雪がゆるんだ日、わたしは塾の話を聞いた
雪を踏んだら、かかとが入った。
きのうまでは、ここは硬かった。乗っても、乗ったところで止まっていた。今朝は、乗ろうとしたら、そのまま下まで行った。
横のところも踏んでみた。同じだった。
「やわらかい」
足を抜いたら、穴のふちが崩れて落ちた。粉ではない。ひとつひとつが粒になっていて、指でつまめる。つまんだら、すぐ濡れた。
わらぐつを履いた足が、じきに重くなった。下からしみてくる。歩くと、ぐしゅ、と鳴る。このあいだまでは、ぼふ、だった。
「音、かわったよ」
誰もいないので、言っただけだ。
灰を空けるところへ行った。
外の、決まったところだ。うちのと、おとうさんの家のと、二軒ぶんを毎朝ここへ運ぶ。
そこだけ、土が出ていた。
まわりはまだ白いのに、灰を空けたところだけ、まるく黒くなって、下から土が見えている。踏むと、ぐしゅ、といった。すぐ横の雪は、乗ってもまだ止まる。
「ここだけ、先に出てる」
しゃがんで、手のひらを黒いところに置いた。冷たくない。すぐ横の雪にさわったら、そっちは冷たかった。
二回、くらべた。二回とも、おなじだった。
うちへ戻って、洗ったものを外へ出した。
このあいだまでは、出しても乾かないので、竈のそばに吊るしていた。近いと早いけれど、煙のにおいがつく。外のほうがいい。
きょうは風がある。
「昼に、さわりに来る」
言ってから、端をもう一回引っぱって、しわを伸ばした。
井戸まで行った。
縄が、まっすぐ下がっていた。
冬は、垂らすと途中で曲がって、曲がったところで止まっていた。棒みたいになるのだ。使う前に、両手ではさんでこすって、やわらかくしてから垂らした。
いまは、こすらなくても下まで落ちる。
「もどった」
まわりの雪は、踏まれたところがへこんで、水がたまっていた。よけて歩こうとして、片足を入れた。冷たい。冷たいだけで、割れない。
薪を割るところも、雪が減っていた。切り株の頭が出ている。
鶏が三羽、ついてきていた。
雪がふかいあいだ、いちばん小さいのは腹がつかえて、途中で戻っていた。きょうは、ついてくる。ついてきて、いちばん前を歩いている。
あとの二羽は、まだ軒の下から出ない。
「出てくればいいのに」
いちばん小さいのが、振り返った。
「つむぎー」
下のほうで、頭が三つ動いていた。三つとも、こっちを向いている。
「なに」
「あのね、春になったら、塾に行くんだ」
「じゅく」
「字をならうの」
わたしは坂を下りていった。下りるとき、いつもより滑る。下がやわらかいと、こうなる。
「字」
「うん。それと、かずのかんじょう」
「かずのかんじょうなら、できるよ。ひとつ、ふたつって」
「書くほうだよ」
書くほう、というのが、よくわからなかった。数えるのは、口でやるものだと思っていた。
「書くと、どうなるの」
「わすれない」
いちばん背の高い子が、そう言った。言ってから、自分でうなずいていた。
その子が棒を拾って、雪に自分の名前を書いた。
三つ書いたところで、下が坂になった。最後のが、そのまま、ずうっと下まで伸びていった。
「のびた」
「のびてない。これでいいの」
「さかさまだよ、それ」
もう一人が言った。書いた子は棒でそこを押さえて、こっちがほんとだ、と言った。
「どっちがほんと?」
訊いたら、二人とも黙った。
「塾で訊けばいいよ」
三人目が言った。それで、その話はおしまいになった。
わたしは、伸びたところを足でなぞってみた。ずいぶん長い。
「これ、なんて書いてあるの」
「ぜんぶで、名前」
「長いね」
「長くない」
井戸のところまで戻ったら、下の家のおばさんが来ていた。桶を提げている。
「雪がなくなってからだよ、始まるのは」
「なんで、なくなってから?」
「ぬかるむうちは、みんな畑が先だからね。手があいてから行くのさ」
おばさんは桶を置いて、縄を見た。
「あんた、こすらなくてよくなったよ」
「うん。まっすぐ落ちる」
「うちのは、去年から行ってるよ。おかげで、預かったものの数をまちがえなくなった」
「かずのかんじょう?」
「そうそう」
わたしは、うちの棚のことを考えた。あずかりものは、いまは二つある。二つなら、指で足りる。
「わたしも行こうかな」
「行けばいいさ。なんで行きたいんだい」
「みんな行くから」
「そりゃそうだ」
子供たちは、もう坂の上に戻っていた。
石段の下まで来たら、おかあさんが座っていた。
膝に板をのせて、その上に紙をひらいている。ずっと家の中で書いていた。外で書いているのは、ひさしぶりだ。
石段は、上の三段がまだ白い。下は、もう石が出ている。
「つめたくないの」
「……布を、敷いてるから」
わたしも、となりに座った。おかあさんが、敷いていた布を半分こっちへずらした。
