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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第五章 春、塾に通う

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娘に訊く前に、俺は三つの条件を取った

「秋って、夏を越えたらすぐよ」

 文乃は台に紙を広げて、端を指で押さえていた。

「夏のあいだに決めることになる」

「……そうね」

 俺は板を出して、こちらから訊くことを書き出した。文乃は紙に、別のことを書いている。

 途中で覗いた。俺の板と文乃の紙には、一つも同じことが書いていなかった。

 俺のほうは、帰る時期。辞めて帰れるかどうか。行き帰りの人。持っていくもの。金の出どころと、その返し方。

 文乃のほうは、何を教えるのか。誰が教えるのか。魔法の使い方を教える、というのは何をさせるのか。同じ年の子が何人いるのか。うまくいかない子は、そのあとどうなるのか。

「二人で書くと、こうなるのか」

「……重なったら、どちらかが要らないもの」

 文乃が板を引き寄せて、書いたところを読んだ。それが済むと、こっちへ押してよこした。かどが、俺の手の甲に当たった。

「これ、訊いてくれる」

「訊く」

「……全部?」

「全部だ。答えないところが、答えになる」

 文乃は書く手を止めて、それから、紙のいちばん下にもう一行足した。

「……いちばん下のは、私が訊くわ」

「分かった」

 訊くことは二枚の紙にして、発つ前にローレンツへ渡した。ローレンツはその場で一度読んで、それから鞄の、書類を入れたのと同じところへ入れた。

「主家に持ってまいります。返事は、私が持って戻ります」

 馬車は二晩目の朝に出ていった。


 村長のところへは、その日のうちに行った。

 村長は石段の下にいて、段の上の土を手で払ってから腰を下ろした。

「行くのか」

「まだ決めていません。決める前に、村長に入っておいてもらいます」

「……断って、いいものなのか」

「断れるように書かせます」

「書かせる、か」

「書いてあれば、断れます」

 村長は足もとの草を一本抜いて、指のあいだで回した。

「入るのはいいが、おれは学のことは分からんぞ」

「分からないところは、俺も分かりません」

 村長は笑った。

「塾の先も、字の先も、ここには無いからな」

 言ってから、上の段のほうへ目をやった。

 水はどうする、と訊かれると思っていた。訊かれなかった。

「水は、元に戻るだけだ。前は、無かった」

 村長はそう言って、膝に手を置いて立ち上がった。

「種を出した日に、あんたが書いてた板があるだろう。あれは、置いていけ」

「置いていきます」


 ヨナスは切り株のところにいた。割った薪を軒の下へ運んでいる。蒔きのあとに出した木だ。

「聞いたぞ」

「早いですね」

「村長のとこに二晩も泊まれば、村じゅうが聞く」

 ヨナスは運ぶ手を止めなかった。俺は足もとに落ちた一本を拾って、積む先まで持っていった。

「おれの婆さんは、村から出たことがない。八十まで生きた」

「そうですか」

「出たやつも知ってる。あれも生きてる」

 それで終わりだった。ヨナスは次の一抱えを取りに戻り、そのあとは薪の乾きの話をした。


 十日あまりして、馬車がまた来た。

 今度は子供が集まらなかった。二度目だからだ。娘は畑の道を通って、そのまま上の段へ上がっていった。

 村長の家の土間には、前と同じように筵が敷いてあった。文乃も来た。紙を持ってきている。

「主家に伺ってまいりました」

 ローレンツは包みを開いて、紙を三枚並べた。並べ方は前と同じだった。三枚目の下のほうに、前には無かった行が増えている。

「お書き足しいたしました。合わないとお考えになったときは、いつでもお帰りいただけます。時期も、回数も、こちらからは決めません」

 俺は読んだ。同じ手で書いてある。足した行だけ、墨がまだ黒い。

「帰るときの、行き帰りは」

