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三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第三章 秋、村が頼る

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おかあさんが、わたしの名前の話をした

「文乃さんは、いるかい」

 朝、戸のところで訊かれた。

「いないよ。さっき井戸のほうへ行った」

 おばさんは、ありがとう、と言って坂を下りていった。

 その日は、三回訊かれた。夕方までに、もう一回。

 このごろ、みんながおかあさんを探している。探して、見つけて、ちょっとだけ訊いて、帰っていく。長くは話さない。おかあさんも長くは話さない。

「朝にふたつ、夕にふたつ」とか、「そっちは、あさっての朝で」とか、そういうのだ。

 訊いた人は、うなずいて帰る。帰って、そのとおりにする。

 まえのおかあさんは、書く人だった。

 よその家に来て、鉢のふたを開けて、中を見て、書いて、帰る。それだけだった。だれも、おかあさんに用があるわけではなかった。

 いまは、用があって来る。

「文乃さん。うちのは、あさってでいいかね」

「……ええ。あさっての朝で」

「わかった」

 おかあさんは、書く人から、答える人になった。

 どっちでもいい。どっちのおかあさんも、あんまり喋らないから、そんなに変わらない。

 昼まえに、石段の下のおばさんが桶をふたつ持ってきた。

「これ、お願いできるかい」

「いいよ。そこの鉢も?」

「鉢はいいんだよ。今日はふたつって、言われてるから」

「三つでもいいよ」

「ふたつでいいんだって」

 おばさんは、そう言って笑った。

 わたしはふたつやった。三つ目は無かった。

 頼まれたぶんをやればいいんだから、そのほうがかんたんだ。まえは、いくつ来るか分からなかった。いまは、来る前から決まっている。

「おかあさん、きのう、なんて言ったの」

 夕方、そう訊いてみた。

「……器を決めてください、って」

「うつわ?」

「桶とか、樽とか。数を先に決めてください、って」

「ふうん」

 よく分からなかった。分からなかったけど、みんな、それでいいという顔をしていた。


 次の日の昼から、干したものを畳んだ。

 おとうさんは石のところにいる。祭の火を焚くところを作っているらしい。だから、家にはおかあさんとわたしだけだった。

 干したものは、このごろ、夕方でもすこし湿っている。畳むと、手の内側がひやっとする。

「おとうさん、まだ帰ってこないね」

「暗くなる前には帰るって」

 おかあさんが端を持って、わたしが反対の端を持つ。持って、ぴんと張って、それから合わせる。合わせて、半分にして、また合わせる。二人でやると早い。

 しばらく、どっちも喋らなかった。

 喋らないのが少し長いな、と思った。

「つむぎ」

「なに」

「……その名前」

 おかあさんは、持っていた布を膝に置いた。

「私がつけたの」

「知ってるよ」

 わたしは次の布を取った。

「おかあさん、いつも二回呼んだもん。つむぎ、つむぎ、って。二回目のほうが、ちょっと高いの」

 おかあさんの手が止まった。

 止まって、それから、長く息を吐いた。

「……そうだった?」

「そうだよ」

 わたしは布を張った。おかあさんが反対の端を持ってくれなかったので、片手でぶら下げたままでいた。

「あ。ごめんなさい」

 おかあさんは笑って、端を持った。

 笑ったの、ひさしぶりだと思う。

「糸を紡ぐ、の、紡ぐ」

 おかあさんが言った。

「短いのを、一本ずつ繋いでいくの。繋いでいくと、長い糸になるでしょう。あれのこと」

「ふうん」

 わたしは布を合わせた。半分にして、また半分にした。

「いい名前だね」

「……そう?」

「うん」

 それから、思い出した。

「あのね、指で書いたことあるよね。ここに」

 わたしは手のひらを開いて、見せた。

「三つ書いて、これがつむぎだよ、って言った」

