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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第五章 春、塾に通う

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アドラー家の使いが、娘を学園へと言った

 坂の下で、車輪の鳴る音がした。石を踏む音が混じっている。蹄だ。二頭いる。

 俺は畑の縁で溝の泥をさらっていた。手を止めて、道の曲がりのほうを見た。幌を張った車が入ってくる。荷を積む形ではない。車輪が高くて、幅がある。轍の幅は、村の道より広い。この坂は上がれない。

 広いところの手前で止まった。御者が下りて、馬の口を取った。子供が先に集まった。走ってきて、少し離れたところで止まって、それから車輪のほうへ寄っていった。

 娘も来ていた。石段の上のところから見ている。下りてはこない。俺が、そこから目を戻すのに、間があった。

 村長が家から出てきた。上着を着ている。畑へ出るときのものではない。御者ではないほうの男と短く話して、男は村長のあとについて家へ入っていった。しばらくして、村長が戸口から顔を出した。

「直さん」

「はい」

「上がってくれ。あんたの家の話だ」


 村長の家の土間に、男が立っていた。

 入る前に、外で埃を払っていたらしい。肩が、まだ少し上下している。旅装は丈夫だが、上等ではない。靴は履き替えていた。年は、俺より一回りほど上に見える。

 村長が筵を敷いた。

「アドラー家の用向きを預かっております。ローレンツと申します」

 男は名乗って、頭を下げた。下げ方に無駄がない。

「杉本直です」

「直さん、と伺いました。そう呼ばせていただきます」

「その、アドラー家というのは」

 村長が先に答えた。

「この土地の、領主様だ」

 俺は村長を見た。村長はローレンツのほうを見たままだった。

「あんた、知らんで訊いたのか」

「知りません」

「……そうか。あんたはそうだったな」

 ローレンツが、あらためて頭を下げた。

「申し遅れました。主家は、アドラー伯爵家と申します。この村も、東のリューデンも、御領内でございます」

「リューデン」

「市の立つ町でございます。この村からですと、馬で二日かと。主家の蔵もそこにございます」

 村長が横から言った。

「うちの村が納めるのも、そこだ。リューデンの代官所へ、おれが持っていく」

「さようでございます」

「使いの人が村まで見えたのは、おれの覚えでははじめてだ」

「私も、この村ははじめてでございます」

 村長は上着の前を引いて、合わせを直した。

 ローレンツは肩の荷から布の包みを出して、紐をほどいた。中から紙を三枚、順に並べる。並べ方は決まっているらしく、迷わなかった。

「先に、こちらの用向きを申し上げます。それから、伺います」

「どうぞ」

「リンデ学園と申します。国と、いくつかの家が金を出しております。この国では、いちばん格が高いとされる学園です」

「そこに、うちが、どう関わりますか」

「主家は、お子さんをそこへ推薦したいと考えております。家の枠が一つございます。毎年、一人までと決まっております」

 村長が、筵の上で座り直した。

「なぜ、うちの子の話になるんですか」

「冬に、東の市で。よく回る話でした。水の絶えない村がある、と。主家は人をやって、確かめました」

 針の紙を畳んでいた手を思い出した。畳む手は、止まらなかった。

 あの行商人は、買うだけ買って帰った。売ったもののほうに、それが入っていたということだ。

 俺はあの日、話を切った。切ったところで、村じゅうが知っている。井戸端に半日いれば足りる話だ。

「確かめた、というのは」

「人をやりました。買い物をして、話を聞いて、帰らせました。村の方に伺えば、みなさん同じことをおっしゃいます」

「それは、そうでしょうね」

「隠しておられなかった。こちらとしては、それで足りました」

 悪びれてもいないし、誇ってもいなかった。仕入れの話をするときの声だ。

「何を教えるところですか」

「私は使いの者ですので、伺っております範囲で申し上げます」

 ローレンツは、そこで一度、言葉を置いた。

「字と、数と。それから、この国で通る書き方です」

「書き方」

「証文、帳面、届け。書きようが違えば、受け取ってもらえません。字が読めるだけでは通りません」

 突き返される書類のことなら、俺も知っている。

 知っているのは、俺のいたところの書き方だ。ここのものではない。

