第34話 家族が住める仕事に
トビアスの娘は、借家の窓を一枚ずつ覗いた。
百三十日目。二日前に町へ着いた妻子の荷がほどけ、エリンは頼まれていた棚の置き場所を確かめに来ていた。
前に下見した時には狭く見えた部屋が、寝台と小さな椅子で、誰かの家になっている。
「父さん、今日は帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
「暗くなっても?」
「暗くなる前には、たぶんな」
五歳の娘が、安心したように頷いた。
トビアスの妻は、その会話を台所から聞いていた。遠くへ移る不安はあったが、いつまで離れて暮らすのかと、王都で手紙を待ち続けるよりよいと話した。
「家賃は月二枚。住食と合わせて十一枚ほどを見ています」
妻は持参した家計の帳面を開いた。
「基本給十二枚だけでも、まずはやっていけそうです。薪が高くならなければ、ですが」
「ヨナへの指導を、今日から正式な役割にします。技能手当は月二枚。基本給とは支払日を分け、最初の三十日分を百五十九日目にお渡しします」
前日には雪害補修十八枚の検収を終え、残金五十七枚を受領した。そのあと三人と資金繰りを点検し、次の給与準備金を崩さず手当を払えることを確かめてあった。
家族が来たから情で足したのではない。ヨナに教える時間を仕事として取り、裁断と梱包の記録を任せる。その役割への手当だった。
トビアスは娘の頭へ手を置き、妻に言った。
「これからは、教える手順も俺がまとめるんだ。ヨナの記録に負けていられないな」
妻は、昔からそうしてくれればよかったのに、と笑った。
工房へ戻る前、娘に窓の横の椅子を見せられた。
「父さんの帰ってくるの、ここでわかるんだよ」
この椅子へ帰る時刻を、受注表に残しておきたい。
エリンは、明日からの予定を頭で組み替え始めた自分に気づき、途中でやめた。まず本人に聞く。昨日までに、何度も教わったことだった。
百三十二日目、ヨナの本雇用後の最初の記録を確かめた。彼は九十日目に契約を更新し、月八枚の基本給になっている。
試用中は二十一日分を六枚で精算した。教える時間も、常勤の誰かが受け持つ以上、ただではない。
仕事が増えたからもう一人雇う案は、今回は見送った。
マルタの休日、火番の交替、エリンの生活費。それぞれを引いたあとに何が残るかを見てからでなければ、人を呼べない。
自分が食べる分だけを後回しにする癖も、マルタに見抜かれていた。
「親方の取り分、月四枚は残してください。倒れられたら一番困るんだから」
「はい。そこも、引かないことにします」
言葉にしてしまうと、守るほかなくなる。
エリンは生活引出しの欄を、他の支払いと同じ太さで囲んだ。
百三十四日目は、交際して初めて一緒に取った休日だった。
市場で待ち合わせると、ルシアンは約束の時刻より先に来ていた。今日は箒を持っていない。
「何もしていないと、落ち着かなくて」
「もう、待っていてくだされば十分です」
二人で選んだ焼き菓子を半分に割った。ルシアンが大きい方を差し出すので、小さい方を取ろうとすると、いつまでも決まらない。
結局、屋台の主人に笑われて、二つをもう半分ずつにした。
細工物の店の前で、エリンは足を止めた。
銀の百合の髪留めがある。母のものとは形が違ったが、花びらの曲がりに目が留まった。
「お好きなのですか」
「母が、似たものを持っていたんです。北へ来る前に売りました」
ルシアンが品を見ようとするので、袖を軽く引いた。
「買っていただきたいのではありません。いま、自分でも作っているんです」
小さな硝子の試作を続けていると話すと、彼は店先のものからエリンへ目を戻した。
「見せてもらえますか。あなたが作った方を」
「まだ花びらが不揃いです」
「そういう時も、光へかざすのでしょうか」
エリンは笑った。
「もちろん。失敗まで見えてしまいますけど。花びらが揃ったら、お見せします」
「では、その日を楽しみにしています」
彼は買い与える話をせず、好きな色を尋ねた。
エリンは少し考えた。
「灰青色。朝の硝子が、まだ少し空の色を持っているような」
「覚えておきます」
「では、ルシアンは?」
彼は意外そうな顔をした。
「……火が入った時の、琥珀の色でしょうか」
霜灯の火の色を挙げたのだと気づき、エリンは菓子の包みへ目を落とした。
市場で会ったトビアスの娘が走ってくる。近くでは、取り外した窓枠を荷車へ積んでいた。
ルシアンは娘の前へしゃがみ込み、通ってよい方の道を手で示した。
「こちらを通ろう。あっちは、まだ片付けの途中だ」
彼女は頷き、彼の手へ自分の小さな手を載せた。
荷車が通り過ぎてから、彼はエリンの方を振り返った。
空いた方の手を、何も言わずに差し出す。
エリンは、その手も取った。
百三十六日目、育苗共同体から共同見積の照会が来た。
今度は、一軒の温室の窓ではない。三村で持つ苗の交換場と小さな育苗枠へ、順に硝子を入れたいのだという。
エリンは照会状を皆の前へ広げた。
「まず、できる数から相談しましょう」
一人で計算を始める前に、四人分の椅子を机へ寄せた。




