忌まわしき過去
「どこ行こうか? 行きたかとこある?」
平が何かを感じ、普段よりもテンション高く聞いてくる。
「うーん、稲佐山!」
詩織は即答していた。
神戸の夜景よりもスケールは少し小さいが、稲佐山からの夜景はかなり人気がある。
夜景ではないが、昼訪れても気持ちのいい場所には変わらない。
「稲佐山? やっぱ浜崎は東京の人ってことたいね」
平がふざけて言ってくる。
「いや、久しぶりやし、良かやろ?」
詩織は少し不貞腐れ気味に言う。
「まあ、おいは行き飽きたけどね」
「ん? 色んな女の子と行ったってこと?」
明らかに動揺する平。
「いや、色んなってほどじゃ…」
東京の人とからかわれた仕返しだったが、あたふたする平がおかしく、吹き出す詩織。
「冗談だから、まあこの歳だしね。デートくらい平くんだってするよね?」
「お、おう、で、ロープウェイも乗る?」
「乗りたい! ちなみに今日はデートなの?」
嫌な事を忘れようと、詩織もテンションを上げる。
「え、あ、いや、そういえば淵神社の駐車場空いとるかな?」
平はなんと答えるのがベストか分からず、言い逃れようとしている。
ただ、稲佐山の中腹や、展望台側の駐車場は、かなりのキャパがあるが、淵神社の駐車場は十四台しかスペースがない。
わいわいと話していると、淵神社の駐車場に到着した。
幸い二台分の空きがあったので、片方に滑り込ませる。
「良かった、空いとった!」
「行こう! 先に降りるね」
詩織は車を停める前に降り、ロープウェイの駅へ向かった。
待ってと慌てる平が続く。
── ロープウェイが展望台に到着
夏休み時期なので、展望台にはかなりの人がいた。
なんとか空きスペースに入り込む。
左手から右へと視線を移せば、長崎駅、出島、グラバー園が順に見える。
細長い長崎湾が、"つ"の字を左右反対にしたような形に見えている。
対岸も稲佐山も、山の中腹まで家や建物が密集している。
さすが坂の街長崎、という眺めだった。
「夜ならもっと綺麗だよね」
「ん? また夜に来る?」
しみじみと言う詩織に、平が聞く。
「どうしよう…考えとく」
曖昧に答える詩織だったが、夜と聞くと実家のことが頭をよぎったからだ。
展望台でお昼を食べて、淵神社にロープウェイで戻る。
「このあとはどうすっと?」
「そうね、野母崎のほうにドライブしたい」
高校の頃の友達が香焼だったので、何度か遊びに行った。
特別何があるというわけではないが、海岸など見ていると落ち着いた。
昔は野母崎町があったのだが、今は長崎市に編入されている。
位置的には、長崎半島の南側にあたる。
「野母崎? なんもないけど良かと?」
「うん、海見ながらのんびりドライブしたい」
それからしばらくは海岸沿いに走ったり、途中の公園に寄ったりと、ゆったりと過ごした。
そのおかげで、詩織もかなり落ち着いていた。
だが、時間的にもすっかり日も暮れて、夕方になっていた。
「どうする? ご飯でも食べるね?」
「うーん、飲みたい! あ、でも平くん車やったね。ご飯にしよっか」
そんな詩織を眩しそうに見ていた平だった。
「よし、なら飲みに行こうか。おいのことは、心配せんでよか。会社でも運転手にさせられて、飲み会はほとんどフリードリンクやけん。慣れとるとよ」
「良かと? 本当にありがとう」
詩織の笑顔に、満足そうな平だった。
「あ、二人で嫌なら、平井さんも誘ってみる?」
「あ、良かよ。平くんなら、二人でもね」
明らかに嬉しそうな平に、詩織はいい意味で単純なんだなと思う。
「じゃあ、この前新地で同窓会やったし、今日は思案橋行こうか?」
「思案橋か…よく知らないな」
詩織の短大は長崎インターの側で、思案橋当たりで遊ぶ事がなかった。
「そう? なら思案橋横丁行こう。飲み屋さんたくさんあるけん」
「そうなんだね、うん、じゃあ行こう」
平の提案に頷く詩織。
「なら、ここから三十分くらいやね…」
時計を見ながら平が答える。
しばらくは、この前の同窓会や、平の仕事や詩織の仕事など話していた。
「あ、そうだ、そういえばさ、平くんの実家って神社よね。お願いがあるとけど」
「ん? なんね」
平の父親は、かなり大きな神社の神主をしており、浜崎家の近くにもおなじ系統の小さな社もある。
平は次男で長男が後を継ぐことから、勝手気ままに一般企業に就職したのだった。
「実は、うちの実家辺りって、なんか気持ち悪いなって、だから平くんのお父さんなら、あの辺の曰くというか知ってるんじゃないか? って」
なんとなく思い当たるのか、平が少し頷く。
「おいも詳しくは知らんとけど、確かになんか聞いたことあるかも。オヤジに聞いてみる」
── 思案橋横丁からの帰り
「キャハハ、もう、平くんやめて」
車の中で詩織が笑い転げている。
薄っすらと涙が流れるほどに可笑しいようである。
「詩織ちゃん、本当大丈夫ね?」
平が心配になるほどに酔っているようだ。
特にギャグを言うわけでも、鉄板のネタを披露したわけでもないのだが、平の話に笑い転げていた。
ここのところの恐怖というか、狂気というか、その反動なのであろうか?
