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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第四章 冬、越えるまで

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冬が来た。娘の水は足りて、薪だけが足りない

 井戸の縄に手をかけたら、指が張りついた。

 引き剥がすのに少し力が要った。皮は持っていかれなかったが、離れぎわに引っぱられる感じがあった。

「素手はやめときな」

 桶を提げてきたおばさんが、俺の手元を見て言った。

「もう少し寒くなると、そいつは持っていくよ。皮のほうを」

「布を巻けば、どうですか」

「濡れないうちはね。濡れたら同じさ。井戸で布が濡れずに済んだためしがあるかい」

 無いね、と自分で答えて笑った。

 縄は棒のようになっていた。垂らすと途中で折れ曲がったまま止まる。桶を落として引き上げると、上がってくるあいだに水がこぼれ、こぼれたぶんが縄の下側で凍った。二度目は、一度目より重かった。

 凍ったところを手のひらでこすると、しばらくして柔らかくなり、離すとまた固くなる。桶の縁にも薄い氷が張っていた。爪で押すと、割れずにたわんだ。

「去年は、どうでしたか」

「雪のあいだは、二日にいっぺんだったね」

 おばさんは井戸のふちに桶を載せて、息をついた。

「毎日は来られないんだよ。道が埋まるからね。二日にいっぺん汲んで、足りないまま次まで待つ」

「足りないままですか」

「足りやしないさ。でも、それ以上は行けないんだから」

 俺は板を出して、炭で書いた。二日。道。縄。

 書いているあいだ、おばさんは横から覗き込んでいた。

「あんたは、そうやって書くねえ」

「忘れるので」

「忘れるくらいのことなら、忘れていいんだよ」

 そう言って、桶を提げて坂を上がっていった。上の段の家だ。あの桶を提げて、あの坂を、去年は二日にいっぺん上がっていた。

 井戸そのものは凍らない。凍るのは、汲んで外へ出したぶんだ。

 坂を上がる前に、樋の口へ回った。水はもう落としてある。霜の来る前に継ぎ目を外して、内側が抜けるように傾けておいた。木の中に水を残すと、凍って継ぎ目から裂ける。畑へ回す先の無い季節だから、それでいい。春に、また据え直す。


 上の段の三軒を回ったのは、その朝のうちだ。

 器はもう外に出してあった。甕、鉢、蓋のついた桶。家ごとに大きさが違う。

 文乃が一軒ずつ覗いて、紙に何か書いていた。

「朝ふたつ、夕ふたつ」

 一軒目の女が、俺にではなく自分に向かって言った。

「文乃さんに訊いてからにしよう、って、みんなで決めたからさ」

 祭のころから、その言い方が村で回っている。

 二軒目の家が、去年より一回り大きい甕を出してきた。

「うちは、これで」

「あんた、それ持ち上げられるのかい」

 隣の家の女が言った。

「持ち上げないよ。置いとくんだ」

「置いとくのはいいけどね、水は勝手に減らないよ」

「減るさ。うちは子供が三人いるんだから」

 文乃が甕の口を覗いて、それから訊いた。

「……それ、朝のぶんですか」

「……夕のぶんも、入れといておくれ」

 言い直したので、まわりが笑った。

「はじめから、そのつもりだったね」

「持ち上げないよ、なんて言っといてさ」

 文乃は笑わずに紙へ書いていた。書き終わってから、口の端だけが少し動いた。

「樽は、出さないんですか」

 俺が訊くと、おばさんのほうが先に答えた。

「出すとね、次の日に空にする者がいなくなるんだよ。いつでもあると思うからさ」

 娘は三軒目の前にいた。

「こっちから?」

「そっちからでいい」

 誰かがそう答えて、それきり誰も娘のほうを見ていなかった。娘は蓋を外して、器の上に手をかざす。水が上がってきて、縁の少し下で止まる。手を下ろして、次の器へ移る。

「助かるよ」

「うん」

 返事をしながら、もう次の蓋を外していた。

 北のはずれの二軒へは、下の家の者が桶を提げて上がっていった。朝のうちに、と決めてある。あの二軒は量なら減らせて、その代わり、自分では汲みに来られない。上の段は逆だ。子供のいる家は減らせない。

 一律に配れば、両方が困る。器のほうを先に決めたのは、それでだ。


 昼から、村の薪を見て回った。

 冬前の見回りは村長から頼まれている。屋根と壁は一通り見た。薪はまだだった。

 軒の下に積んである。家によって高さが違う。低い家の前でしゃがんで、積んだ列の奥行きを見て、何列あるかを数えかけ、途中でやめた。俺は去年のこの家を知らない。低いのかどうかを決められるのは、去年を見た者だけだ。

