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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第五章 春、塾に通う

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塾の一日と、はじめて書いたわたしのなまえ

「灰は、ならしてから書く」

 先生が言った。

 わたしは、膝の前の箱を手のひらでならした。平らになって、さっき書いたものが無くなった。

 箱は浅い木の箱で、中に灰が入っている。塾では、これに指で書く。

「ならしたか」

「ならした」

 みんなで言った。

 塾は、石段の下の、土間の広い家でやる。奥に竈があって、朝のうちは、まだ火のにおいが残っている。わたしたちは、その手前に二列で座る。早く来た子から前になるので、きょうは前から二番目だった。はじめの日は、いちばん後ろだった。

 先生は、壁に立てかけた大きい板に、炭で字を書く。ゆっくり書く。書きおわると、こっちを向く。

「これが、ひとつ」

 わたしは、指で、灰に同じ形を書いた。指の先が、すこし冷たい。

「そこ、上からだ」

 先生が、わたしの箱を上から見て言った。

「上から?」

「上の棒を先に引く。下から上げると、しまいがはねる」

 わたしは、そのとなりに、もう一回書いた。今度は上から引いた。

 ならべて見た。どっちがどっちだか、分からなかった。

 だから、次からは、書きやすいほうで書いた。

「これが、ふたつ」

 先生が、次のを板に書いた。さっきのに似ている。上のところがおなじで、下だけちがう。

「にてる」

 言ったら、先生は、下のところを炭でなぞり直した。

「ここが違う。だから、ここだけ見ればいい」

 似ているのは、おぼえやすい。ちがうところが、一つしかないからだ。

 三つ目までいって、それから、はじめから三つ、続けて書かされた。三つ目で、二つ目の下のところを忘れた。もう一回、見せてもらった。

「かずも書く」

 先生は、板のはしのほうに、べつの形を書いた。字より、みじかい。

「これが、ひとつ。これが、ふたつ」

 ふたつは、ひとつに一本足しただけだった。

「三つは?」

「もう一本足す」

「四つは」

「四つからは、まとめて書く。そのほうが、たくさんになったときに楽だ」

 わたしは、四つを灰に書いて、三つとならべた。ならべると、たしかにちがう。

 字より、こっちのほうが、おぼえるのが少ない。

 箱がいっぱいになると、手のひらでならして、また書く。

 となりの子が、息で吹いた。灰がふわっと上がって、前の子の背中に降りた。

「吹くな」

 先生が言った。

「手でならせ。吹いたら、みんなが灰をかぶる」

 前の子が、背中をこっちへ向けて、はらってくれ、と言った。となりの子は、笑いながらはらった。はらうと、また上がった。

 わたしは、下を向いて、自分の箱を手でならした。ならしながら、笑った。

 となりの子は、下の家の子だ。去年から来ている。わたしより大きい。

「はやいね」

「去年、やったやつだから」

「ぜんぶ、おぼえてる?」

「ぜんぶは、おぼえてない」

 その子は、そう言って、また書いた。書くとき、口が動いている。

「なんて言ってるの」

「言ってない」

「動いてるよ」

「動いてない」

 動いていた。


 昼まえに、おしまいになった。

 帰るときは、箱の灰をならして、重ねて置いていく。ならすと、書いたものは無くなる。

 わたしは、ならす前に、もういちど見た。それから、ならした。

「先生」

「なんだ」

「わたしのは、どう書くの」

「わたしの、とは」

「なまえ」

 先生は、わたしの箱を取って、平らにしてから、指で書いた。書きおわってから、箱をこっちへ回した。

 わたしは見た。それから、そのとなりに、自分でも書いた。

「そこは、逆だ」

 直された。もう一回書いた。今度は、しまいのところが長くなりすぎた。

 三回、書いてもらった。三回目で、見ないで書けた。

「おぼえたか」

「おぼえた」

「なら、消していい」

