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婚約者と父に硝子工房を追われた私ですが、辺境の堅物領主とは見積書から恋を始めます  作者: 他力本願寺


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第12話 領主にも、守れなかったものがある

退職から二十六日目。

エリンは先に出来上がった温室用の小板を数枚、木箱に詰めて領主農園へと足を運んでいた。木工班が組み上げた温室の枠組みに対して、実際の硝子がどう収まるか、はめ込みの仮調整を行うためだ。


「……駄目だ、まだ風が入る」


温室の骨組みの中で、園丁長のベラが忌々しげに舌打ちをした。

彼女が硝子の縁に細い糸を垂らすと、その糸が微かに揺れる。秋の冷たい風が、わずかな隙間から内部へと侵入している証拠だった。


「私の硝子の寸法は、契約通りの二十五センチ掛け三十五センチで正確に出ています。これは、硝子を支える木枠の側面に、わずかな歪みと隙間があるからです」


エリンは木枠の継ぎ目を指先でなぞりながら、ベラにはっきりと告げた。

「いくら透明で強い硝子を張っても、この隙間風があっては、夜の間に温室の熱が奪われます。硝子だけでは、苗は守れません」


「くそっ、木工班の連中め。すぐに直させないと」

ベラが苛立ちを隠せずに頭を掻く。


「ええ。このままでは、三十一日目の据付検収を通せません。調整の工程を確かめましょう」


エリンがそう断言した時だった。

「――検収を通せないとは、どういうことだ」


進捗の確認に来た領主ルシアン・フローレンが、骨組みの入り口に立っていた。

彼は足早にエリンたちの元へ近づくと、エリンが仮はめした硝子板と木枠の隙間に、自らの手をかざした。


微かに吹き込む冷風に、彼の灰緑色の瞳が、異常なほどの焦燥に揺れた。


「こんな隙間風では、初霜の夜を越せない。苗が死んでしまう」

「フローレン卿。木枠を修正すれば済む話です。木工班を急がせれば、三十一日目の納期には十分に間に合います」


エリンが冷静に宥めようとしたが、ルシアンの強張った表情は解けなかった。

彼はかざしていた手をゆっくりと下ろし、ぎゅっと拳を握り締めた。


「……間に合わなかったら、どうする」

ルシアンの低い声が、静かな農園に響いた。


「二年前も、私はそうやって楽観視していた」

「二年前……?」


ルシアンは少しの沈黙の後、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

それは、エリンが知る由もなかった、北の領主の過去の失敗だった。


「私がこの領地を継いだ直後の秋、記録的な大霜害があった。領内のあちこちで寒さによる被害が出たが、中でも『ローデ村』という集落の状況がひどかった。私は領主として、限られた避難用の燃料である薪を、どう配分するか決断を迫られた」


彼は苦しげに目を伏せた。

「私は、ローデ村の住民から直接事情を聞くこともせず、帳簿の数字と報告書だけを見て、独断で他の地区へ優先して薪を回してしまった。結果として、ローデ村の苗は全滅し、春に植える苗を買い直さなければならず、多くの小作人が借金を背負うことになった。……彼らの私への怒りと不信感は、今も消えていない」


だからこそ、彼はこの温室の完成をあれほど急ぎ、採光を削って風に耐える仕様へ変える提案も受け入れたのだ。


「私は領主として、すべてを守るべきだった。だが、守れなかった」

ルシアンはエリンとベラを交互に見つめ、自嘲するように笑った。


「あなたのような優秀な職人を呼んでも、結局、私の手落ちでまた何かを失うのではないか……そんな恐れが、常に頭から離れないのだ」


エリンは、彼にかけるべき言葉を探した。

「あなたのせいではありません」などという安っぽい慰めは、彼の背負う責任を侮辱することになる。かといって、過去の失敗を責める権利もエリンにはない。


エリンは、手に持っていた硝子板をそっと木枠から外し、彼に向き直った。


「あなたが守れなかったものがあることは、わかりました」

エリンは静かに、だがはっきりと告げた。


「だからこそ、この隙間風を見過ごすわけにはいきません。この枠を直して、納められる板をはめ込みましょう。過去のことは直せませんが、この木枠の隙間なら、今の私たちに直せますから」


ルシアンは驚いたようにエリンを見つめ、やがて、その張り詰めていた肩の力がゆっくりと抜けていくのがわかった。

ルシアンは一度だけ目を閉じ、握っていた手を開いた。


「……ああ。そうだな。直そう」

ルシアンの瞳から焦燥が消え、いつもの理知的な光が戻っていた。


二十八日目の朝。

ルシアンの指示を受けた家令のアデルが、農園の現場に到着した。


アデルは手元の契約書と現場の状況を冷徹な目ですり合わせ、木工班の責任者へ修正の指示を出した。


「木工班の修正は三十日目までに。中間検収は契約どおり三十一日目に行います。仮に枠が遅れた場合も、原因を確かめず硝子工房へ賠償を求めることはしません」


アデルが分厚い帳簿にペンを走らせるのを見届け、エリンは深く頭を下げた。


「ありがとうございます、クレイン家令」


エリンは農園を後にし、工房へと足を向けた。

三十一日目の中間検収まで、あと三日。


工房へ戻ると、翌日検査する板の札を数えた。木枠を直す人たちも、同じ日に間に合わせようとしている。こちらも、残りを揃えなければ。

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