第29話 失った注文の値段
訂正は、元の広告と同じ大きさだった。
百三日目の市場。新しい公示の前で、人々が足を止めていた。
「比較品は霜灯の製品ではない」「製法盗用を裏付ける根拠は確認されていない」。エリンは読み終えても、すぐには動けなかった。
自分たちの名が、やっと自分たちの品へ戻った気がした。
トビアスは、公示を一番よく見える高さへ貼り直す書記に礼を言った。
通りかかった宿屋組合の担当者も、「見たよ」と頷いたが、その場で次の注文はしなかった。
「来月の部屋の稼働を見て、また相談したい」
「はい。空いている日を、こちらからお知らせします」
それで終わる会話を、今日は怖いと思わなかった。
違う品の噂ではなく、仕事の予定の話をしている。
百七日目、九十七日目までに納めた宿屋街四十枚について、使用後の最終確認が終わった。
九十七日目の中間代金四十八枚に続き、最終代金四十八枚を受け取る。トビアスは自分の記録に、四十枚すべての検収印が揃ったことを確かめた。
あの広告が貼られている間も、一枚ずつ納めていた仕事だった。
同じ日、エリンは市庁舎で賠償算定書の控えを受け取った。銀樹の支払期限は百十二日目。
二十五枚は、失ったもの全部の値段ではない。白鹿亭に空けた製造日も、三人に余計な心配をかけた夜も、その中には入っていない。
それでも、数えられる分を数えて認めてもらえた。
市場へ戻る途中、北方営業所の前でレオンが客を引き止めていた。
エリンは立ち止まるつもりはなかった。だが、相手が振り返り、通路を塞ぐ形になった。
「品物の単価に不満はないと、何度も言っているでしょう」
取引先の男は、声を荒らげずに言った。
「問題は、報告書を受け取ったあとも訂正しなかったことです。仕入先の説明を、こちらが毎回検査しなければならなくなる」
「次の広告では直すつもりでした」
「そう聞いています。ですから、次期の卸契約は見送ります」
男は書面を渡し、レオンの前を去った。
大きな音も、人だかりもなかった。レオンの手には、一枚の紙だけが残る。
エリンが見ていることに気づくと、彼の顔が強張った。
「……満足か」
何と答えればよいのか、少し迷った。
ここで笑えば、昔の傷が晴れるだろうか。自分の窯で空いた日が、それで埋まるわけではない。
「私の注文を取り消した方も、そうやって紙を持って来ました」
レオンは書面を握り直した。
今度は、紙だからあとで直せるとは言わなかった。
営業所から、父の声がした。
「エリン。明日、話せないか」
仕事の話かと尋ねると、父は一拍置いた。
「おまえのことだ」
「明日の夜なら」
それだけ決めて、エリンは歩き出した。
工房では、ヨナが古い広告を資料箱へしまっていた。証拠として保管は続けるが、作業台に広げておく必要はもうない。
空いた場所に、トビアスが四十枚の検収票を置く。
「次の記録、ここへ積んでいいですか」
「ええ。新しいものを上にしましょう」
その夜、エリンはエッダへの手紙を書いた。
裁定の内容を書いたあと、何を足そうか迷った。
結局、工房の窯のことと、十九歳の見習いが数字の違いを見つけた話を添えた。お元気で、と結ぶには、まだ話したいことが多かった。
***
ルシアンは、待ち合わせた橋の袂で、温かい飲み物を二つ買った。
一つは甘くしてもらい、もう一つは甘くしない。エリンがどちらを好きか、まだ知らなかった。
遠くから彼女が歩いてくる。
彼女から「帰りに会いませんか」と短い手紙が来たのだった。用件は書いていない。
それだけのことが、ひどく嬉しい。
「どちらがいいですか」
彼女は両方の湯気を覗き、甘い方を選んだ。
「今日は、こちらで」
両手で器を包む指が赤い。工房で初めてその指に気づいた時、何か与えなければと思った。
今は、その手を取りたいと思う。
どちらも彼女のためだと言い張りたくなるが、後の方は自分の望みだ。
彼女はひと口飲み、父に明日会うと言った。
「何の話かは、まだわかりません」
「会ったあとも、私に話してくれますか」
彼女は器から顔を上げた。
「はい。でも、それより先に聞きたいことが」
「何でしょう」
「この飲み物、どちらも同じ味ですか。甘くない方も、少し気になります」
彼は笑って、自分の器を差し出した。彼女も少し笑う。
抱きしめてよいか尋ねるには、まだ早い気がした。
だが、こうしてどうでもない話を一つずつ増やしていくことなら、今夜からでもできる。




