正志叔父さん
ゴソゴソという音で目が覚めた。
私……どうして!?
頭がクラクラするし、後頭部に鈍い痛みが走る。
そうなんだ、転んだのよね。
手を後頭部へ持っていこうとしたが、後ろで縛られているようだ。
そして、口は猿ぐつわで塞がれている。
横向きに寝かされ、身動きもなかなか取れない。
どうやら例の襖の部屋の中にいるのは変わらない。
手の戒めを外そうとモゾモゾするが、固く結ばれいて外れそうにない。
ゴソゴソという音に顔を向けると、美江が何かしているようだった。
「んんんーん!」
お母さんと言いたいが、うまく話すことができない。
美江は床に空いた穴を塞いだようで、その上から畳をズリズリと滑らせて置いている。
詩織の声も届かないようで、畳をしっかりとはめ込むと、虚ろな無表情な顔で出口から出て行ってしまう。
「はあ、詩織ちゃんね。ほんと余計なことばしてくれてからさ」
詩織の背後から正志の声が聞こえる。
苦労して寝返りの要領で、体ごと後ろに向ける。
薄暗い灯りに照らされた叔父が、美江と同じ無表情で虚ろな目をして詩織を見下ろしている。
昔の暖かな印象はなく、冷酷な視線が痛いくらいだった。
「ダメたいね。他所の人に、ここのこと言うたらさ…」
「んんんーんん」
正志は詩織のスマホを持っており、中身を見ていた。
私のスマホ、そう言いたかったがどうすることもできない。
「全くさ、よりによって、誰に言うたかと思えば、神社の息子って!!」
はあ、とため息をつく正志。
だが相変わらず無表情だったのが逆に不気味である。
「やけん、あそこの神主がなぁ…くそが…」
正志はブツブツと言っているが、その後は聞き取れなかった。
「まあよかたい、ここまで話しば聞いたなら、叔父さんからも色々教えてやらんばやろうね。スマホは返してやるけん、安心せんね」
そう言って、詩織のズボンのポケットにスマホをねじ込む。
「ああ、そうか。詩織ちゃん、ごめんねぇぇぇぇぇ。スマホ返すけど、もうたぶん使われんばい」
クスクスと笑う正志。
だが、やっぱり無表情のまま笑っていた。
(叔父さん、こんな人だったかしら?)
詩織の全身には鳥肌が立ち、叔父の異様な不気味さに言葉を失っている。
「あ、そうそう。色々教えてやらんとやった」
そういって次のようなことを語りだす。
浜崎家の前の持ち主で、猫を使った異様な儀式めいたことをやっていたのは、実は正志の祖母だったという。
戦時中であり、男手も取られてしまい、毎日の食べ物にも困る毎日だった。
祖母は幼い子供を背負い、畑に出たり、夜遅くまで着物を仕立てたり、働き通しだったようだ。
そんなある日、家に入りこんできた猫がおり、大切な魚を狙っていたようだった。
それを見つけた祖母は、猫を捕まえてしまう。
それからというもの
── ビギャァァァァ
家のとある部屋から、猫の尋常ではない鳴き声が響いた。
そんな日には決まって、
『今日は肉ば買うてきたけん、腹いっぱい食べて良か』
そう言って肉が出たというのだった。
何の肉かわからないが、喜んで食べる子供たち。
それから、周囲の人達も巻き込んで、辺りの猫を捕まえていた。
そのうちに、罪悪感からなのかわからないが、儀式的な意味を話すようになったとのこと。
『良かか? 猫はな、九つの命ば持っとる。やけん、この命ばありがたく頂戴してからな、代々伝えていくったい』
そのような怪しいことを言い出したようだった。
それから終戦となり、長崎の街は原子爆弾の被害もあり、大混乱に陥った。
人々は仕事どころではなくなり、県外や長崎市内から外れた田舎へ離散していった。
正志の祖母も例外でなく、被害こそなかったものの、積み重なる借金も返せずいた。
終戦のゴタゴタもあり、すぐに返済するよう求められるが、返す当てもなかったので、家を借金の肩代わりで取られてしまう。
過労や家を失ったショックもあり、祖母は間もなく息を引き取る。
そこで子供たちは、親戚を頼って各地へ散っていった。
その子供たちの中には、正志の母もいた。
正志の母は、熱心に祖母の儀式めいた内容を盗み見ており、子供のころから洗脳のように魅入られていたようだった。
親戚を頼って大きくなっていったが、あの家で過ごした日々がいつも脳裏にあったようだ。
祖母が出してくれた謎の肉。
いや、その正体はちゃんと知っている。
私は九つの命を継承しているのだ、そう思っていたようだ。
ここまで話すと、正志がニタァっと笑う。
もちろん笑うのは口だけで、目は虚ろで笑っていない。
「もうわかるやろ? 詩織ちゃんもおるこの部屋。ねぇ、昔からずぅぅぅぅぅぅっと、ここでさ」
そこまで言うと言葉を止める正志。
── プギャアァァァァァァ
いきなり正志がそのように呻く。
あまりの不気味さに、詩織はビクッとなって、冷や汗が背中を伝う。
そして、自分の首に親指を立て、真一文字に横へ動かす動きを見せる。
「そういうことたいね、うん、ここで猫たちと、楽しゅゅゅゅう、遊んでからな」
(やだやだ、叔父さんって、おかしくなってる)
