第27話 紙なら、あとで直せると?
「書記の方も、同席されるのか」
九十二日目、北方営業所の扉でレオンが眉をひそめた。
エリンは頷いた。
「お返事を記録していただきます。そのために来ました」
彼は一度だけ書記を見て、二人を机へ通した。
磨かれた天板へ報告書を置く。検査台ではないのに、三十一番の硝子を置いた朝と同じ気持ちがした。どこに危険があるかを説明する前に、相手はもう先を急いでいる。
「要点だけでいい。配達が来る」
「比較品は、私たちの製品ではありませんでした。仕入控えと搬入控えが一致しています。広告を訂正してください」
レオンは報告書を開いた。番号の箇所で指が一度止まる。
すぐに、紙を伏せた。
「霜灯の製品を検査したとは書いていない。北の新工房の板、と書いただけだ」
「広告を見て白鹿亭が解除した理由も、書面で残っています。読んだ人が何と受け取るか、わかって配置したのではありませんか」
「受け取り方までは責任を持てない。製法の照会だって、組合が根拠なしと言っただけだ。命令ではないだろう」
書記がペンを動かす音がする。
エリンは、同じ説明をもう一度しようとした。七年間、それで相手を納得させようとしてきた。
けれど、必要なのは三度目の講義ではなかった。
「では、いま事実がわかったあとも、この広告を残すのですね」
「営業の途中で急に差し替えれば、うちの信用まで落ちる」
エリンは報告書の末尾を開いた。
「私たちは、すでに信用を落とされました」
レオンが、気まずそうに視線を逸らす。
一瞬だけ、わかったのかと思った。だが、彼は紙の隅を指ではじいた。
「広告は紙だ。あとで調整できる。次の便の広告で上書きすれば済む話だろう」
王都の朝の声が、重なった。
――あとで点検すればいい。
あの板は、検査台の上で割れた。
今度は、板が割れる代わりに、白鹿亭の注文の欄が消えた。
「紙なら、あとで直せると?」
エリンは報告書から手を離した。
「私の窯に空いた日は、あとから埋まりません。あの宿の主人が、別の窓を探して走った時間もです」
「だから、次の広告で――」
「明日の正午までに、同じ掲示場所へ訂正を出すと、お約束いただけますか」
レオンは黙った。書記が顔を上げ、答えを待つ。
やがて彼は短く言った。
「その期限では出さない。うちの都合で出す」
エリンは書記を見た。彼は言葉を繰り返し、レオンにも確認した。
「いまのご回答を、そのまま記録します」
「ああ、好きにしろ」
記録を持つ手が震えないよう、エリンは鞄の紐を握った。
勝ったと思ったわけではない。最後に一度くらい、自分の言葉で間違いを認めてほしかったのだと、部屋を出てから気づいた。
翌日の正午を過ぎても、広告は残った。
書記が掲示を確認し、その事実も記録に加えた。
エリンは同じ報告書を持って、白鹿亭へ行った。
主人は最後まで読んだが、再発注はしなかった。
「窓は、別の業者に頼んでしまった。今から取り消せない」
「……そうですよね」
「ただ、広告を見たと言った客には、この訂正を話すよ」
注文は戻らなかった。けれど、主人は写しを一部欲しいと言った。
エリンは持っていた一部を渡し、初めて椅子へ座るよう勧められた。出された湯を、少しずつ飲んだ。
工房へ帰ると、マルタが作業台を片付けていた。
エリンは鞄を下ろし、レオンの返答を三人へ伝えた。
「明日、評議会へ記録を出します。今日はもう、これ以上うまく説明できないわ」
トビアスが椅子を引いた。
「座ってください。俺たちも、聞くくらいはできます」
エリンは座り、白鹿亭で湯を飲んだ話から始めた。
ルシアンに話す時も、きっとそこから始めようと思った。
翌朝、工房の戸を開くと、入口の近くに見積を待つ客が一人いた。
広告を読んだうえで、学校の窓も見たのだという。
急ぎではない、という言葉に甘えてすぐ契約を求めそうになり、エリンは踏み止まった。いまは一件でも受注札を増やして安心したかっただけだ。
「採寸して、出来る日を確かめてからでよろしいですか」
「そのつもりで来たよ」
名前を聞いて帳面へ書く。誰かの訂正を待っている間にも、できる仕事はある。
エリンは、まだ白紙の見積用紙を一枚取った。
市へ出す申立書では、時期を分けた。
広告によって白鹿亭の解除が起きたこと。調査報告を渡したあとも、レオンが訂正を拒んだこと。
後の拒否が、先に起きた解除を生んだわけではない。両方を一つの怒りで書いてしまわないよう、書記と確かめた。
九十七日目、宿屋街の契約分四十枚をすべて納め、中間代金四十八枚を受領した。未契約の予備注文は保留のままだが、納めた仕事には、契約どおりの代金が入った。
評議会から届いていた審理の通知には、銀樹の商会主も出席する、とあった。
エリンは父の名を見て、封筒を閉じた。
七年間、検査台越しに見てきた顔へ、今度は同業の工房主として向かい合う。




