↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三歳の娘を探して異世界へ渡った。俺を見つけたのは、水を出す魔法を覚えた八歳の娘だった  作者: 船越千里
第二章 夏、二軒目の家

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/71

みんながわたしを見るので、なにか悪いことをしたのかと思った

「つむぎ、おはよう」

 戸を開けたところで、名前を呼ばれた。

「つむぎちゃん、おはよう」

 坂の下からも呼ばれた。うちからおとうさんの家の戸口までは、二十歩しかない。そのあいだに三回呼ばれた。

 道に男の人が二人立って、こっちを見ていた。桶を提げたおばさんも足を止めて、こっちを見ていた。向かいの家の戸口にも人がいて、やっぱりこっちを見ている。

 わたしは立ち止まった。

「……おはよう」

 わたしも言ってみた。おはよう、と返ってくる。返ってくるけど、みんな、まだこっちを見ている。

 なにか悪いことをしたのかと思った。

 思い当たることを、上から順に出してみた。おとといの晩、干したものを取り込むのを忘れて、朝までそのままにした。あれかもしれない。それか、いちばん小さい鶏がよその家の畑に入ったやつ。あれは二回入った。二回ともわたしが追い出したから、もういいはずだ。あとは、ええと、出てこない。

 いちばん近くにいたおばさんが、こっちへ来た。目の前にしゃがんで、わたしとおなじ高さになった。

 わたしは、ちょっと身がまえた。

「きのうは、助かったよ」

 怒られなかった。

「うちの樽ね、底のほうまでいっぱいになったの。あんなにいっぱいなのは、ひさしぶりだよ」

「そう?」

「そうだよ」

 おばさんはわたしの頭にちょっと手を置いて、それから桶を提げて坂を下りていった。

 役に立ったんだ、と思った。

 身がまえていたところが、ふっとゆるんだ。うれしいのとは、ちょっとちがう。ほっとした、のほうが近い。


 おとうさんの家の前に、桶が並んでいた。

 きのうより増えている。土間の前から道のところまで二列になって、いちばん向こうは曲がって見えなくなっていた。樽も三つ、転がしてある。

「おとうさん、ふえてる」

「増えた」

 おとうさんは端の桶を動かして、あいだをそろえていた。

「ぜんぶ、やる?」

「頼めるか」

「うん」

 いちばん手前の桶の前にしゃがんで、手のひらを向けた。

 水が落ちて、底を打った。音は桶によってちがう。木の厚いのは低くて、薄いのは高い。うちの水瓶がいちばん低い。

 縁まで来たら手を下ろして、となりへ動く。動いて、しゃがんで、また出す。

 うしろで人がふえていた。

「つむぎ、こっちのも頼むよ」

「つむぎちゃん、そっちの端のがうちのだから」

「順に出してもらってるんだ。あんたも、うしろに置きな」

 名前を、たくさん呼ばれた。きのうまでは、こんなに呼ばれなかったと思う。井戸端で名前を呼ばれるのは、桶をどけてとか、そこ濡れてるよとか、そういうときだった。

 いまは、みんながわたしの名前を呼んで、そのあとに「ありがとう」を言う。

 満ちた桶は、大人が二人がかりで提げていく。空になったのが戻ってきて、列のうしろにつく。わたしはしゃがんだまま、端から順に動いていった。膝のところが土でざらざらになって、そこだけ黒くなった。

