俺の水の道は、ヨナスの順で生き返った
「おうい」
石段の下から呼ばれた。村長が、座らずに立っていた。
「屋根を、見て回ってるだろう」
「見ています」
「どこまで見た」
「上の段は、葺き替えの要るのが三つ。壁の下が痩せているのが二つ。北のはずれの二軒は、まだ見ていません」
「なら、頼む」
村長はそこで石段に腰を下ろした。
「霜が来ると、土が持ち上がる。壁の下が浮いて、隙間が空く。そこへ雪が乗ると、春に傾く。降る前でも、凍ってからでもなく、いまだ」
「置き場もですか」
「置き場もだ。あんたが替えた垂木のほかに、南側も見ておいてくれ。あそこは風がまともに当たる」
俺は板を出して、聞いたことを書いた。
「藁は、どれだけ出せますか」
「今年は薄い。刈ったぶんは、置き場の屋根で使っちまった」
「では、要るところから回ります。どの家からがいいですか」
「そっちで見て決めてくれ。……いや」
村長は言い直した。
「北のはずれからにしてくれ。あそこは年寄りが二人だ。冬になると、人が上がりにくくなる」
三日かけて村を一回りした。壁の下に土を足すのは女たちのほうが上手い。俺は柱の根と、屋根の骨だけを見た。抜けていた垂木は、置き場のほかに二軒で見つかった。
家の横に、丸太が二十本置いてある。
皮をむいたのが十二本。むいていないのが八本。夏に並べたまま、動かしていない。
夕方、そこへヨナスが来た。用があって来た顔ではなかった。丸太の端に腰を下ろして、鉈の刃を親指で撫でていた。
「……あれ、やるなら今のうちだ」
俺は丸太の列を見た。それから、ヨナスを見た。
「順は、どう回すのがいいですか」
ヨナスが顔を上げた。
「水の回る順です。どの段から、どこへ落とすか」
「……ああ」
鉈を膝に置いて、それから喋りはじめた。
「上の段の東の三枚は、日が先に当たる。朝のうちに乾く。西のは昼まで木の影が乗るから、あとでいい」
「下の段は、上を回したあとの水が来る。だから下は待ってりゃいい。待てないのは南の隅の一枚だ。あそこは土が痩せてて、水を持たない。半日で乾く」
「そんなに違うんですか」
「違う。同じ雨が降っても、乾く日が三日違う」
ヨナスは鉈の先で地面に線を引いた。線は三本になった。
「順は、年で変わる。今年みたいに降らない年は東からだ。よく降る年は、東は放っといても足りる。だから毎年、見て決める。親父もそうしてた」
「落とし口は、どこがいいですか」
ヨナスは立って、畑の上手まで歩いた。俺はうしろについて歩いた。二百三十歩。数え直すまでもなかった。
足で土を掻いて、ヨナスが線を引いた。
「ここへ落とせ。ここから溝が三本に分かれてる」
草が伸びて、上からは見えなかった。俺はしゃがんで、草を分けた。土が浅く窪んで、三方へ下っている。指で押すと、底だけが硬い。何十年も水が通ったところは、こうなる。
俺は杭を一本打った。
「木を渡すのは、地面が下がらないところと、道を横切るところだけになります。あとは溝で下ろせます」
「そうだ」
「人は、いつなら出せますか」
「明日から出る。俺が言っておく」
翌朝、材のところへ行くと、男が四人立っていた。
昼にもう一人来た。次の日は六人になった。来なかった者もいる。誰も理由を言わない。俺も訊かなかった。
鑿を研ぐのは年寄りの仕事だった。石を膝に挟んで、刃を寝かせて、一本研いでは指の腹で当たりを見る。研ぎ上がったものから若いのが取っていく。木屑は子供が集めて袋に詰めた。焚きつけになる。
「研ぎながらでいいか」
「お願いします」
溝を使うぶん、渡す長さが減った。丸太は割らずに、丸のまま内側を刳れば足りる。
皮をむき、内側を刳る。斧で粗く落として、鑿で浅くしていく。深く彫りすぎると木が薄くなって、据えたときに割れる。