「出たあとは」

「家の帳面を任される者が多うございます。役所に入る者もおります。教える側に立つ者も」

 ローレンツは背を起こした。

「教える人たちのことは、次に参るときに、書いたものをお持ちします。私が申し上げると、間違えます」

「距離は」

「馬車で四日から五日です。荷を積まずに行った場合で」

「泊まりですか」

「寮に入ります。季節の節目には、こちらへお帰しします。時期は書いたものにございます」

「これまでに、その枠で行った子は」

「私の知るかぎり、四人です。みな、続いております」

 ローレンツは、紙を上から一枚ずつ俺のほうへ回した。回すとき、紙の向きを直してから押し出した。


 読むのに手間はかからなかった。字が大きく、行と行のあいだが空けてある。読ませるために書いた紙だ。

 紙を読むときの手は、本社のやり方に戻る。まず上から下まで一度通す。次に、日にちと数のところだけ拾って、横に並べて比べる。最後に足す。

「ゆっくりご覧ください」

 書いてあることは、こうだった。推薦する者の名。学園の名。入るのは今年の秋。行き帰りは主家が出す。入用のものも主家が持つ。帰るのは季節の節目で、そのたびに人をつける。

 その下に、学ぶものの項があった。字。数。証文と帳面。その次の行に、魔法の使い方を順を追って教える、とあった。

 俺は顔を上げた。

「この行は」

「はい」

「うちの子の、あれのことですか」

「私は存じません。紙には、そう書いてございます」

 あれの使い方を教えられる者は、村にいない。文乃にも、俺にも教えられない。

 数は合っていた。日にちも、前の行と後ろの行で食い違っていない。よく書けている紙だった。

 それから、書いていないほうを見た。行くことは書いてある。行ってからのことも、途中までは書いてある。帰ることも書いてある。

 やめて帰る、というのが無い。帰ってきて、そのまま行かない。そのことだけが、三枚のどこにも書いていなかった。

「一つ、伺います」

「はい」

「合わなかったときは、どうなりますか」

 ローレンツは紙のほうを見なかった。俺の顔を見ていた。

「そういう話は、これまでにございません」

「無いのは分かりました。書いていないことを訊いています」

 ローレンツは、指を紙の端に置いたまま、黙っていた。

「……私の一存では、お答えできません。主家に伺います」

「お願いします」

 俺は紙をそろえて、ローレンツのほうへ戻した。戻すとき、出されたときと同じ向きにした。

「家で話します。返事は、こちらから」

「けっこうです」

「それと、村長にも入っていただきます」

 村長がこっちを見た。

「おれが入って、どうする」

「村の話にもなります。人が一人、村から出ます」

「……なるな」

 村長は腕を組んで、それから、土間の外のほうを見た。

「遠いな」

「四日か五日だそうです」

「歩きだと、どれだけだ」

「歩く話は、していません」

 村長は鼻から息を出した。

「帰ってくるのか」

「季節の節目には、と書いてあります」

「なら、いい」

 それだけだった。村長はそのあと、麦の話をした。今年は溝を開けるのが早かった、という話だ。ローレンツは、そちらにも同じ調子で相づちを打っていた。村長の上着の前は、いつのまにか開いていた。


「お返事は、急ぎません」

 ローレンツは紙を集めて、順に重ねた。重ねる順番は、出したときの逆だった。

「二晩、村長さんのところに置いていただきます。そのあいだに、伺えることがあれば伺います。無ければ、そのまま発ちます」

 俺は板を出して、二晩、と書いた。

「一つだけ、先に申し上げておきます。主家は急いでおりません。急いでいるように見えたなら、それは私の不手際です」

 言い方は、値を下げるときの言い方に似ていた。

 ローレンツは立って、戸のところで袖を一度直した。外で埃を払ったときと同じ手つきだった。


 表へ出ると、日が傾いていた。

 広いところの馬は水を飲んでいた。桶が二つ置いてある。若い衆が汲んできたらしい。桶は村のものだった。

 子供はもういない。畑のほうで声がしている。

 娘は、石段の上のところにまだいた。座って、膝を抱えて、こっちを見ている。手は振らなかった。俺も振らなかった。

 溝の泥は、さらいかけのままだ。日のあるうちに済ませておきたい。

「直さん」

 呼ばれて、振り返った。

 ローレンツは戸口に立ったままだった。

「水の絶えない子、と伺っています」


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