「こちらで出します。行きと同じです」

 俺は三枚目を村長のほうへ回した。村長は覗いた。それから、俺の顔を見た。

「……よく書かせたな」

 声は低かった。村長は紙を俺の手もとへ返した。

「季節の節目に帰る、というのは、誰が決めますか」

「決まった時期がございます。こちらの都合で動かすことはありません」

「麦の刈り入れと重なりますか」

「重なる年もございます」

「重なると、こちらは人を出せません」

「行き帰りの人は、こちらが出します。そこは変わりません」

 俺は板に、重なる年もある、と書いた。

「もう一つあります」

 俺は板に書いてあるうちの、最後の一つを見た。

「行き帰りも、入用のものも、主家が持つと書いてあります。そのぶん、うちは何を返すことになりますか」

 ローレンツは、並べた紙のいちばん上を、指の腹で一度だけ押さえた。

「……返していただくものは、書いてございません」

「書いていないものは、あとから増えます」

「増やす家ではございません」

「増やさない、と書けますか」

 ローレンツは、そこで一つ息を吸った。

「主家は、値打ちのあるものには、先に手を掛けます。掛けたぶんを、あとから取り立てる家ではございません」

 値打ち、と言った。俺は板に、その語を書かなかった。

「お書きします」

 ローレンツは三枚目の余白にもう一行足して、書きながら声に出した。

「奉公その他、返礼の義務を負わない」

「それで、けっこうです」

 文乃が紙を開いた。

「……教えるのは、どういう人たちですか」

「書いたものは、まだ主家から出ておりません」

 ローレンツは、すぐには続けなかった。

「国じゅうから集めた、いちばんの先生がたです。私が申し上げられるのは、そこまでです」

 文乃は書いた。書いてから、並んだ紙の一枚に指を置いた。

「……この行の、魔法の使い方というのは、何をさせるんですか」

「私は、その場を見たことがございません。紙にあること以上は、お伝えできません」

 文乃は、指を離さなかった。それから、その行を写した。

「……うまくいかない子は、そのあと、どうなりますか」

 ローレンツは、少し考えるふうをした。

「聞いておりません」

「……そう」

 文乃は、その答えも書いた。

「返事は、いつまでですか」

「秋の初めまでにいただければ。それより早ければ、こちらは助かります」

「今夜、娘に訊きます」

 ローレンツが、はじめて少し顔を動かした。

「お子さんに」

「訊きます」

 ローレンツは紙を集めた。三枚目だけを、いちばん上にして重ねた。


 夜、娘が水を出しに来た。

 出しおわってから、竈の口のところに座って、火を見ていた。俺は板を置いて、向かいに座った。

「つむぎ」

「なに」

「昼に来た人の話だ」

「うん」

 事実だけ並べた。遠いこと。馬車で四日か五日かかること。向こうで泊まること。すぐには帰ってこられないこと。季節の変わり目には帰ってこられること。字も、数の勘定も、塾よりずっと先まであること。

「行くか、行かないか」

 娘は火を見たままだった。

「決めるのは、つむぎだ」

「わたしが?」

「そうだ」

「おとうさんは、行ってほしい?」

 訊き返された。俺は薪を一本足してから答えた。

「行ってほしくはない。だが、行かせないと決めるのは、俺じゃない」

「ふうん」

「合わなかったら、帰っていい。帰ってきていい、と紙に書いてもらった」

「かみに」

「書いてある」

「見せて」

 俺は三枚目を出した。娘は膝に置いて、上から順に指でたどっていった。読めるところで指が止まって、それから、また動いた。

「これ、読めない」

「まだ習っていないところだ」

「ふうん」

 娘は紙を返して、立った。それから、また座った。

「かんがえていい?」

「夏のあいだは、待ってもらう」

「なつ」

「麦を刈ってから、暑いあいだだ」

「わかった。かんがえてから、言う」

 言ってから、指を折って、何かを数えはじめた。


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