第14話 割れたのは、運んだから
領主農園の搬入口に、工房からの荷馬車が到着した。
退職から三十二日目の午後。
荷台には、後半ロットとして焼き上げられた温室用小板の先に仕上がった八枚が、専用の木箱に収められて積まれている。
「よし、荷ほどきを始めるぞ」
トビアスが荷台に上がり、一番手前の木箱の蓋をこじ開けた。中には硝子板が数枚ずつ束ねられ、隙間に木くさびが打ち込まれて固定されている。
だが、板を引き出そうとしたトビアスの手が、ピタリと止まった。
「親方……」
振り返った彼の顔は、血の気が引いて真っ青になっていた。
エリンは嫌な予感を覚えながら荷台へ上がり、トビアスが手にした板を覗き込んだ。
束ねられた一番手前、三十三枚目と三十四枚目の板。その角が、まるで誰かにハンマーで殴られたように無残に欠け落ち、箱の底に鋭い破片が散らばっていたのだ。
「そんな……工房での出荷前検査では、間違いなく完璧だったのに」
トビアスが震える声で呟いた。
「落ち着いて、トビアス。原因を探しましょう」
エリンは彼から板を受け取り、革の手袋越しに割れの起点を確かめた。そして、木箱の内側と、板を固定していた木くさびの状態を観察する。
工房で不良品として撥ねた時のような、冷却応力による「ひずみ」の割れ方とは違う。これは、外部からの一点に集中した強い物理的圧力が原因だ。
「……トビアス。この木くさび、少し強く打ち込みすぎたわね」
エリンが指摘すると、トビアスはハッとして、自分の手元を見た。
「俺のせいだ」
彼は両手で頭を抱え、うめくように言った。
「第一ロットの納品が無事に終わって、気が緩んでいたんだ。荷車の揺れで割れるのを気にするあまり、いつもより強くくさびを叩き込んでしまった。その圧力のせいで、石畳の振動が硝子の角に直接伝わって……割れたんだ」
「当たり跡と割れの起点が重なっています。まず、ここを直しましょう」
エリンは木くさびを引き抜き、残りの無事な板を慎重に取り出しながら頷いた。
「申し訳ありません、親方! 俺の給料から、この二枚の材料費と燃料費を引いてください。もう仕送りどころじゃ……」
「馬鹿なことを言わないで」
エリンはトビアスの言葉をピシャリと遮った。
「原因がわかってよかったわ。誰が悪いかより、どう運べば二度と割れないかの方がずっと重要よ。あなたの給料から天引きなんかしない」
エリンは荷台の構造を見渡し、新しい梱包の仕組みを頭の中で組み立てた。
「自費で梱包の仕様を変えます。荷台の底に大量の木屑を敷き詰めて緩衝材にするの。それから、板を横に重ねてくさびで留めるんじゃなく、一枚ずつ独立して立てて固定できる専用の『縦置き枠』を木工職人に発注しましょう」
「縦置き枠……でも、それにはまたお金が」
「構わないわ。ここで根本的な解決をしておかなければ、今後も同じ輸送事故が起きる。それは職人として一番恥ずかしいことよ」
エリンたちが荷台でそんなやり取りをしていると、騒ぎを聞きつけたのか、領主ルシアンが農園の奥から姿を現した。
「どうした。荷に何か問題でもあったか」
彼は割れた二枚の硝子を見て、険しい表情で歩み寄ってきた。彼の視線が、割れた板から荷車の下へ動いた。
「……道が悪かったか?」
ルシアンは荷車の車輪をしゃがみ込んで調べ、それから農園への搬入経路である石畳の段差を真剣な目つきで確認し始めた。
「私が手配した運送業者の馬車だ。車軸の留め具が緩んでいたか、あるいはこの石畳の舗装に問題があったなら、領主としてすぐに改善の指示を出さねばならない」
「いえ、フローレン卿。まず、同じ位置の木くさびが強く当たっています」
エリンはルシアンに向き直り、はっきりと告げた。
「これは、私たちの梱包の問題です。木くさびの圧力と振動の逃がし方が甘かったのです。すでに新しい緩衝材と縦置き枠の手配を決めましたので、代替の二枚は、新しい梱包仕様で確実に安全にお届けします」
エリンの言葉を聞いて、ルシアンは少しだけ目を丸くし、やがて深く頷いた。
「では、その枠でまず再試験を。こちらも車輪の留め具と道を確かめます。原因を一つ見つけて終わりにはしたくない」
エリンは彼が確かめた箇所も輸送票へ書き足した。次に運ぶ時、ここから見直せるように。
三十五日目。
エリンが自費で発注した新しい縦置き枠と、たっぷりの木屑緩衝材に守られ、再製作された代替の二枚の硝子板が無事に農園へ届けられた。同じ道を通った二枚に、新しい欠けはなかった。トビアスは積み方と道順を納品票に書き足した。
その日の夕方、工房へ戻ったエリンの元に、職人組合からの定期の公示便りが届いた。
エリンはそれを広げ、書面の一角に記された短い文章に目を留めた。
『王都銀樹硝子工房は、薬草院向け硝子板四十枚を、条件変更と費用負担の末に納品完了。ただし次期特殊板は、品質責任者の実績を条件とする公開入札へ変更とする』
エリンは四十枚の数字の上で指を止めた。エッダが守った品も、この中にある。
倒産の報せでなくてよかった。だが、自分がいなくても回るとわかり、ほっとすると同時に、胸の奥が少し痛んだ。
「工房が続くのと、親方が要らなかったのとは、別でしょう」
マルタは公示の余白を押さえた。外部職人の再登録と試験を経たことが、短く記されている。
エリンは頷いた。自分の穴は埋まった。それを埋めるのにも、誰かの仕事が要ったのだ。
エリンは、工房の壁に立てかけられた、余りの予備板を見つめた。
割れる原因を探し、自分の決断で再製作し、自分で責任を負う。父の傘の下では決して得られなかった、この血の通った仕事こそが、今のエリンのすべてだった。
明日から、まだ炉に入っていない分を仕上げる。
最終検収まで十日。公示を畳み、エリンは残りの製造札を掛け直した。