 消すのは、ちょっと惜しかった。でも、ならした。


 外は明るかった。土は、もう乾いている。

 坂を上がる途中で、下の家のおばさんに会った。桶を提げている。

「どうだい、塾は」

「灰に書くの」

「そうだったねえ。うちのも、去年は指が灰だらけで帰ってきたよ」

 わたしは、自分の指を見た。爪のところに、灰が入っていた。

「取れないよ、これ」

「取れるよ。そのうち」

 おばさんは笑って、坂を下りていった。

 わたしは、上がりながら、頭の中で、もう一回書いてみた。書けた。

 歩きながら書くのは、たのしい。手も、灰もいらない。

 書くと、わすれない。前に、坂で、そう言われた。

 書いたものを消しても、わすれないんだろうか。


 うちに戻って、水瓶に手を向けた。

 日が入っていると、中まで見える。水が来ているあいだは、底のほうがずっと動いている。動かなくなったら、いっぱいだ。

「いっぱい」

 言ってから、手を下ろした。

 竈に火を入れた。細い枝から、一本ずつ足していく。きょうは、すぐついた。

 外の干し物を先に取りこんだ。風があったので、はしのところが、ぱりぱりになっていた。一枚ずつはがして、腕にのせていった。

 棚には、あずかりものが一つある。手をかざして、中で五つ数えて、下ろした。

「ひとつは、すぐ済む」

 灰は、朝のうちに、おとうさんのところへ持っていった。このごろ、灰はすてない。塾でも、すてないで使っている。

 おとうさんの家へ行って、あっちの水瓶にも出した。

 おとうさんは、外で、木の端を削っていた。

「おとうさん」

「うん」

「板、ある?」

 おとうさんは、手を止めた。

「板」

「書くやつ。字を書くの」

 おとうさんは、足もとに積んである木の中から、切れはしを一つ取った。膝にのせて、小刀で端を落として、平らにした。それから、こっちへ出した。

 持つと、片手で持てる。

「炭は、細いほうを使え。太いところは、太く出る」

「うん」

「濡らすな。濡れると、指につく」

「うん」

 おとうさんは、また削りはじめた。


 うちの前の、平べったい石の上に、板を置いた。

 炭で書いた。はじめを大きく書きすぎて、しまいのところが板からはみ出した。はみ出したぶんは、石に付いた。

 ひっくり返して、うらに書いた。今度は、はじめを小さくした。ぜんぶ入った。

 入ったのを、しばらく見ていた。手でこすってみたら、すこし薄くなったけれど、消えなかった。

「消えない」

 鶏が寄ってきた。いちばん小さいのだ。板を見て、つついた。

「これ、字だよ」

 いちばん小さいのは、もういちどつついた。それから、横を向いて、砂をつつきはじめた。


 暗くなる前に、板を持って、となりへ行った。

 おかあさんは、台のところにいた。豆を選っている。台のはしに、紙が閉じて置いてあった。

「おかあさん」

「なあに」

 わたしは、板を出した。

「書けた」

 おかあさんは、豆から手を離して、板を受け取った。両手で持って、あかりのほうへ向ける。しばらく、そうしていた。

 それから、うらを見た。

「……こっちも、つむぎ?」

「そっちは、はみ出したの」

「……そう」

 おかあさんは、紙のほうへ手を伸ばした。伸ばして、途中でやめた。

 板は、まだおかあさんの手にあった。

「先生が、三回書いてくれたの。三回目で、見ないで書けた」

「……三回」

「うん。上の棒を先に引くんだって。でも、下からでも、おなじ形になるよ」

 おかあさんは、うなずいた。板は持ったままだった。

「持ってていいよ」

 わたしは、台のはしに寄って、豆を一つまみ取った。悪い豆は、色がちがう。触ると、すこし軽い。

 しばらく、二人で選った。

 おかあさんが立った。棚のところへ行って、いちばん上に手を伸ばした。背伸びをしていた。

「そこ、とどかないよ」

「……いいの」

 おかあさんは、小さい器を取って、また手を伸ばした。それから、台に戻ってきて、また豆を選りはじめた。

 わたしは、選りながら、上を見た。

 板は、棚のいちばん上に立った。


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