「これくらいですか」
「もう少し浅くていい」
訊いてから彫った。彫ってから、また訊いた。
一本ずつ、節のあるほうを下に向けて置いた。節は硬い。上に来ると、そこだけ彫り残しになって、水が乗り上げる。曲がっているものは、腹を上にして据えた。そうすると水が真ん中を通る。
「なんで、その向きなんだ」
「反対だと、真ん中で溜まります」
訊いたほうは、しばらく丸太の端から中を覗いていた。それから自分の持っている一本を持ち上げて、同じように置き直した。
受け木には、二股のものを林から切ってきて打ち込んだ。打ち込む深さは、土を掘って指を入れて決める。掘って柔らかいところは、深く入れても効かない。
「受けの高さは、これでいいですか」
「そっちの端を、指一本下げろ」
下げた。水は、目で見て分かるほど傾けなくても流れる。傾けすぎたほうが、途中で跳ねて外へ出る。
道を横切るところだけは、高く渡した。下を人が通る。荷を担いだ者も通る。牛も通る。頭が当たらない高さまで上げると、その手前と先で傾きが変わるので、両側の受けを継ぎ足して合わせた。薄い板を噛ませて、水を少し流して、また噛ませた。
男が二人、刳り終えた丸太の両端を持って、向きを合わせようとしていた。片方が回すと、もう片方も同じ向きに回す。丸太は元の向きに戻る。三度やって、四度目にまた戻った。
「止まれ」
村長が片方の腕を押さえた。押さえられたほうが、押さえられてから気づいた顔をした。
「先に、どっちが回るか決めておけ」
男たちが笑った。俺も笑った。
昼前に、娘が水を運んできた。桶に半分ずつ、二回に分けて運ぶ。
「はい。おとうさん」
「ああ」
男たちが順に飲んだ。娘は空の桶を提げて、渡したばかりの樋の下を覗いていた。それから落ち葉を一枚拾って、上の口へ入れた。
「まだ水は来ないぞ」
「うん。置いとくの。いちばんに流れるように」
娘は葉の位置を直して、それから坂を下りていった。
三日目には八人いた。数えたのは、麻がどれだけ要るかを決めるためだ。麻は女たちが撚った。撚りの太さがそろっていないと、巻いたところから水が滲む。太いのは、道を横切るところへ回した。
四日目の午後に、最後の一本を据えた。継ぎ目に麻を巻いて、土をかぶせる。並べてしまえば、木の道は畑の上手まで一本につながった。
取り入れ口の石を二つどけた。
流れの端が寄って、樋の口へ落ちた。水は木の内側を鳴らしながら来た。継ぎ目で二度、止まりかけて、越えた。
道を横切るところで、下から覗いていた男の顔に落ちた。
「来ますよと言いました」
「聞こえてない」
畑の上手まで、水が出た。
ヨナスが落とし口の前にしゃがんで、指で水を分けた。三本の溝のうち、東の一本にだけ流した。残りの二本は土のままにしておいた。
「……悪くない。俺の順で流れてるからな」
誰かが笑った。
「来年は楽になるな」
「桶を提げて上がらんで済む」
「夏に間に合った」
礼を言われた。手の空いた者から帰っていった。誰も、なぜ来たのかを言わないまま帰っていった。
娘の入れた葉は、東の溝のいちばん先まで行って、草に引っかかって止まっていた。
日が傾いてから、娘がまた来た。
「水の道、できたね」
「……ああ」
「あのとき、しばらく置いておくって言った」
「言った」
「しばらくって、これくらいなんだ」
娘は葉を草から外して、また水に乗せた。乗せてから、走って先へ見に行った。下のほうで、声がした。
俺は受け木の一本に手をかけて、揺すってみた。動かない。
水の音が、木の中で低く続いている。
手応え、というのだと思う。前の世界で、最後まで手に入らなかったものだ。
水は、決めた順に流れていった。