 おかあさんは、わたしの手のひらを見た。それから、自分の指で、そこに書いた。

 くすぐったかった。

「あ、それ。それだ」

「……おぼえてるのね」

「おぼえてるよ」

 わたしは布を畳んだ。畳んで、次のを取った。

「おとうさんは?」

「え」

「おとうさんは、名前、なんて言ったの」

「……決められなかったの」

「決められなかったの?」

「たくさん書いて、どれにも決められなかったの。生まれた日から、ずっと」

 わたしは笑ってしまった。

 おとうさんらしい、と思った。おとうさんは、いまでも先に人に訊く。訊いてから決める。あのころは、訊く人がいなかったのかもしれない。

 布はぜんぶ畳んだ。おかあさんは、いちばん上のをもう一回ひろげて、畳み直していた。


 それから、村じゅうが祭の支度になった。

 石のところの草を刈って、地面をならして、石を丸く並べる。大きいのがひとつと、小さいのがふたつ。並べるのは子供の仕事だ。六人でやった。

「もっと外」

「そんなに外だと、火が届かないよ」

「じゃあ、ここ」

 言い合いながら並べて、並べおわってから、みんなで真ん中に座った。座って、上を見た。座るとちょうど、木のあいだから空が丸く見える。去年も、ここに座った気がする。

「まだ火は入れないよ」

 通りかかったおじさんに言われた。入れるわけがない。

 わたしは水を頼まれた。粉をこねるのに要る水と、鍋の水と、手を洗う水だ。桶で運んで、足りなくなったらまた運ぶ。運ぶあいだに、あちこちで呼ばれる。

「つむぎちゃん、こっちも頼むよ」

「これ、あしたまで持たせておくれ。今日作っちまったから」

「いいよ」

 置いてある鉢に、順に手をかざしていった。並べてあるので、端から行くと早い。全部で九つあった。

「助かるよ。あしたの朝、また来るからね」

 あまいのは、おばさんたちが大きい鍋で作る。あれは一年に一回しか出ない。

 鍋の前に立っていたら、木の匙を渡された。

「味見するかい」

「する」

 あまかった。去年のより、ちょっとあまい気がする。

 わたしはもう一回、匙を出した。

「一回だけだよ」

「うん」

 うん、と言ってから、もう一回もらった。

 おばさんは、しょうがないねえ、と言って、鍋をかき混ぜた。

 夕方まで、ずっと人がいた。石のところに人がいて、広いところに人がいて、坂の道にも人が上がったり下りたりしていた。いつもは、こんなに人が外にいない。

 いちばん小さい鶏が、いつのまにか広いところまで来ていた。追い返そうとしたら、おばさんが、いいよ、明日は放しとくれ、と言った。祭のときは、鶏も外にいていいらしい。


 うちに帰ったら、サナはいなかった。

 棚を見た。あずかりものは、ひとつも無い。今日、みんな持っていったからだ。板の上が、ずいぶん広く見えた。いちばん奥のぶんだけ、いつもどおりそこにある。

 こんなに空いているのは、ひさしぶりだ。

「あした、祭だよ」

 棚に向かって言った。棚は返事をしない。当たり前だ。

 水を出して、火を細くして、戸を閉めた。

 寝る前に、あした、やることを数えた。声に出して数えた。だれもいないから、出しても平気だ。

「ひとつ。朝いちばんに、うちの水と火」

 干したものは、あしたは出さない。祭の日に干すと、取り込むのを忘れるからだ。去年、忘れた。

「ふたつ。おとうさんの家の、水と火」

 あっちの竈は、うちのより火がつきやすい。土が新しいからだって、おとうさんが言ってた。

「みっつ。鉢を取りに来る人が、九人」

 石段の下のおばさんは二つ持っていくから、来るのは八人かもしれない。八人だと、ちょっと早く終わる。

「よっつ。ぜんぶ終わったら、石のところ」

「いつつ……」

 いつつが、出てこない。

 火は、暗くなってから入れる。それまでは、まだ祭じゃない。

 目をつぶった。目をつぶると、かえって目がさえる。

 去年も、おととしも、前の日はこうだった。こうやって、ぜんぜん眠れないと思っているうちに、朝になっていた。

 あしたは、祭だ。


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