みんながわたしを見るので、なにか悪いことをしたのかと思った
「つむぎ、おはよう」
戸を開けたところで、名前を呼ばれた。
「つむぎちゃん、おはよう」
坂の下からも呼ばれた。うちからおとうさんの家の戸口までは、二十歩しかない。そのあいだに三回呼ばれた。
道に男の人が二人立って、こっちを見ていた。桶を提げたおばさんも足を止めて、こっちを見ていた。向かいの家の戸口にも人がいて、やっぱりこっちを見ている。
わたしは立ち止まった。
「……おはよう」
わたしも言ってみた。おはよう、と返ってくる。返ってくるけど、みんな、まだこっちを見ている。
なにか悪いことをしたのかと思った。
思い当たることを、上から順に出してみた。おとといの晩、干したものを取り込むのを忘れて、朝までそのままにした。あれかもしれない。それか、いちばん小さい鶏がよその家の畑に入ったやつ。あれは二回入った。二回ともわたしが追い出したから、もういいはずだ。あとは、ええと、出てこない。
いちばん近くにいたおばさんが、こっちへ来た。目の前にしゃがんで、わたしとおなじ高さになった。
わたしは、ちょっと身がまえた。
「きのうは、助かったよ」
怒られなかった。
「うちの樽ね、底のほうまでいっぱいになったの。あんなにいっぱいなのは、ひさしぶりだよ」
「そう?」
「そうだよ」
おばさんはわたしの頭にちょっと手を置いて、それから桶を提げて坂を下りていった。
役に立ったんだ、と思った。
身がまえていたところが、ふっとゆるんだ。うれしいのとは、ちょっとちがう。ほっとした、のほうが近い。
おとうさんの家の前に、桶が並んでいた。
きのうより増えている。土間の前から道のところまで二列になって、いちばん向こうは曲がって見えなくなっていた。樽も三つ、転がしてある。
「おとうさん、ふえてる」
「増えた」
おとうさんは端の桶を動かして、あいだをそろえていた。
「ぜんぶ、やる?」
「頼めるか」
「うん」
いちばん手前の桶の前にしゃがんで、手のひらを向けた。
水が落ちて、底を打った。音は桶によってちがう。木の厚いのは低くて、薄いのは高い。うちの水瓶がいちばん低い。
縁まで来たら手を下ろして、となりへ動く。動いて、しゃがんで、また出す。
うしろで人がふえていた。
「つむぎ、こっちのも頼むよ」
「つむぎちゃん、そっちの端のがうちのだから」
「順に出してもらってるんだ。あんたも、うしろに置きな」
名前を、たくさん呼ばれた。きのうまでは、こんなに呼ばれなかったと思う。井戸端で名前を呼ばれるのは、桶をどけてとか、そこ濡れてるよとか、そういうときだった。
いまは、みんながわたしの名前を呼んで、そのあとに「ありがとう」を言う。
満ちた桶は、大人が二人がかりで提げていく。空になったのが戻ってきて、列のうしろにつく。わたしはしゃがんだまま、端から順に動いていった。膝のところが土でざらざらになって、そこだけ黒くなった。
わたしはいそがしくなった。いそがしいのは、きらいじゃない。
六つ目か、七つ目のところで、うしろに男の子が立った。わたしより頭ひとつぶん小さい子だ。
「どうやってるの」
「どうやってって……」
手のひらを桶に向けたまま、考えた。
「こう、して……こう」
わたしは指をひらいてみせた。男の子は自分の手をおなじようにひらいて、じっと見た。それから、また、わたしの手を見た。
「わかんない」
「うん。わたしもわかんない」
男の子は口をあけたままだった。
その日、おなじことを何回も訊かれた。
「どこから出てくるんだい、それは」
「知らない」
「疲れないのかい」
「つかれない」
「誰かに教わったのかい」
「ううん」
「つむぎちゃん、あしたもいるかい」
「いるよ」
教わったのは、薪は太いのから割るとか、そういうのだ。水は、気がついたら出ていた。
「その手は、生まれつきかい」
「手は、手だよ」
訊いたおばあさんは、そうだねえ、と言って、しばらく自分の手のひらを見ていた。
