第35話 春を売るのではなく、春を待てる窓
ベラの日誌には、傷んだ苗の数も残っていた。
百三十七日目、エリンは冬越しの記録を見せてもらった。夜布、薪、換気、日射。手順を変えた日には印があり、葉が傷んだ列も消されていない。
温室で何もかも救えたわけではない。だが、露地と比べる条件を揃えた小さな試験では、寒さに強い苗をより多く春へ残せていた。
「これを見て、三村が小さく試したいと言ってきた」
ベラは日誌の最後を開いた。
「最初から大きな建物を建てるんじゃない。家ごとの枠を少しずつ直して、交換して使えるようにしたいそうだ」
共同見積の対象は、換気枠関連の硝子部材三十八枚。霜灯の見積総額は百八十枚になる。板の数と銀貨の数を、エリンは別々の欄へ書いた。
木枠は木工組合が担当する。初期分二十四枚を百六十四日目までに、残り十四枚は百八十日目以降の最終検収に向けて納める計画だ。
競合する銀樹の案は、規格寸法へ枠を揃えれば安かった。
エリンは、あちらの板は割れる、と書くことをやめた。広告でそれをされる痛みを知ったばかりなのに、根拠なく同じことを言うわけにはいかない。
霜灯が示せるのは、現物に合わせた加工と、交換までの段取りだった。
破損した時にすべて無料で直すのではない。製造の不良は保証し、風雪で枠が変形した場合は原因を分けて見積もる。町の業者にも協力を頼み、緊急時に誰が仮に塞ぐかまで書いた。
「全部、うちでやるとは書かないのですね」
ヨナが提案書を覗いた。
「一つの窯を止めたら、皆が待つことになるもの。頼める相手も含めての仕事よ」
ルシアンは見積の相談に加わらなかった。
村の共同体から委任を受けたアデル、栽培担当のベラ、利用者代表のイザが、霜灯と銀樹側へ同じ質問を出した。村への保守期間、冬の輸送、木枠の追加加工。
委員に直接の利害がある時は代替者へ交代する取り決めも、最初に確認された。
数日後、共同体から追加の質問が来た。
十八枚分しか同時に直せない時、どの村を先にするのか。霜灯の都合で順番が決まるのか。
エリンはマルタたちと相談し、苗を避難できるか、代替の枠があるか、冷え込みがいつ来るかを共通の表で聞く案を返した。注文額の多い村から、とはしない。
その返事を見て、イザが工房まで来た。
「順番に不満があれば、誰に言えばいい」
「私です。ただ、その場で勝手に順番を変えず、理由を皆へ返します」
「なら、そのやり方も契約に入れておくれ」
単価だけなら銀樹が安い。だが、今回使う各家の枠に合わせる費用と、交換時の運搬を足すと差は縮まった。
共同体は、保守の段取りを含めて霜灯を採用した。別の条件なら、逆の選択もある。そのことを、選定理由の書面にも残してもらった。
百四十五日目、銀貨百八十枚の契約に署名し、前金七十二枚を受け取った。
予定の直接費は百二十二枚。差額は家賃や常勤の給与を引く前の見込みで、前金がそのまま利益になるわけではない。
エリンは入金を数えてから、皆に最初の工程札を渡した。今度は嬉しさだけで次の注文まで受けそうになる前に、上限を確かめた。
試験用の苗を共同体へ渡す日、イザは温室へ来たルシアンにも向き合った。
「二年前の話が、これで終わるとは思わないでおくれ」
彼は頷いた。
「終わったことにはしません」
「今年の記録だけで、次の冬の薪を決めないでほしい。村ごとに、足りないものが違う」
「次の協議で、皆さんから聞きます」
許すという言葉はなかった。
イザが苗箱を持ち上げる時、ルシアンは手を出す前に「運びますか」と聞いた。彼女は一つだけ渡した。
エリンは、それでよいのだと思った。一つ受け取れるようになった日に、全部を受け取り合えるふりをする必要はない。
百四十七日目、王城薬草院から通知が届いた。
霜灯の見積と資格資料は、翌年度の小口試験注文の候補として基準を満たした、という。製品そのものの合格ではなく、実際の品質試験は受注が決まってから行う。
それでも、商号と代表者の欄には、確かにエリン自身の名があった。
トビアスが読んで「親方」と呼び、それ以上を言わなかった。
エリンも頷くだけになった。
昔は、父の工房にこの手紙を持ち帰り、見てもらいたかった。
今は、マルタが窯の手袋を外すのを待ち、ヨナが机を片付けるのを待って、四人で読みたい。
「来季に正式なお見積をお出しする、と返します。今季は、共同体の三十八枚を先に」
手紙を畳み、自分の商号印の下へ置いた。
王都へ帰るための通知ではない。この工房から次の仕事を選べるという知らせだった。