紙には、黒いのがならんでいた。
わたしには、ならんでいるだけだ。でも、おなじ形のが、なんべんも出てくる。上のほうにあるのと、ずっと下にあるのが、おなじだった。
「これ、おんなじだね」
指でさした。おかあさんは、さしたところを見た。
「……そうね」
「こっちにも、ある」
「……あるわね」
なに書いてるの、と訊いたことがある。いろいろ、と言われた。いろいろは、いろいろだ。だから、いまは訊かない。
かわりに、べつのことを訊いた。
「おかあさん」
「なあに」
「字が読めたら、これ、読める?」
書く手が止まった。
「……読めるでしょうね」
それだけだった。おかあさんは、また書きはじめた。
風が出てきて、紙のはしがめくれた。
わたしは下から石を一つ拾ってきて、はしに置いた。ちょうどよかった。
「……ありがと」
「もう一つ、いる?」
「一つでいいわ」
「二つのほうが、とばないよ」
「……二つ置くと、書くところが無くなるわ」
おとうさんが、上から下りてきた。肩に棒をかついでいる。
「そこ、冷えないか」
「敷いてるよ」
おとうさんは、ふうん、という顔をして、それから、おかあさんの紙のほうを見た。見ただけで、なにも言わなかった。
「昼からは、下の壁だ」
「うん」
行ってしまった。
わたしは、けさのことを喋った。かかとが入ったこと。縄がまっすぐになったこと。鶏がついてきたこと。おかあさんは、書きながら、ときどき、うん、と言った。
「あとね、灰を空けるところだけ、先に土が出てるの」
書く手が止まった。
「……灰のところだけ?」
「うん。まわりは、まだ白いよ。さわったら、灰のとこだけ冷たくないの」
おかあさんは、坂の下のほうをしばらく見ていた。それから、紙のはしに短く書いた。いつもより短かった。
「……行ってみる」
言って、立ちあがった。布を畳んで、脇に抱えた。
上の段を回った。
一軒目で、いいと言われた。
「きょうはいいよ。自分で汲んできたからさ」
「縄、こすらなくてよくなったでしょ」
「そうなんだよ。だから、うちはもういい」
「そっか」
二軒目でも、同じだった。三軒目だけ、出してくれと言われた。あいているほうの手を、甕の外側につけておく。水の来たところだけ、外が冷たくなる。冷たいところが指まで上がったら、そこで止める。
「助かるよ」
ゆびで数えた。ひとつだった。冬は、四つあった。
ひとつは、少ない。
わたしは、もう一回、上まで上がった。
「なんか、ある?」
「なんにも無いよ」
おばさんは笑って、それから、ちょっと待って、と言った。奥で音がして、出てきたときには、小さい鉢を持っていた。
「じゃあ、これ」
持つと、軽い。中を見たら、豆が底のところにだけ入っていた。
「たいして要らないんだけどねえ。まあ、たのむよ」
「たのまれた」
両手で持って帰った。棚に置いて、手をかざした。少ないので、すぐ済んだ。少なくても、やることは同じだ。
外の干し物にさわった。
乾いていた。朝に出したものが、昼に乾いている。冬のあいだは、こうならなかった。指で押しても、冷たいところが残らない。
顔をうずめた。日なたの匂いがして、頬があたたかい。
わたしは、それを抱えて、いっぺんに中へ入れた。
石段の下のほうで、おとうさんたちが雪をどかしていた。
壁のきわに寄せてあったやつだ。冬のはじめに、家から離しておけと言っていた。いまは、それを、もっと離している。とけたぶんが、下へ入るからだ。
おとうさんは、下の人と二人で、大きいかたまりを持ち上げていた。両手がふさがっている。
「おとうさん」
言ったけれど、聞こえなかった。
待つことにした。
おかあさんが、上から下りてきた。おとうさんのところで足を止めて、短く何か言った。指で、灰を空けるところのほうをさしている。
おとうさんは聞いて、それから、わたしのほうを見た。
「つむぎ。灰は、どこへ空けてる」
「決まったところだよ」
「連れていってくれるか」
連れていったら、おとうさんはしゃがんで、黒くなっているところを手のひらで押した。それから、すぐ横の雪をさわった。二回、そうした。わたしが朝にやったのと、おなじやり方だった。
「……なるほどな」
板を出して、書いた。
「明日から、灰は捨てずに溜めておいてくれ」
「すてないの」
「北のはずれの道に撒く。日の当たるところだけだ。曇りの日は効かん」
「二軒ぶんじゃ足りないよ」
「村じゅうから集める。村長に訊いてからだ」
「ふうん」
わたしは、それより、屋根のことが言いたかった。
日は、まだ高いところにあった。屋根のはしから、とけた水が落ちている。落ちているところの下に、細い穴が、いくつもあいていた。
春になったら、じゅくに行ってみる。おとうさんに言おうと思った。




