第32話 長い今 ――エルフの話
今日は、森の民の話をします。
エルフは、人間の何倍も長く生きます。第一話で、エルフの食べ物を人間が続けて食べると時間の感覚が薄れる、とお話ししました。エルフにとって、時は流れるものではありません。ひとつの、とても長い「今」なのです。
彼らの言葉も、私がこちらの言葉へ移しています。ただ、エルフの言葉には「昔」と「これから」にあたる言葉がないので、少し読みにくいかもしれません。
本文
一
エランは、人間の都に酒を届ける役目を、人間の数え方で二百年ほど続けている。
届ける酒は、人間たちが「エルフ年代酒」と呼んでありがたがっているものだ。中身は、森の者が毎晩飲んでいるただの葡萄酒である。エルフには、酒を寝かせるという考えがない。寝かせても寝かせなくても、酒は今ここにある酒だからだ。人間たちが喜ぶので、エランは訂正しないことにしている。
二
献上の帰り、エランは大綯い堂の前を通る。巨像を見上げるのが、エランの楽しみだった。
人間たちは、あの像を神だと言う。エランには、それが不思議でならない。エルフの言い伝えでは、神々とは、人間が急ぎすぎるあまり見てしまう幻のことだ。時をひとつの長い今として眺めていれば、始まりも終わりもない。始まりがなければ、世界を綯った母も要らない。
けれどエランは、この国の最初の王を知っている。
エランにとって、それは今のことだ。草原の端で、ひとりの若い一族の長が、歌い手たちに自分の名を教えこんでいる。名を歌に混ぜろ、どの歌にもだ、と。エランはそれを、木の上から眺めている。今も。
人間たちがその男を何と呼んでいるのか、エランは知っている。けれど、その名を口にしたことはない。口にすれば、名が強くなる。名が強くなれば、あの男はますますほどけなくなる。それがよいことなのか、エランにはわからなかった。
三
その年、エランは奇妙なことに気づいた。
今が、短くなっている。
エルフにとって、今はどこまでも続く一枚の長い布のようなものだ。端から端まで、いつでも見渡せる。ところがその布のところどころに、穴があいていた。そこにあったはずの何かが、見えない。思い出せないのではない。はじめからなかったように、抜け落ちているのだ。
森の長老に話すと、長老は長いあいだ黙ってから言った。
「誰かが、頁を破っているのだろう」
「頁?」
「人間たちは、帳面さまと呼んでいる。世界で起きたことを、全部書き留めている者だ。われわれは、あれを神とは思わない。ただの記憶だ。世界そのものの」
長老は、森の奥を見た。
「破られた頁に書かれていたことは、われわれの今からも消える。人間は気づかない。人間は、もともと忘れながら生きているからな」
四
帰り道、エランは都の北の外れを通った。川のそばの水車小屋から、石臼の音がしていた。
エランは足を止めた。ここにも、穴があった。水車小屋のまわりの今が、虫に食われた葉のように、あちこち抜け落ちていた。
エランは長いあいだ、その穴を見つめていた。それから森の者のやり方で、穴のひとつひとつに、小さく歌を置いた。エルフの歌には、昔もこれからもない。ただ、今ここにあるものを、今ここにあると歌うだけだ。
歌を置いても、穴はふさがらなかった。けれど穴の縁が、ほんの少しだけ、ほどけるのをやめた気がした。
エルフは、帳面さまを神とは呼びません。ただの記憶だ、と言います。いちばん正しい呼び方かもしれません。
頁が破られると、そこに書かれていたことは、エルフの長い今からも消えます。人間は気づきません。忘れながら生きているからです。
どの話の終わりにも、私は「帳面の頁が、また少し減りました」と書いてきました。そのわけを、次の話で少しだけ。
次は、綻びの日の話を。




