない字が、まだいっぱいあるから。それと、馬車のきた道の、さきを見てみたいから」
言ってから、二つだ、と思った。数えるときは三つあったのに、言うときは二つになった。
「行ってこい」
おとうさんはそう言って、それから、また縄を巻きはじめた。手は止まらなかった。
「合わなかったら」
「帰る」
考えなくても言えた。
「返事は、だれに言うの」
「村長に言う。そのあと、こっちから知らせる」
「わかった」
「なにを持っていく」
「わかんない」
「明日、箱を出す」
「はこ」
「麦の袋を入れてたやつだ。あれなら、まだ空いてる」
おかあさんは、なにも言わなかった。
次の日、おかあさんが箱を出してきた。
麦の袋を入れていた箱だ。中を拭いて、外へ出して、日に当ててあった。近づいて嗅いだら、粉のにおいが薄くなっていた。前は、蓋を開けただけで分かるくらいだったのに。
入れるものは、自分で決めていいと言われた。着るものを二枚。ひもを一本。塾で使っている板きれと、炭を三つ。炭は割れやすいので、布に包んで、いちばん下にした。
着るものは、入れたあとで、おかあさんがはしを内がわへ折り込んだ。折り込むと、箱のかどが出た。
「これ、いる?」
わたしは、まんなかの割れた板きれを持ち上げた。坂をすべるのに使ったやつだ。
「……向こうにも、木はあると思うわ」
「じゃあ、いらない」
棚のいちばん上の板は、置いていくことにした。字は、また書けるからだ。
「板は、こっちのを持っていく」
「……そう」
鉢は入れなかった。あずかりものは、こっちに置いていくものだ。
箱は、まだ空いていた。空いているところに何を入れたらいいのか、分からない。おかあさんは横で見ていて、何も入れなかった。
入れたものを、数えた。七つだった。
着るものが二枚、ひもが一本、板が一枚、炭が三つ。入れるものはあの子が選んで、私は横で見ていた。
紙のいちばん新しいところに、この十日ぶんが並んでいる。行き帰りの日数、帰ってくる時期、書き足してもらった一行。数と日づけばかりだ。引き止める理由を書こうとして、書けなかった。書けないものは、たぶん理由ではないのだと思う。
向こうでは、私ではない人があの子を見る。私ではない紙に書く。その紙を、私は見られない。見られる場所にいない。
だから、こちらの紙は続ける。あの子がいない日の紙は、たぶん短くなる。短くても、日づけだけは入れておく。空けたところが、そのまま、行っていた日になる。
箱の蓋は、押さえなくても閉まった。
荷は、ひと箱で足りた。




