第32話 わたしの手は二本しかない
三通の照会を開く前に、エリンは予定表へ休みの印を入れた。
百二十日目。宿屋街の四十枚は、二十三日前にすべて納め、十三日前に使用後の最終確認も終えている。空いた窯で新しい仕事を受けられるが、その空き日を全部売ってよいわけではなかった。
「三件合わせて三十枚です。全部、来週の終わりまでに欲しいと」
トビアスが採寸の照会を読み上げた。
休日と検査、納品まで見込むと、常態的に受けてよいのは一週間に十六から二十枚ほど。雪道では運ぶ時間もさらに要る。
エリンは一度、三十枚の札を作業表へ並べた。
余白がなくなる。
マルタの休日をずらせば二枚、裁断を夜へ回せばさらに数枚、と考えかけたところで、ヨナが小さく手を挙げた。
「その日は、俺も休みをもらっていました。母を医者へ連れていくので」
忘れていた。口約束で聞き、紙へ移していなかったのだ。
エリンは札を外した。
「ごめんなさい。先に入れるべきだったわ」
「仕事があるなら、俺は――」
「その日を空けてから、受けられる数を決めましょう」
何枚作れるかなら計算できる。けれど、暮らしの予定は、本人に聞かなければ帳面に現れない。
二軒、計十八枚までなら百二十九日目に納められる。残る一軒は、規格寸法の新しい枠だった。銀樹の規格品を在庫する業者なら、霜灯が一から作るより早い。
客に確かめたうえで、その業者を紹介することにした。
「競争相手へ、仕事を回すんですね」
ヨナが意外そうに言った。
「うちが早くできるとは限らないもの。窓を塞げる方へ頼んでもらうわ」
十八枚の契約は総額九十五枚、前金三十八枚。材料と輸送の見込みは七十三枚で、残り全部が利益になるわけではない。
マルタが燃料と火番の欄を確かめ、トビアスが荷造りの日を二日取り、エリンが検査時間を空ける。初めて、四人で最初から表を作った。
「わたしの手は二本しかないわ」
エリンが言うと、マルタはペンで机を叩いた。
「だから、残り六本の都合も聞いてください」
ヨナまで含めて数えている。
エリンは笑い、それから「はい」と答えた。
この日、農園の応急費用の事後承認も届いた。六枚に追加二枚、合計八枚。請求の控えを入れてから、今後に備える予備材の欄を作った。
自由現金から十二枚を出し、汎用の材料を少し仕入れる。当面の十八枚には使わず、将来の緊急用として在庫に残す。
買ったものを全部いまの受注原価に入れれば、この仕事を不当に赤字にしてしまう。逆に、買わなかったように扱えば、財布の中身と合わない。
エリンが分けて書いていると、ヨナが覗き込んだ。
「使ってない物にも、番号が要るんですね」
「ええ。あなたの仕事、増やしてしまった?」
「見れば数えられる仕事なら、歓迎です」
増えた手が、自分のやり方を持ち始めている。
これからも教える時間を空けなければ、とエリンは作業表の一角へ印を付けた。
百二十二日目、王都から返事が来た。
トビアスが百十日目に出した手紙は百十六日目に着き、妻はその日のうちに返事を出していた。
それから五日で荷造りをし、百二十二日目の乗合馬車で発つという。
「今日、王都を出るんだ」
トビアスが、同じ一文を何度も読んだ。
エリンは、彼が下見していた二軒の借家について尋ねた。
「家主には、いつまで待ってもらえますか」
「明日までです。妻は小さい方でいいと。工房から近いので」
「では、手続きを済ませて。午後の梱包は私が代わります」
家賃を払うのも、契約するのも本人たちだ。エリンは休みの取り方を調整し、必要な在職証明へ署名した。
住まいの借用書を持ち帰った彼は、製品の採寸より慎重に、妻の希望する寝台の幅を測っていた。
百二十四日目、仕事が片付いてから、ルシアンの手紙を開いた。
橋で会う誘いだった。用件を何度も遠回しに書こうとして、結局やめたような短さだった。
『仕事の後、あなたと二人で話したい。明日の夜はいかがでしょうか。難しければ、都合のよい日を教えてください』
返事を書き出す前に、エリンは自分の明日の札を一枚、マルタの前へ置いた。
「この時刻には帰りたいのですが、交替をお願いできますか」
「ようやく、自分の都合も聞くようになりましたね」
顔が熱くなる。何の用かとは聞かれなかった。
『仕事のあとなら、喜んで』
書いたあとで、名前だけの署名を足した。
いつもの工房主の商号印を、押さずに済む手紙だった。




