蓄えを出す日、俺は行けない家を二軒残した
蓄えの置き場の南に立ててある筵を、下から外した。藁を編んだ大きな敷物だ。
留めている縄が凍っていた。手のひらで挟んで温めてから、ほどいた。筵は南側にだけ立ててある。壁の無い小屋だから雪はどこからでも入るが、南から入ったぶんだけが奥まで届く。
外したものを丸めて、柱に立てかけた。
石段の下に、水を張った桶が一つ置いてある。中で灰が沈んでいて、上のほうだけが澄んで、少し茶色い。文乃が朝、うちから提げてきたものだ。何に使うのかは訊いていない。
「今日だったね」
桶を提げたおばさんが、石段を下りてきた。
「今日です」
「じゃあ、うちのを持ってくるよ。器は、どれでもいいのかい」
「口の広いのがいいです。移すので」
「口の広いのは、外に出してあるよ。水のぶんだ」
「べつのを出してください」
おばさんは坂を戻っていった。
石段の上に、人が二人、三人と溜まりはじめた。器を抱えてきた者と、手ぶらで喋りに来ただけの者がいる。
「もう開けとるのか」
村長が石段を下りてきた。この人はいつも手ぶらで来て、いちばん長くいる。
「開けました。風よけだけです」
「筵はな、日が落ちる前に戻せ。夜に風の向きが変わる」
「戻します」
「村長さん」
さっきのおばさんが、べつの器を抱えて戻ってきていた。
「つむぎちゃんに、まとめてやってもらうわけにはいかないのかね。あの子が手をかざしたら、悪くならないんだろう。だったら、先に分けて配っておいても……」
「悪くはならん」
村長は、いちばん上の袋の結び目を指でつついた。
「悪くならんが、増えもせんぞ」
「……そりゃあ、そうだ」
「家に置いてあると、あるだけ使う。使い切ってから、春に蒔くぶんを出せと言われても、そのときにはもう無い」
村長は結び目をほどいて、袋の口を広げた。
「だから、日を決めて、決めた日にだけ出す。出す日に来られん者は、次の日に来る。それも決めてある」
「決まってると、楽でいいねえ」
「楽なもんか。決めるまでが面倒だ」
まわりが笑った。村長は笑わずに、袋の底のほうを手で押していた。
蓄えの袋は、上から取る。
秋に積んだときは、下から積んだ。高さは俺が決めて、屋根につかえる手前で止めた。いま、上の面は腰のあたりにある。
いちばん上のを土台の縁まで引いて、そこから下ろした。抱えると腰にくる。膝を先に落として、置いた。
「重いだろう」
「持ち上げなければ、重くないです」
若い衆が二人来て、下ろすほうを代わった。俺は移すほうへ回った。
袋の口を広げて、器の縁に当てて傾ける。こぼれても土台の上なら拾えるが、雪の上に落ちたぶんは拾えない。
「上の段の三軒から」
「うちは四人だよ」
「四人ぶんです」
人数で決めてある。決めたのは俺ではない。
文乃が紙を持って脇に立っていた。移したぶんを、家ごとに書いている。
「……ひと月で、どれくらい減るのかしら」
「今日のを書いておけば、次のときに分かる」
「……そうね」
文乃は書いてから、袋の上の面と、俺の腰のあたりを見比べた。何も言わずに、また紙へ戻った。
半分ほど出したところで、若い衆が手を止めて上を見た。
「屋根まで、ずいぶんあるな」
「秋は、そこまであったんだよ」
干し物を抱えた婆さんが、土台の石に腰を下ろして言った。
「そこまであっても、冬は冬さ」
「今年は、早いね」
「早いね」
二人ともそれ以上は言わなかった。俺も言わなかった。器を抱えた者から順に石段を上がっていって、置き場の前が空いた。
最後まで残っていた女が、石段の下の桶の前で足を止めた。
「これ、なんだい」
「……灰を、水に入れたものです。ひと晩置くと下に沈みますから、上の澄んだところだけ使います。油が落ちます」
「落ちるのかい、それで」
文乃は紙を脇へ置いて、袖をまくった。女の抱えていた鍋を借りて、底を桶の水でこすり、井戸の水で流した。
女は鍋を受け取って、裏を返して、指の腹で撫でた。
「……落ちてるね」
「……手が荒れます。あとで真水を」
女は鍋を抱えて石段を上がっていった。半分ほど上がったところで振り返って、桶をもう一度見ていた。
日が落ちる前に、筵を戻した。桶は、もう無かった。誰が持っていったのかは、訊かなかった。
その日、北のはずれの二軒は来なかった。
次の日も来なかった。
「二軒、まだ来とらんな」
村長が石段の下で言った。
「見てきます」
井戸の前までは、道の形が残っていた。
そこから木のあいだへ入ると、跡が消えていた。降ったのではない。風で寄ったぶんだ。西の木のところで巻いて、道のあったところにだけ厚く溜まっている。踏み込むと、腿まで入った。
引き返して、下の家に寄った。
「あたしも、おとといから上がれてないよ」
おばさんは戸口で手を拭いた。
「おとといは、まだ通れたんだけどねえ。……つむぎちゃんは、あの日に行ってるよ」
「聞いています」
「あの子は軽いからね。あたしが同じところを踏むと、腰まで行くんだ」
石段の下へ戻って、板を出した。
