祭の夜、娘の「うち」がひとつ増えた
「こういう年こそ、やるんだ」
村長は薪の山の横に立って、そう言った。
「井戸が保ったんだ。保った年にやらんで、いつやる」
男の一人が、今年は出せるものが少ないと言った。誰もが知っていることを、それでも一度は口に出す。
「少なくてもやる。一年やらんと、次の年もやらんようになる。そうやって無くなるんだ。無くなったものは、戻らん」
それで話は終わった。
石のところの草は、子供たちが刈ってある。地面もならしてある。丸く並べた石の中に、俺は薪を組んだ。
太いのを井桁に三段。中に細いのと、剥いだ皮を詰める。風は北から来ていたので、火口はそちらへ開けておいた。
小さいほうは二つ、離して置く。こちらは早く落ちるから、途中で足す者を決めておかなければならない。
「あんた、火は任せる」
「分かりました」
板を二枚渡して、台にした。脚にした石が片方だけ低かったので、平たいのを噛ませた。上に鍋が載る。
「その枝、鍋を吊るんですよね。高さはどれくらいがいいですか」
「もうちょっと低く。かき混ぜるのがつらい」
「これくらいですか」
「それでいい」
日が落ちるまでのあいだに、村じゅうの匂いが一つのところへ集まってきた。甘いのを煮る匂いと、粉を焼く匂いと、薪の匂いだ。
鶏が放してある。祭の日は放しておいていいらしい。娘のところの小さいのが、台の下に入り込んで出てこなくなった。
文乃は鍋の向こう側にいた。何か訊かれて、短く答えている。答えると、その人がうなずいて動く。
「文乃さん、こっちのは、いつ出す」
「……火が落ちてからで」
薪を運びながら、同じようなやりとりを二度聞いた。
娘は昼のうちに二軒ぶんの日課を済ませ、鉢を九つ配って回ってきたらしい。着いたときには、もう走っていた。
「おとうさん。わたし、今年は寝ないから」
「そうか」
「ぜったい寝ないから」
「分かった」
娘は同じことを、そのあと三人に言っていた。言われたほうは、みんな、そうかい、と答えていた。
暗くなってから、村長が火口に火を入れた。
皮に移って、細いのに移って、それから太いのが鳴りはじめた。人の輪が、火の大きさのぶんだけうしろへ下がった。子供が三人だけ下がらないで、大人に襟をつかまれていた。
火が高くなると、人が集まってきた。
娘のところへ、入れ替わり立ち替わり人が来た。
「夏は助かったよ」
「うちの樽ね、底までいっぱいになったの。あんなの、何年ぶりだか」
「種が生きてる。来年、蒔ける。あれが駄目だったら、春に困ってた」
「あの晩は、寝てるところを起こしちまって、悪かったね」
「いいよ。おきてたし」
起きていない。あの晩の娘は、靴を左右あべこべに履いてきた。
「役に立った?」
「立ったよ」
「よかった」
娘はそう言って、次の人のほうを向いた。
礼は、どれも同じ形をしていた。助かった。助かる。うちのはこうなった。誰も、うまいとも、すごいとも言わない。困っていたものが困らなくなった、という話をしているだけだからだ。
認められるというのは、こういう形でいいのだと思った。
「つむぎちゃん、今日は二回でいいよ」
鍋のところで、おばさんが先に言った。
「三回は?」
「二回」
「じゃあ、二回」
娘は二回もらって、それから、三回目をもらいに来た子の横に立っていた。おばさんが娘の頭を押して、あっちへ行かせた。
「文乃さん。冬のこと、決まってよかったよ」
「……はい」
「あんたに訊けば、こっちは考えんで済む」
文乃は湯呑みを両手で持ったまま、うなずいた。
娘は子供たちと走っていった。走って、戻ってきて、また走っていった。途中から鶏を追いかけていた。追いかけているのか追いかけられているのか、しばらく見ていても分からなかった。
ヨナスが火の向こうから何か言ったが、笑い声で聞こえなかった。もう一度言った。それも聞こえなかった。三度目は言わずに、手を振って向こうへ行った。
火が半分になったころ、人が減りはじめた。
小さいほうの火は、もう落としてある。灰を寄せて、石を内側へ寄せておいた。残っているのは真ん中の一つだけだ。
