第29話 三つの名と隠し縄名
ここからは、神々の話をします。
味の話から始めて、武具、歌、英雄、薬、眠り、弔いと、ずいぶん長くお付き合いいただきました。どの話の底にも、こちらの人々が信じているものが、いつも流れていました。今日からは、その底の話です。
まずは、兵たちが信じているものから。兵の信心は、名前の形をしています。
【兵の信心】
◆三つの名
こちらの人間は、一生のうちに三つの名を持つ。生まれたときに親がつける幼名。初めて言霊縄を受け取る縄納めの日に、詠み司から授かる縄名。そして死んだあと、千年鍋の紐などに結ばれる送り名。
ふだん呼ばれるのは幼名で、大人になってもそのまま使う。縄名は国の帳簿に書かれ、本人の言霊縄と結びつけられる。縄名を他人に知られると、その人の縄から味を盗まれるので、兵は縄名を仲間にも教えない。教えるのは、命を預けた相手だけである。
◆隠し縄名
港町と下町の兵の多くは、縄名をもうひとつ持っている。縄納めの前の晩に、町の鍋守りがこっそりつける名で、国の帳簿には書かれない。千年鍋の湯気に当てながら授けられ、知っているのは本人と鍋守りだけだとされる。
帳簿に載っていない名は、帳簿から消すことができない。だから名消しの罰を受けても、隠し縄名を持つ者はすっかりはほどけない、と言われている。国教はこれを固く禁じているが、港町の兵の縄名を調べに来た役人は、たいてい港町の坂で道に迷う。
◆武運の読み上げ
出陣の朝、詠み司は兵の縄名を帳簿から一人ずつ読み上げ、王の名とともに武運を詠む。読み上げに使われた帳簿は、そのまま陣へ運ばれ、戦のあとには縄を回収するための帳簿になる。兵はそのことを、半ば知っていて、半ば知らないふりをしている。
◆「月が見ている」
死を恐れる仲間にかける兵の言葉。留め月が見ているかぎり、死んでも迷わない、という意味である。「留め月に誓って」と言って交わした約束を破った者は、死んだあと月の光の中に入れず、迷い霊になるとされる。
帳簿に書かれた名は、帳簿から消せます。帳簿に書かれていない名は、消せません。第十六話の子守歌と、少し似ていますね。
ガルドがどんな隠し縄名を持っていたのか、私は知っています。鯨のよだれ亭の帳場にいる、あの人も。
次は、町の人たちが拝む神の話を。




