薬の聖女をはかりなおす_3-1
商会ギルドは、王都中央の交易広場に面していた。
重厚な石造りの建物である。
正面扉の上には、羽根のついた硬貨の紋章が掲げられている。
「商いは、飛ぶが如く」
セラフィーナは、旧知の友の口癖を思い出し、馬車の中で小さく笑った。
到着と同時に、上等な皮鎧の門番たちが背筋を正し、深々と頭を下げる。
武に長けた者も礼儀に明るい。王都商会ギルドの規律の高さがうかがえた。
「ヴァレンティア侯爵令嬢。応接室にて副長がお待ちです。ただ、その……」
案内役の男が、わずかに言葉を濁した。
奥の廊下から、抑えきれない大声がこちらに届く。
かろうじて礼を失っていない。けれど、鋭さを隠そうともしていない。
「これ以上流通させるなら、せめて薬師ギルドに話を通してください!」
「今更勝手な言い分だ、薬師殿。薬として届け出のない物を、何の権限で止めなきゃならん?」
「それが詭弁だと言うんです!」
「見解の違いだな。商人から詭弁を抜いたら、何も残らんぞ?」
セラフィーナは扇を閉じた。
「まあ。すでに始まっておりますのね」
応接室の扉が開く。
中央の卓を挟んで、二人の男が向き合っていた。
一人は、使い込まれた革鞄を抱えた若い薬師。
二十代半ばほど。胸元には薬師ギルドの徽章が光っている。薬師ギルド長の名代、オルフェ・レイン。
もう一人は、黒髪を後ろへ撫でつけた長身の男だった。
濃茶のギルド制服の胸元が大きく開いている。ただその着崩しが、妙に似合うような男である。
商会ギルド副長、ラウル・ソーエイ。
王都で二番目に忙しく、三番目に信用ならず、しかし一番早く役に立つと評判だ。
「お嬢!」
ラウルが明るく両腕を広げた。
「ソーエイ様。ごきげんよう」
「ラウルでいいって。相変わらず可愛らしいなぁ、お嬢。王都一高い硝子棚に飾って拝観料を取りたいくらいだ」
ディアナの視線が、一気に氷点下まで下がる。
「冗談だ。筆頭侍女殿、その目で人を斬らないでくれ」
「ご安心を。まだ斬っておりません」
ラウルは肩をすくめた。
それを見て、セラフィーナが人のよさそうな笑顔を送る。
「今日はこの辺りで許して頂戴、ディアナ。ほかのご来訪の方々をお待たせしてはいけません」
ラウルの軽薄な笑みから親しみだけが消える。
「ああ、聖女の霊薬な。注文通り揃えた。見てくれ」
卓の上には、すでに数冊の帳簿と、封をされた小瓶が3本並べられていた。
「左から、正規流通品。今朝、買取依頼として持ち込まれ、貴族家の使いが高値で買おうとした出所不明品。最後は露店の品だ」
セラフィーナは、並べられた小瓶を見た。
正規品と呼ばれたものは澄んでいるが、持ち込まれた品の瓶は濁り、光が消えかけている。
そして最後の一本に至ってはほぼ混ぜ物、飲むことも憚られるような品だ。
「……この短時間でよくお集めになって。並べるとよりわかりやすいですわ」
「さすが真実の目。俺たちの帳簿より正確だ」
ラウルは、自ら帳簿の一冊を開いて見せた。
「まず前提だ。商会ギルドとして、聖女の霊薬を正式な薬として扱った記録はない」
「それでも流通があるのは、事情があると?」
「そこさ。薬ではないからだ」
オルフェが口を差し挟む。
「それが、詭弁と言っています!」
「事実だ。最初は教会への寄進返礼だった。施救院へ多額の寄付をした者に、祈祷済みの『祝福の小瓶』が渡された。少なくとも書類上はな」
「祝福であろうと、飲めば身体に作用します」
ラウルは帳簿の余白を指で叩いた。
「そうは言うがな。需要があって値がついた。市場の真理だ。そして値段が付いたならば、商人は流す」
「……ギルド内で止めなかったのですか?!」
「薬ではない。禁制品でもない。教会の祈祷品で、貴族も買った。そして実際に治った。一生、歩けなかったはずの男爵の息子に「奇跡」が起きた」
最後の言葉だけ、ラウルの声がひそめられた。
「本物は、売れる」
「では、いま施救院は?」
鋭い声が飛んだ。セラフィーナだった。
「……崩れかけています」
オルフェ・レインが、苦しそうにつぶやいた。
その横に、教会施救院から来たらしい副神官が控えている。
目の下には濃い影が落ち、疲労の色を隠せていなかった。
「朝から長い列ができています。熱に浮かされた子を抱く母親。顔を隠した商家の娘。噂を聞きつけた貴族家の使いまで。
皆、恐れながら待っている。薬害未遂の噂を知っても、誰も帰ろうとしない」
彼は革鞄の取っ手を握りしめた。
「それなのに、施救院にもう余力が無いんです。症状欄は空白。投与量もない。経過欄には“良くなった”“まだ苦しい”“熱は下がった”。
……あれは記録ではありません!」
「それで、こちらへ?」
「黙認状態じゃないですか!」
オルフェは唇を噛んだ。
「薬師として飲むなとは言えません。でも効力が強すぎる、得体が知れない! 本来なら薬師や医師を介して、相手を見て、慎重に調整すべき代物です」
その時、副神官が、重く口を開いた。
「実は……半月前、施救院から薬師ギルドへは、連携を申し入れております」
オルフェが、はっと顔を上げた。
「……初耳です」
「でしょうな。受理される前に、内々に一部の方々に退けられましたので」
副神官は、責めるでもなく言った。
「強すぎる効力故、危険と見なしたと。そんな薬には関われない。薬師ギルドの名と責任を貸すことはできない、と」
オルフェは息を呑んだ。その拳が握られている。
副神官は、力なく首を振る。
「しかし、責められはしません。我々も同じ立場であれば、そうしたでしょう。得体の知れぬ奇跡に、名と責任を貸すのは恐ろしいことです」
副神官は迷いながら、また続けた。
「……我々も、同じなのです。精霊の御業に、人の手で加減を加えてよいのか。薄めてよいのか、止めてよいのか。教会の中でも意見が割れました」
「その間にも、聖女の薬は使われ続けた?」
「……救われた者がいる。その事実は重いのです。だから、止められなかった」
部屋の中が静まり返った。
オルフェの指が、いつの間にか胸元の薬師徽章を掴んでいた。
セラフィーナは目を伏せる。
薬師は、危険だから手を出せなかった。
教会は、奇跡だから手を入れられなかった。
それぞれの判断は、役目として間違っていない。
だが、人の責任からこぼれ落ちた奇跡は、目の届かない場所で人に使われていた――。
『薬師ギルド名代 オルフェ・レイン殿』
セラフィーナの耳飾りの青石が、淡く光る。
そこからビアトリクスの声が発せられた。
『王立審問院書記官のビアトリクスです。国営の管理者から、今この場で連携を依頼するとした場合。薬師ギルドは、どう関与できますか?』
オルフェは、薬師徽章から指を離した。
「……今ここで、正式な調薬指示は出せません。私の独断で霊薬を認可することも」
『正しい判断です』
「ですが、症状を聞き、年齢を記し、投与量を控え、経過を見ることはできます。危険があれば止めます」
彼は、深く息を吐いた。
「……果たすべき義務を、半月遅れて始めます。施救院に薬師を。私だけでも」
『助力の程、ありがたくお受けいたします』
セラフィーナの笑みが、少しだけ柔らかく戻った。