こまった。
答えたいのに、言うことがどこかへ行ってしまう。頭の中では動いているのに、口のところで止まる。手なら、こう、と動かせる。でも、それを見せても、みんな首をかしげる。
わたしは次の桶へ動いた。動いてしまえば、すぐにいつもどおりになった。
ただ、のどのところに、ちょっと残った。
夕方、うちに帰った。
「ただいま」
だれもいないけど、言う。
水瓶に手のひらを向けた。うちのは古いから、底のほうが茶色い。ぼこぼこ、と鳴って、その音がだんだん重くなって、縁の指二本下まで来た。
「これでいっぱい」
いっぱいになったら、手を下ろす。それでおしまいだ。入るところがないのに出しても、こぼれるだけだから。
よけてある分に、布をかけ直した。サナのぶんだ。サナは、いるときといないときがある。いないときのほうが、ずっと多い。
「サナ、きょうはたくさん出したよ」
帰ってきたときに言えばいいのだけど、そのころには忘れているから、いまのうちに言っておく。
うちの水瓶には、朝に出して、夕方にも出す。きのうも出した。その前の日も出した。水だけじゃなくて、火もつけるし、残ったものは悪くならないようにしておく。朝と夕方に、おなじ順でやる。いつからやっているのかは、おぼえていない。おぼえているより前から、やっている。
小さいころは、縁に手がとどかなかった。踏み台に乗って、つま先立ちで手を出していた。台がぐらぐらして、いま思うと、あぶなかった。
いちど、台の上にいるときに、サナが土間の奥から出てきたことがある。サナはわたしの横を通って、そのまま外へ出ていった。
なんにも言わなかった。
「あぶないよ」も言わなかったし、「そこまででいい」も言わなかった。
もういい、って言われたことが、いっぺんもない。
だから、そういうものだと思っていた。いっぱいになるまで出して、いっぱいになったら手を下ろす。次の日も、おなじことをする。それが、うちのやり方だ。
外で鶏が鳴いた。いちばん小さいのの声だ。あの子は、鳴くところがいつもおなじで、戸のすぐ前で鳴く。
「わかった。いま行く」
わたしは戸口へ走った。
ごはんは、おとうさんの家で食べた。
食べおわって器を片づけていたら、おかあさんが空の桶をひとつ持ってきて、土間に置いた。
「つむぎ」
「なに」
「もう一回、見せてくれる?」
わたしは、うれしくなった。
「いいよ。これに出すの?」
「ええ」
しゃがんで、手のひらを向けた。おかあさんは桶のふちに顔を近づけて、水があがってくるところを見ていた。それから、紙の束にちょっと書いた。
いっぱいになった。手を下ろした。
「……もう一回、いい?」
「いいよ」
おかあさんは桶の水を戸口の外へあけて、また戻ってきて、おなじところに置いた。わたしはまた出した。
二回目のあいだ、おかあさんの口が動いていた。声は出ていない。膝の上の指も動いていた。一、二、三、と数えるときの動かし方に似ている。
なにを数えているのかは、わからない。
「なんこでもいいよ。桶、外にまだあるでしょ」
「……そうね」
おかあさんはそう言って、また書いた。書くのが、ちょっとだけ長かった。
三回目を出しおわったところで、おとうさんが土間に下りてきた。
「つむぎ」
「なに」
「……手は、なんともないか」
「なんともないよ」
おとうさんはわたしの前にしゃがんで、わたしの手を取った。ひっくり返して、手のひらのほうも見た。
「痛いところは」
「ない」
「眠くないか」
「ぜんぜん」
きのう、たくさん出した。今日も朝から、桶がなくなるまで出した。何回出したかは数えていない。おかあさんなら数えていると思う。
どこも痛くないし、おなかもすいている。さっき食べたのに、もうすこし食べられる。
「あしたも出すよ。桶、また来るでしょ」
おとうさんは、すぐには返事をしなかった。
「……ああ」
それから立ち上がって、おかあさんのほうを見た。
おかあさんが、わたしの手をずっと見ていた。