「おいの母ちゃんはさ、ずぅぅぅぅぅぅっと、猫とどぎゃんして遊ぶか、色々遊び方ば教えてくれたったい」
正志が舌を出して、唇をペロリと舐める。
口角が上がっていて、目は無表情なまま、嫌な笑みを浮かべている。
「おいが中学生んときかなぁ。母ちゃんは海に入って行ってさ、そのまま帰ってこんやった。そのまま父ちゃんに育てられたとけど」
そこまで話すと、今度は正志が屈みこんで詩織の頭を撫でてくる。
「じゃあ、次はさ、詩織ちゃんの母ちゃんの話ばしようか?」
詩織はもう半ば諦めかけていた。
身動きも取れない、この状況では美江も当てにならないからだ。
そんな詩織の状況を見て理解したのか、ちょっと考え込む正志。
「まあでも、もう少しで終わるけん。まあ聞かんね」
正志は物心つく頃から、ずっと祖母の話や猫の話を散々聞かされて育ったようだった。
そのため、母が亡くなった頃には、祖母の家のこと、猫のこと、それが頭から離れないほど執着したようだった。
高校を卒業すると、長崎市内の小さな会社に就職した。
そして、山歩きと称しては、浜崎家の周辺を頻繁に訪れたらしい。
そこで美江と出会う。
これは偶然ではなく、浜崎家の家族構成や誰が何をしているかなど、事細かに調べ上げていたと、嬉しそうに話す正志。
「詩織ちゃんの母ちゃん、美江さんはさ、猫嫌いやったろ?」
そこで正志がニタァと、また口元だけの嫌な笑みを浮かべる。
正志のやり方は巧妙だった。
最初は偶然を装って近づいて、二言三言話して帰っていく。
それから数日後、また偶然を装って話をして、あまり深い入りしない前に帰る。
この辺の山が好きだと、適当なことを話していた。
そんな偶然が続いたこともあり、美江とはかなり打ち解けていた。
そんなある日、一緒に山登りをしようと誘った正志が、竹藪で猫を見つける。
美江は猫嫌いなので、どこかへ追っ払ってと正志にお願いする。
最初はその言葉に従う正志だったが、また別の日にも猫を見つける。
これは正志があらかじめ餌付けしており、猫が正志に懐いていたのだった。
それから少しずつ美江に対し”猫と楽しく遊ぶ”ことを教える。
最初は、軽いものだったが、やがて内容はエスカレートしていく。
「グフフフフ、ねぇ、詩織ちゃん。美江さんもな、大喜びで猫と遊んでからさ、猫たちもほんと、ヨロヨロになるまで遊んで、嬉しかけん大声で鳴きよったとさ」
(こんな話、聞きたくない……)
詩織の目から涙が伝う。
「あららら、楽しく猫と遊ぶって話たい。どげんした? 泣くことあるぅぅぅぅ?」
そう言いながら、詩織の目の前まで正志が顔を近づけてくる。
虚ろな目と、生臭い口臭がとても不快だ。
「で、次は智子たいね」
そしてまた、正志が得意げに話し出す。
智子とは叔母のことだ。
美江と仲良くなった事で、智子との繋がりもできる。
三人で遊ぶようになり、急速に親密なったようだ。
今でこそ正志は頭が薄くなり、腹もでっぷりと出ているが、詩織が小さい頃は密かに憧れていたのだ。
綺麗な叔母さんと、お似合いのイケオジだと。
当時は奥手な智子は友達も少なく、恋愛とは無縁だった。
正志と出会ってから、舞い上がってしまったようだ。
そして恋人同士となり、やがて結婚した。
浜崎家の実家に入って、そこから真の目的のため正志が動き出したようだ。
「智子はさ、純粋やったとさ。動物、特に猫も大好きやったもんね。やけん、本当にすこぉぉぉしずつ、本当の遊び方ば教えてさ」
正志の顔は赤身を帯びて、興奮しているようだ。
「智子のさ、本当の遊びを知って行く過程がさ、もう本当に……あぁ、たまらん」
そう言って前屈みになる正志の口からは、つうっと涎が滴る。
(もうやめて、聞きたく無い…)
詩織の目からは、止めどなく涙が溢れる。
「詩織ちゃん、ごめんたい。叔父さんちょっと興奮し過ぎてさ、まあ、そういう事でさ…」
それからは智子の壊れっぷりは加速したようだ。
『ふふふ、そうねぇ、猫には九つの命があるけん、私がたくさん命をもろうて、次に伝えんとやろ』
身体の弱かった智子は、そう言うのが口癖になったようだ。
だが、やがて智子のガンが見つかり、亡くなるに至る。
「ふう、やけんさ、本当はさ智子と同じに、詩織ちゃんも猫好きやろ? やけん、楽しく遊んで欲しかったとけどねぇぇぇぇ」
残念というように、ぶるぶると首を振る正志。
「神主んとこの息子に言うたって?」
いきなり激昂する正志に、ビクッとなる詩織。
「あん神主は、少し前からうちの周りば嗅ぎつけよったたい、神主のオヤジも、ばあちゃんの邪魔ばしたって聞いたさ」
唾を飛ばして捲し立てる正志。
(叔父さん…完全におかしいよ…)
黙って聞くしか無い詩織には、恨めしく睨むしかできない。
「仕方んなかね、残念やけどここも無理かなぁ」
やれやれと首を振ると、キッと詩織を睨む正志。
「あぁあああ、詩織ちゃんが悪かったとさ、諦めてな。うんうんうん、綺麗にせんとな」
そこでいったん目を閉じて沈黙する。
そして、ぱっと目を開くと、虚な目と狂気に満ちた口元で笑った。
「もちろん、綺麗にするのは詩織ちゃんもやけどな」




