第06話 代わりの職人は、銀貨で雇えるか
王都の検査場には、代わりの職人の試験片が並んでいた。
エリンが銀樹硝子工房を去ってから、約十日が過ぎた。
商会主であるベネディクトは、かつて娘が立っていた白い布張りの検査台を見下ろしていた。そこには、王城薬草院の納品監督官から要求された「代替職人の試験板」が三枚、朝の光を浴びて置かれている。
「どうだ、この出来は」
ベネディクトの問いに、傍らに立つレオンが腕を組んだまま顔をしかめた。
「厚みと、光を透かした際の筋の許容値が、指定された『基準』からわずかに外れています。実用上は問題ないはずですが、王城の薬草院が求めている特殊な仕様に対しては、少しばかり精度が甘い」
『基準』は、娘が残した検査記録だった。
ベネディクトは高額な臨時報酬で上級職人を雇い、試験板を作らせ直していたが、窯の癖を掴むには、残された日数が足りなかった。
「これ以上の精度を要求されるなら、窯の火入れからやり直さなければ無理です。それでは、十二日という納期には間に合いませんよ」
高給で呼ばれた外部職人は、自分には責任がないとばかりに肩をすくめた。
「仕方がない」
レオンが冷徹な声で結論を下す。
「全面的に作り直すよりはマシだ。この水準で受け取ってもらえるよう交渉します。短い納期延長の費用も、値引きも、避けられないでしょうがね」
「値引きだと!? 外部の職人に払う臨時給与だけでも馬鹿にならないというのに、これ以上利益を削るというのか!」
ベネディクトは声を荒らげ、検査室の奥で黙々と作業を続ける仕上げ主任、エッダを怒鳴りつけた。
「おい、エッダ! 少しでも見栄えを良くしろ。冷却の時間を削って、磨きの工程を急がせろ!」
無茶な指示だった。しかし、借入金六百枚の返済を急ぐベネディクトにとって、この大口契約での利益目減りは何としても避けたい事態だった。
だが、五十歳になる熟練の仕上げ主任は、作業の手を止めずに首を横に振った。
「お断りします、商会主」
「なんだと?」
「退火の時間を省けば、板の内部にひずみが残ります。加工中に割れて職人に怪我人が出ますし、なにより、納品後に王城で立て続けに割れるようなことがあれば、それこそ『銀樹』の看板と商会の存続に関わります。私は、残った職人たちの安全を脅かす指示には従えません」
エッダは退火の記録表を、ベネディクトの前へ押し出した。欄を埋めるまでは次へ渡さない、という姿勢だけは、娘がいた頃と変わらない。
職人を無理に急がせれば、集団離職という最悪の事態を招きかねない。ベネディクトは舌打ちをし、それ以上の強要を諦めるしかなかった。
十四日目。延長を取り付けた納品日に、外部職人の試験片と、エッダが通常工程で安全に仕上げた四十枚の硝子板が、王城薬草院へ運び込まれた。
結果として、納品は成立した。
薬草院側も急ぎの需要があったため、品質がかつての基準からわずかに落ちていることを指摘しつつも、「実用的には許容範囲内」として全品を受け入れたのだ。
これで、銀樹硝子工房が倒産することは免れた。
しかし、大口契約による利益は、ベネディクトの期待を大きく下回った。納期延長の費用、一部値引き、外部職人への高額な報酬が、商会の帳簿を冷酷に削り取っていた。
「……忌々しい。たかが娘一人が抜けただけで、ここまで足元を見られるとは」
帳簿を睨みつけるベネディクトに対し、レオンは冷ややかな声で新たな提案をした。
「だから言ったでしょう。特殊な注文や、職人の腕一つに依存するようなやり方にこだわるから、こうして振り回されるのです」
「どういう意味だ」
「技術保証などという面倒な市場は手放せばいい。これからは、王都規格の均一な薄板を広域に卸す、大量生産路線へ完全に切り替えるのです。規格品であれば、手順さえ守れば誰が作っても同じ利益が出ます。……例えば、北方の領地などにも、うちの安い規格板を売り込める余地は十分にありますよ」
レオンの言葉に、ベネディクトは唸り声を上げて頷いた。
確かに、大量生産ならば職人の顔色を窺う必要はない。代わりの労働力は、それこそ銀貨でいくらでも雇える。
だが、王城からの帰りがけに納品監督官から告げられた最後の一言が、ベネディクトの胸の奥で重いしこりとなって残っていた。
『今回は妥協しましたが、薬草院が今後求める最高品質の特殊板については、現任の品質責任者の実績審査が必要です。よって、次期からの特殊板契約は「公開入札」に変更させていただきます』
その言葉が意味するものを、商会主である彼が理解できないはずもなかった。
ベネディクトが失ったのは、単なる「娘一人分の人件費」ではない。他社には真似できない品質を保証し、高額な注文を独占できる『特殊市場への切符』だった。
どんなに安い規格品を大量に作ろうと、そしてどれだけ銀貨を積んで代わりの職人を雇おうと。
エリンという職人が七年間で築き上げた「欠陥を見逃さないという信用」の実績だけは、同じ額の給与を払うだけでは、戻らない。