炭で村の形が描いてある。井戸が丸、段の畑が三本の線、家が四角だ。描いたのは俺だが、いまは誰でも指す。
「どう回すのがいいですか」
ヨナスは斧を提げたまま、板の上をのぞいた。
「奥からだ」
「奥から、ですか」
「手前の婆さんの家は、風下にある。寄るのは西の木のところだけだ。そこを抜けたら、あとは平らなもんだよ」
ヨナスは、四角の一つを指でつついた。
「奥まで先に踏んどけば、帰りは自分の跡が使える。手前へは、その帰りに寄ればいい。行きに寄ると荷を一度下ろすだろう。下ろした荷は、二度目のほうが重い」
「人は、何人ですか」
「四人だな。二人だと、先を行くやつが先に潰れる。三人でも行けるが、四人いれば替われる」
「今日のうちに持っていけ」
村長が言った。
「明日にすると、次の出す日と近くなる。二回ぶんをまとめて出したものは、まとめて減るんだ」
「日は、動かさないんですね」
「動かさん。一度動かすと、次も動かしたくなる」
二軒ぶんの袋は、出す日のうちに下ろして、土台の隅に置いてあった。
持っていくものを土台の上に並べた。袋が二つ。筵が一枚。縄。それから、割ったばかりの薪を一束。
「薪も、ですか」
「向こうは、割る手が無いです」
「持てるかい」
「引きます」
袋は担がずに、筵に載せて縄で引くことにした。
締まったところは硬い。その上を引くぶんには、荷は思ったより軽い。
若い衆の一人が、先に袋を肩へ担いだ。三歩で腿まで沈んで、そこから動けなくなった。
「担ぐと、あんたが荷になるぞ」
ヨナスが後ろから言って笑った。若い衆は袋を雪の上へ落とし、自分の足を引き抜いてから、何も言わずに縄を取った。
井戸の前に、娘がいた。蓋のついた桶を提げている。今日は北のはずれへ行く日だ。
「わたしも行く?」
「今日はいい」
「なんで」
「男が四人で、道を作るからだ。……水だけ頼む」
「わかった」
娘は桶の蓋を外して、上に手をかざした。水が上がってきて、縁の少し下で止まる。蓋を戻して、俺の足元の雪に据えた。
「こっちの三軒、先に行ってくるね」
「四軒までだぞ」
「わかってる」
娘は坂のほうへ走っていった。沈むところをわざと選んでいる。見送ってから、筵へ戻った。
木のあいだは、先頭を替わりながら進んだ。
膝で押して、足で踏んで、踏んだところへ筵を通す。寄りやすいところだけ掻いて、掻いたものは道の下手へ寄せた。上手に寄せると、また戻ってくる。
「これ、帰りも使うんだよな」
「使います。夜に風が入ると、明日には消えます」
奥の家へ着いたのは、昼を回ったころだった。
「まあ」
婆さんは戸を開けて、それから雪のほうを見た。
「あんたたち、これを作って来たのかい」
「作りながら来ました」
「助かったよ」
土間へ袋を入れて、薪は軒の下へ入れた。板を一枚噛ませて、乾いたほうを手前にした。
桶の蓋を開けると、縁に氷は張っていなかった。井戸から提げてくれば、着くころには薄く張る。
「これは、つむぎちゃんのだね」
「そうです」
手前の家へは、帰りに寄った。
自分たちの跡が残っていて、行きの半分もかからなかった。
「奥から先に行ったのかい」
「そのほうが、帰りが楽なので」
「その回り方は、ヨナスだね」
「ヨナスです」
婆さんは器を出して、移し終わるまで見ていた。それから、縁を布で拭いた。
「次はいつだい」
「次の出す日には、こちらから来ます」
「来なくていいよ。そのころには、あたしが下りるさ」
「下りられたら、そのときは下りてください」
外へ出ると、日が木の上のほうまで来ていた。ヨナスは西の木のところで足を止めて、風の寄る側を一度見てから下りてきた。
筵は、日が落ちる前に戻した。縄をかけて、南の風の当たる側だけを塞いだ。中の上の面は、朝と同じ高さにある。
家へ戻ると、文乃が紙を広げていた。今日書いたぶんの下に、線が一本引いてある。
「……次に出すのは、いつ」
「村長が決める。決まってはいるだろうが、俺はまだ聞いていない」
「……聞いておいて」
「聞く」
竈の前に座って、置き場の中を思い出した。上の面が腰のあたりにあった。あそこから春までに何度か出せば、どこまで下がるか。
板を出して、薪の数字を書き直した。十五日。北のはずれへ持っていった一束が引いてある。持っていかない道は、無かった。
「足りるの」
文乃が訊いた。
「分からない」
少ししてから、明日のことを言った。
「筵を、もう一枚こしらえる。引くのに要る。それから、北のはずれの道をもう一度踏んでおく。今日のは、二日もすれば消える」
「……そう」
「向こうは割る手が無いから、薪はこっちで割って持っていく。それは、俺でなくてもできる」
文乃は紙を畳んで、竈の脇へ置いた。
「……ずいぶん、歩いたでしょう」
外は風が無かった。二十歩向こうの戸が閉まる音がして、それきり静かになった。
置き場の筵は、朝になったらまた外す。外した日には、器を抱えた者が石段を下りてくる。
春まで、あと何度か出す。出す日は、もう決めてある。




