第10話 美しい不良品
朝の冷たい光が、作業台の上に並べられた硝子板を透き通って床に落ちていた。
地元の砂と灰から三種類目の配合で作った、最初の十三枚。徐冷炉の中で一晩かけてゆっくりと熱を奪われた硝子は、どれも嫌な泡や濁りがなく、氷のように澄み切った美しさを持っていた。
だが、エリンはその一枚一枚を手に取り、無言で光の角度を変えていた。
「どうですか、親方。色はようやく揃いましたが」
作業の準備を終えたトビアスが、期待に満ちた声をかけてくる。
「……十三枚」
エリンが静かに数え上げると、トビアスとマルタが顔を見合わせた。
「十三枚を、不合格として落とします」
「えっ!?」
トビアスが驚いたように声を上げ、作業台の前に身を乗り出した。
「色は揃ったのに……。厚みですか、それとも冷却の方ですか」
「トビアス、マルタさん。二人ともここへ来て、この板の縁を見て」
エリンは二人に手招きをし、標準の木枠にはめ込んだ中の一枚を、窓から差し込む昼光に透かしてみせた。
少し角度を傾けると、透明な板の縁に沿って、細い白糸のような亀裂が見えた。さらに、同じ条件の代表片は規定の温度差試験に通らなかった。見えないひずみの量まで、目だけで読めるわけではない。マルタの冷却記録と、実際の試験が判断の根拠だった。
「窯の温度のムラか、外気の影響か……冷める速度が均一でなかった箇所に、内部の引っ張る力が残ってしまったのね。さらに、この三枚は中心と縁で厚みが一ミリ以上違う。規定の枠で使うには、この厚みの差は許容できません」
エリンは全員に、この新しい窯での「不合格」の基準を共有するため、亀裂や厚みの確認箇所を示し、代表片の試験結果と冷却記録を並べた。
マルタが冷却記録を引き寄せた。
「奥の列です。板の位置を変え、冷ます時間も取り直しましょう」
「でも、親方。十三枚も……」
トビアスが声を上げ、続けかけた言葉を飲み込んだ。その目が、帳簿の給与欄へ動く。
王都では、一度の失敗で誰がいくら負担するのか、いつも先に決められた。
エリンはエプロンのポケットから現金出納帳を取り出し、真新しいページに十三枚の損失を明記した。
そして、顔を上げて二人に告げた。
「この十三枚は、売り物から外します。試験した片は記録と一緒に残し、残りも別の箱へ。そして、自費で新しく作り直します。再製作にかかる費用は、追加で銀貨二十二枚」
「二十二枚!? そんなお金、どこから……」
「私が工房の資金から出します。試作の段階で、この窯の冷却条件を決めるための費用です。ですから、あなたたち二人の賃金から天引きするようなことは一切しません」
エリンの断言に、トビアスは目を丸くし、マルタは小さく息を呑んだ。
トビアスは帳面の賃金欄へ視線を落とし、ゆっくり息を吐いた。
エリンは二人の前で、損失と給与を別の欄へ書いた。後からどちらかを消してしまわないように。
「……親方」
マルタが、ふっと口元を綻ばせた。
「あなたは本当に、失敗を隠さない親方なんですね」
その声には、深い安堵と敬意が込められていた。エリンは照れ隠しのように帳簿を閉じ、「作業に戻りましょう」と手を叩いた。
翌日の二十一日目。
工房を訪れたルシアンに、エリンは昨日撥ねた十三枚の不良品を見せた。
「これが、不良品だと?」
ルシアンは窓からの光に板を透かしながら、信じられないというように眉をひそめた。
「どう見ても美しい透明な硝子だ。私には、先日教わったような濁った音も、欠けも見つけられないが」
「叩くだけが検査ではありませんから」
エリンは彼の手から板を受け取り、光の角度を変えて、縁の細い亀裂を見せた。
「見栄えがよくても、許容範囲を外れた厚みや冷却の不揃いは、割れの原因になります。この組は試験に通りませんでした。……私は、王都でこういう割れる板を断って、この北の地へ来ました」
エリンは真っ直ぐに、彼の灰緑色の瞳を見つめ返した。
「自分の名前を掲げた工房でも、私は次も正しく断るだけです。たとえ損失が出ても、これを納めるわけにはいきません」
ルシアンは何も言わず、しばらくその美しい不良品を見つめていた。
やがて、彼は小さく、だが深く頷いた。彼は十三枚の番号を、自分の手帳にも書き留めた。
「……あなたのその判断を、信頼する」
ルシアンが帰り、工房に静けさが戻った後。
エリンは一人、小さな木箱の中の現金を数え直していた。
初めの百六十枚に、宿屋仕事の代金と温室の着手金を合わせる。そこから、移動や窯の修繕、試作に使った金と、別袋へ取り置いた給与を引いた。今回の再製作費二十二枚も、その残りから出す。
(残りは……)
自由に使える運転資金は、一時的とはいえ、銀貨十八枚まで減ってしまっていた。
次に何か仕入れが必要になれば、すぐに底を突く危機的な数字だ。三十二枚の中間検収の期日まで、あと十日。
エリンたちは、綱渡りのような資金繰りの中で、残りの板を焼き上げなければならなかった。
***
ルシアンは領主屋敷の執務室で、革表紙の手帳に新しい数字を書き写していた。
霜灯硝子工房で出た、十三枚の美しい不良品。そして、それを自費で作り直すための銀貨二十二枚という損失。
エリンは損失額こそ報告したが、残りの財布までは見せなかった。少なくとも、気軽に作り直せる余裕がないことだけはわかる。
帰り際、彼は工房の入口に立ったまま、彼女が作業へ戻るのを見ていた。十三枚の赤札を、窓からよく見える場所へ吊るす。しまい込もうとはしない。
それが見栄なら、あんなふうに一枚目の札を結ぶのに手間取ったりしないだろう。
彼女は怖かったのだ、と遅れて気づいた。
見せる前に、ほんの一度だけこちらの顔色をうかがった。その小さなためらいが、堂々とした報告よりも胸に残った。
ルシアンは手帳の余白に、音を立てずに指先を置いた。
胸の奥で、確かな熱が燻っている。失敗を誤魔化さず、責任を部下に押しつけず、己の身を切って品質を守り抜く彼女の仕事を、どうしても守りたいと思った。
手元には、中間検収の日程を確かめるための書類がある。
彼女の損失を埋める項目を足すことはできない。だが、木工班の仕上がりが遅れ、せっかくの板を受け取れなくなる事態なら防げる。
ルシアンは家令を呼び、予定どおり三十一日目に検収できるよう、農園側の工程を確認させた。
用件を終えてから、借りた失敗片の包みを開く。
彼女が返してほしいと言う日までに、一度くらいは、答えを見ずに当てたいと思った。