「少ないだろう」

 後ろからヨナスが言った。斧を提げている。

「今年は遅れてる。祭の前まで、みんな壁をやってたからな。薪を割る手が回らん」

「壁は、あと二軒だと聞きました」

「二軒だ。それが済んだら薪だと、みんな思ってる。思ってるあいだに雪が来る」

 ヨナスは笑った。

「それに、いい木はお前の水の道に持っていったしな」

「……細い木を使いました」

「細くても木は木だ」

「割った薪は、どこへ積むのがいいですか」

「軒の下だ。地面に直に置くと下から湿気る。おれの家のは去年、下の二段が使いものにならなかった」

「板を挟みます」

「板があればな」

 ヨナスは笑って、斧を担ぎ直した。悪く言われている気はしなかった。


 薪を割る場所へ回ると、切り株のところに婆さんが二人、腰かけて喋っていた。

「去年はねえ、ここが雪の下で」

「埋まると、その日は割らないんだよ。雪を掻いてるうちに日が暮れるから」

「一日休むと、次の日は二日ぶんだろう。二日ぶんは割れないさ。手は一人ぶんしかないんだから」

「そうやってるうちに、火が細くなるんだよ」

 細くなる、という言い方をした。消える、ではない。

 割った薪を積んでいた若い衆が、手を止めて言った。

「つむぎちゃんに頼めばいいじゃないか。火なら、つけてくれるだろう」

「つけるのと、燃やしておくのは別だよ」

 婆さんが手を振った。

「あの子が火をつけたって、燃やすものが無けりゃ、ひと晩ももたないさ。朝まで生かしておくのに、いくら要ると思ってるんだい」

 若い衆は、そりゃそうだ、と言って薪を積む手に戻った。話はそこで終わった。

 俺は割る場所の広さを歩幅で測った。切り株の位置と、割った薪を積む先と、そこまでの道を見た。雪が乗ったとき、どこから掻けばいちばん短く済むか。歩いて、板に書いた。

 書いてから、屋根の下へ入れられる薪の量を、もう一度見て回った。

「一日に、どれだけ燃やしますか」

「朝と夜で二束だね。多いとこは三束さ」

 村ぜんぶで割ってあるぶんを、その数で割った。家によって違うが、そのつもりで数えた。

 板の隅に書いた。三十日。

 冬がどれだけ続くのかは、まだ訊いていない。訊けば分かることだ。


 日が落ちる前に家へ戻って、竈をいじった。

 口の脇の土が痩せていた。新しいのを練って足す。灰を受ける窪みを少し深くして、風の入る側の隙間を布で埋めた。煙の抜けは悪くない。ただ、戸を閉め切ると下りてくる。上を指の幅ぶん残して、下を塞いだ。

「なおるの」

 文乃が横から覗いた。

「なおすというより、冬向きにするだけだ」

 薪を屋根の下へ移して、細いものと太いものを分けて積んだ。濡れている薪は竈から離し、立てて並べた。

「おとうさん、そっちの窓、ふさぐの?」

 娘が戸口から首を出していた。

「塞がない。煙の出るところが要る」

「ふさいだほうがあったかいよ」

「あったかいが、目が痛くなる」

「ふうん」

 娘は入ってきて、水瓶の蓋を開けて、中を見た。俺が朝に汲んだぶんはまだ半分あったが、縁の少し下まで足して、蓋を戻した。それから鶏の声のするほうへ出ていった。

 それから、土間の隅の荷を開けた。

 いちばん下に手を入れて、探り当てたものを出す。振ると、中で音がした。確かめて、また底へ戻した。

 文乃がこっちを見ていた。何も言わなかった。

「かえるね」

 娘がまた戸口に立っていた。

「ああ」

「あしたも、朝いちばんに来るからね」

「気をつけて」

 戸が閉まって、足音が壁の向こうを行き、すぐ聞こえなくなった。二十歩もない。向こうの戸が開いて、閉まった。


 村長は石段の下にいた。

「壁が二軒、残っとる」

 村長は坂の下のほうを指した。

「霜で土が持ち上がると、壁の下が浮く。浮いたところへ雪が乗れば、春に家が傾く。降ってからでは土が練れん」

「明日、行けます」

「頼む。土を足すのは女衆だ。あんたは高いところをやってくれ」

 それから、村長は空のほうを見た。木のあいだが、もう暗くなりかけている。

「そろそろだな」

「雪ですか」

「匂いが変わる。変わったら、次の日には来る。外したことは、そうない」

 村長は鼻から息を吸って、それから笑った。

「歳を取ると、こういうものだけ当たるようになる。壁は日の出のうちに始めろ。遅いと土が凍る」

 そう言って、石段を上がっていった。

 家へ戻ると、文乃が湯を沸かしていた。竈の火は、さっき直したところから素直に上がっている。

「明日、壁だ。日の出から」

「……朝は、こっちで食べていくのね」

「ああ」

 文乃は鍋の縁を布で押さえて、それから紙をもう一度ひろげた。上の段の三軒と、北のはずれの二軒。朝ふたつ、夕ふたつ。書き足したところだけ、字が新しい。

 寝る前に、朝汲んで残しておいた桶を覗いた。縁に薄く氷が張っている。息を吹きかけると、当たったところだけ透けて、すぐまた白く戻った。

 水瓶のほうを開けた。娘が足していったぶんだ。こちらは、まだ張っていない。

「……そっちは、遅いのね」

 文乃が後ろから覗いていた。俺は蓋を戻して、板には書かなかった。書いたところで、明日から何かが変わるわけではない。

 その晩、戸を開けると、風の匂いが変わっていた。明日には降る、と村長が言った。


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