酒の方も、生ビール大ジョッキ三杯も開けている。
詩織はとにかく楽しくなっていたのだった。
家に着いても終始ヘラヘラしている詩織を送り届け、平は美江に何度もお礼を言われながら帰って行った。
ベッドに倒れこむようにして詩織は眠りについた。
── ブゥゥゥゥゥ、ブゥゥゥゥゥ、ブゥゥゥゥゥ
音が聞こえた。
頭が重くて痛かった。
スマホが鳴っていて、枕元を手探りして探す。
詩織の手にスマホが当たる。
目を開けると、光で脳をかき混ぜられるような、そんな痛みが走る。
なんとかスマホを握り、しばらく考える。
二日酔いがとてもひどい。
昨晩は飲み過ぎていたこと、なぜだか馬鹿笑いしていたこと。
そんな記憶が全てではないが、薄っすらと思い出された。
何とか気合を入れて目を開ける。
チャットが二件来ていて、どちらも平からだった。
一通目を開くと、”頼まれていたことをオヤジに聞いたけん、内容書いとく”という文面が目に入る。
読み進めていくと、詩織の顔から血の気が引いていくのがわかる。
チャットの内容は以下のようなものだった。
その昔、まだ戦時中のころ。
戦争による物資や食料の不足があって、皆苦しいときだった。
現在の浜崎家の前の持ち主が、とある宗教とまではいかないが、怪しいことをしていたという。
怪しいことというのは、猫を捕まえその肉を食したり、生き血を啜ったりということが行われ、その近辺の猫が姿を消したというのだった。
周囲で集めた猫を持ち寄って、数名が集まっていた、ということらしい。
なぜ猫なのか、どういう理由があったのか、そのあたりの詳しいことまではわかっていないのだという。
その後、浜崎家がその家を買い取ったということになるが、終戦と原爆の被害から元の持ち主や集まっていた者たちも、いつの間にか離散してしまったという。
そのチャットを読み終えた詩織は、あの日の老婆の言葉を思い出す。
『ぬしんとこさんようけおったやろが、ねこばどきゃんしたかって』
訳せば、『お前の所に沢山いただろうが、猫をどうしたのかって』 となる。
平からのチャットの内容とリンクしているからだ。
一瞬で二日酔いも覚めるような、そんな状況だった。
── こうしてはいられない!
何かに突き動かされるように、詩織は飛び起きて歩き出す。
目指すは、あの襖の部屋だ。
今までの恐れがなんだったのか、そう思えるほどに、詩織はずかずかと歩いて行って襖を開ける。
黴臭い匂いと、薄っすらと漂う生臭い匂い。
何故か蝋燭が灯され、ゆらゆらと揺れている。
薄暗い中、蝋燭に照らされた包丁が見える。
刃には赤黒い染みが見えるが、乾いているようだった。
よく見ると、畳が一部剥がされおり、床板が見えている。
床板も一部が抜けており、暗闇になっている。
ポケットからスマホを取り出し、ライトをつける。
そして、抜けた床板を照らした。
── ぴちゃん、ぴちょん、ドスッ
何かが滴る音、それから重たい粘土が落ちるような音。
その音を聞いた時に、生臭い匂いが強烈になって詩織の鼻を襲う。
息を吸い込んだ時、詩織の頭からつま先まで電気が走った。
『フフフ、ねぇ詩織ちゃん、知ってる? 猫ってね、九つの命があるのよ?』
嬉しそうに笑う叔母。
その腕には猫が抱かれていた。
叔母さんが右手で優しく猫を撫でている。
そして、左手には包丁が握られている。
『ねぇ、詩織ちゃん、九つも命があるから、これをもらったら私も、もっともっともっともっと、元気になれると思わない?』
── ブギャァァァァッ
突然の猫の鳴き声。
普通の鳴き声ではない、尋常ではない鳴き声。
『詩織ちゃんは自分のお部屋で遊んでらっしゃい、覗いちゃダメよ?』
── ブギャァァァァッ
再び尋常ではない鳴き声。
── ぴちゃん、ドシュッ
『フフフフフ、いいわね。やっぱり猫っていいわよね。ウンウンウンウンウン、元気になるわよぉぉぉ』
何をしているのだろうと、そっと襖を開ける小さい頃の詩織。
何かに気が付いた様子の叔母。
『こら、詩織ちゃん、見ちゃ……ダメでしょう?』
振り返った叔母の顔には、血が塗りたくられている。
── ひぃっ
詩織は驚いて声を上げてしまう。
走馬灯のように一連の記憶を見ていたが、驚きで我に返る。
そうだった、私……
叔母さんがあんなことしていたこと……
ちょうど床下にスマホのライトが当たっており、なにがあるのかが良く見えた。
そこには、動物のものと思われる無数の白骨があった。
この流れであれば、それは猫であることに間違いない。
頭蓋骨の虚ろな無数の目が詩織を恨めしそうに見据えている。
── ズズズッ、ガリガリガリ、ズズズッ、ガリガリガガガ
その時、詩織の背後から、畳をすり足で歩くような音と、金属を凸凹で引っ掻くような音が聞こえる。
鳥肌が全身に走り、恐怖で動けなくなりそうだった。
だが、ここで止まっていると、多分ダメだとわかっていた。
だから思い切って振り返る。
そこには、白いワンビースの叔母がヨタヨタと歩いており、手にした包丁で壁を引っ掻いていた。
恐怖で一歩後ずさった。
── ズボッ
後ずさった先には、床下の抜けた穴があり、片足を突っ込んでしまった。
後頭部から倒れ、勢い良く柱に頭をぶつけてしまう。
気が遠くなっていく詩織。
その詩織を、美江、正志が無表情で見つめていた。
挿絵の風景などはイメージです。
実際の景色と同じではありませんので、ご了承ください。