帰る者は、たいてい家ごとに帰った。子供を先に立たせて、そのうしろを大人が歩く。抱えられている子もいる。坂の下のほうで、おやすみ、という声が二度した。
「じゃあ、また明日な」
「明日は昼までに片づけよう」
「板は置いといてくれ。明日、うちのが取りに来る」
残ったのは三家族と、火のそばで話しこんでいる男が四人だった。男たちは石の外側に座って、声だけが低くなっていた。
火は、足さなければ小さくなる。俺はもう足さないことにした。足さないと決めてからは、明るいところが少しずつ狭くなっていく。近くにいる者の顔だけが見えて、そのほかは暗い。
男たちは、話しながら石段のほうへ下りていった。三家族も、そのうちに一つずつ減った。
娘は火のそばに座っていた。膝を抱えて、前とうしろへゆっくり揺れていた。
「つむぎ」
「起きてる」
「まだ何も言ってない」
「起きてるってば」
目をこすっている。こすってから、こすったことを隠すみたいに、両手を膝に戻した。
文乃が上着をかけた。娘はされるままだった。
「そろそろ帰るか」
俺が言った。
娘は火を見たまま、少しのあいだ黙っていた。
「……きょうは、こっちのうちで寝る」
言って、俺のほうへ寄りかかってきた。
うち、と言った。
俺は、すぐには返事ができなかった。文乃も動かなかった。火のはぜる音が二つ、三つ続いた。
まわりに人はもういない。向こうの石段のあたりで話し声がしているが、こちらまでは届かない。
「……ああ」
やっと出たのが、それだった。
娘はもう半分寝ていた。返事が聞こえたのかどうかも分からない。
文乃が立って、娘の前で膝をついた。両腕を背中と膝の下へ入れて、抱き上げた。いちど抱え直して、頭を自分の肩へ乗せさせた。娘の腕が、文乃の首のうしろで下がった。
文乃は何も言わなかった。俺も言わなかった。
落ちた上着を拾って、俺は火のほうを見た。まだ始末が残っている。
「先に行っててくれ」
「……ええ」
二人が坂を上がっていくのを、しばらく見ていた。
娘を寝かせてから、俺は火のところへ戻った。
組んだのは俺だから、崩すのも俺がやるのが早い。太いのを外して立てかけ、燠を真ん中へ寄せて、灰をかぶせる。かぶせすぎると朝まで残らない。残らないと、明日の朝に火を借りに来る家が困る。
やっているうちに、文乃が戻ってきた。
「寝たか」
「すぐ寝たわ」
文乃は少し離れたところに座った。石の外側だ。近づくと熱いから、そのあたりでちょうどいい。
燠がときどき明るくなって、また暗くなる。そのたびに、まわりの石の形が出たり消えたりした。
暗いので、村の形は屋根の線でしか分からない。上の段の向こうに、木の道が通っている。夜は水を落としていないから、音もしない。置き場の屋根は、替えたところだけ、月であかるく見えた。
冬までに、あと二軒の壁がある。
「……帰るんじゃなくて、ここで暮らすんだな、俺たちは」
言ってから、うまい言い方ではなかったと思った。
文乃は膝の上で手を組んでいた。
「……そうよ」
短くて、上がらない語尾だった。
しばらく、どちらも喋らなかった。燠が一度、音を立てて崩れた。
「薪、足りるかしら」
「足りる」
俺はそう答えて、灰をもう一度かぶせた。
家へ戻ると、娘は奥に寝ていた。
俺たちの寝ているところの隣に、文乃が敷いたらしい。上着は脱がせてある。片方の靴だけが揃えて置いてあって、もう片方は少し離れたところに転がっていた。
俺は転がっているほうを拾って、揃えて置いた。
「明日また片方どこかへやるわよ」
「……だろうな」
文乃が灯りを落とした。
暗くなってから、娘の寝息が聞こえた。速い。祭の日の子供の息だ。ときどき止まって、また続く。
戸の外は静かになっていた。それでも、まだ帰っていない者がいるらしく、遠くで一度、笑い声がした。
「……起きないわね」
「起きないな」
手に、火を始末した匂いが残っている。洗っても、たぶん明日まで残る。
三人で同じところに寝るのは、これが最初ではない。村へ着いた日も、家が建つまでの何日かも、同じところで寝た。
違うのは、今夜は、この子が自分でそう決めたことだ。
うちが、ひとつ増えた。それだけの夜だった。