 わたしはいそがしくなった。いそがしいのは、きらいじゃない。


 六つ目か、七つ目のところで、うしろに男の子が立った。わたしより頭ひとつぶん小さい子だ。

「どうやってるの」

「どうやってって……」

 手のひらを桶に向けたまま、考えた。

「こう、して……こう」

 わたしは指をひらいてみせた。男の子は自分の手をおなじようにひらいて、じっと見た。それから、また、わたしの手を見た。

「わかんない」

「うん。わたしもわかんない」

 男の子は口をあけたままだった。

 その日、おなじことを何回も訊かれた。

「どこから出てくるんだい、それは」

「知らない」

「疲れないのかい」

「つかれない」

「誰かに教わったのかい」

「ううん」

「つむぎちゃん、あしたもいるかい」

「いるよ」

 教わったのは、薪は太いのから割るとか、そういうのだ。水は、気がついたら出ていた。

「その手は、生まれつきかい」

「手は、手だよ」

 訊いたおばあさんは、そうだねえ、と言って、しばらく自分の手のひらを見ていた。

 こまった。

 答えたいのに、言うことがどこかへ行ってしまう。頭の中では動いているのに、口のところで止まる。手なら、こう、と動かせる。でも、それを見せても、みんな首をかしげる。

 わたしは次の桶へ動いた。動いてしまえば、すぐにいつもどおりになった。

 ただ、のどのところに、ちょっと残った。


 夕方、うちに帰った。

「ただいま」

 だれもいないけど、言う。

 水瓶に手のひらを向けた。うちのは古いから、底のほうが茶色い。ぼこぼこ、と鳴って、その音がだんだん重くなって、縁の指二本下まで来た。

「これでいっぱい」

 いっぱいになったら、手を下ろす。それでおしまいだ。入るところがないのに出しても、こぼれるだけだから。

 よけてある分に、布をかけ直した。サナのぶんだ。サナは、いるときといないときがある。いないときのほうが、ずっと多い。

「サナ、きょうはたくさん出したよ」

 帰ってきたときに言えばいいのだけど、そのころには忘れているから、いまのうちに言っておく。

 うちの水瓶には、朝に出して、夕方にも出す。きのうも出した。その前の日も出した。水だけじゃなくて、火もつけるし、残ったものは悪くならないようにしておく。朝と夕方に、おなじ順でやる。いつからやっているのかは、おぼえていない。おぼえているより前から、やっている。

 小さいころは、縁に手がとどかなかった。踏み台に乗って、つま先立ちで手を出していた。台がぐらぐらして、いま思うと、あぶなかった。

 いちど、台の上にいるときに、サナが土間の奥から出てきたことがある。サナはわたしの横を通って、そのまま外へ出ていった。

 なんにも言わなかった。

「あぶないよ」も言わなかったし、「そこまででいい」も言わなかった。

 もういい、って言われたことが、いっぺんもない。

 だから、そういうものだと思っていた。いっぱいになるまで出して、いっぱいになったら手を下ろす。次の日も、おなじことをする。それが、うちのやり方だ。

 外で鶏が鳴いた。いちばん小さいのの声だ。あの子は、鳴くところがいつもおなじで、戸のすぐ前で鳴く。

「わかった。いま行く」

 わたしは戸口へ走った。


 ごはんは、おとうさんの家で食べた。

 食べおわって器を片づけていたら、おかあさんが空の桶をひとつ持ってきて、土間に置いた。

「つむぎ」

「なに」

「もう一回、見せてくれる?」

 わたしは、うれしくなった。

「いいよ。これに出すの?」

「ええ」

 しゃがんで、手のひらを向けた。おかあさんは桶のふちに顔を近づけて、水があがってくるところを見ていた。それから、紙の束にちょっと書いた。

 いっぱいになった。手を下ろした。

「……もう一回、いい?」

「いいよ」

 おかあさんは桶の水を戸口の外へあけて、また戻ってきて、おなじところに置いた。わたしはまた出した。

 二回目のあいだ、おかあさんの口が動いていた。声は出ていない。膝の上の指も動いていた。一、二、三、と数えるときの動かし方に似ている。

 なにを数えているのかは、わからない。

「なんこでもいいよ。桶、外にまだあるでしょ」

「……そうね」

 おかあさんはそう言って、また書いた。書くのが、ちょっとだけ長かった。


 三回目を出しおわったところで、おとうさんが土間に下りてきた。

「つむぎ」

「なに」

「……手は、なんともないか」

「なんともないよ」

 おとうさんはわたしの前にしゃがんで、わたしの手を取った。ひっくり返して、手のひらのほうも見た。

「痛いところは」

「ない」

「眠くないか」

「ぜんぜん」

 きのう、たくさん出した。今日も朝から、桶がなくなるまで出した。何回出したかは数えていない。おかあさんなら数えていると思う。

 どこも痛くないし、おなかもすいている。さっき食べたのに、もうすこし食べられる。

「あしたも出すよ。桶、また来るでしょ」

 おとうさんは、すぐには返事をしなかった。

「……ああ」

 それから立ち上がって、おかあさんのほうを見た。

 おかあさんが、わたしの手をずっと見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。