第28話 空送り ――騎竜の民の話
今日は、王国の外の話をします。
これまでの話は、すべて人間の王国の人々の話でした。けれど、こちらの世界には、ほかにもさまざまな民が暮らしています。森のエルフ、山のドワーフ、砂漠の傭兵たち、そして草原の騎竜の民。弔いの仕方も、民ごとに違います。
笛吹きのセンが草原の天幕まで届けた最後の息を、覚えているでしょうか。あの息を受け取った女の名は、ヌルカといいます。今日は、彼女の側から。
騎竜の民の言葉は、いつものように私がこちらの言葉へ移しています。
一
夫のソルンの竜が草原に帰ってきたのは、峠の戦から五つの月が過ぎた、長日の月の夕方だった。
王国の笛吹きが抱えてきた袋から、夫の最後の息がこぼれたのと同じとき、竜は空の向こうから現れた。ヌルカの頭の上を三度回り、天幕のそばに降りて、それきり動かなくなった。背には、夫の鞍がついたままだった。
夫の最後の息は、たったひとこと、竜の名を呼んだだけだった。ツグリ、と。
その夜、ヌルカは言葉の通じない笛吹きに粥を食べさせ、別れ際に、ツグリの古い鱗を一枚渡した。「二度と、こんなものを運ばずにすむように」と言ったのだが、伝わったかどうかはわからない。
二
騎竜の民は、死んだ乗り手を土に埋めない。乗り手の竜が亡骸を背に乗せ、群れの巣がある崖の上まで運ぶ。亡骸はそこで風にさらされ、乗り手の覚えていたことは、少しずつ巣の卵へ吸いこまれていく。だから騎竜の民の子竜は、生まれたときから、祖先の飛んだ空の道を知っている。これを空送りという。
亡骸のない乗り手は、空送りができない。覚えていたことは卵に入れず、行き場をなくして、草原の風の中でほどけていく。
ヌルカは、ツグリの首に手を当てた。
「ソルンはどこ」
竜は答える代わりに、首を低くした。乗れ、ということだった。
三
ツグリは、峠へは向かわなかった。
王国の空に入ると、竜は雲の上まで高く昇った。王国の人間は、飛竜を見れば弓を引く。ツグリは夜だけを選んで、三晩飛び続けた。やがて眼下に、灯りの海が広がった。王国の都だった。
ツグリは都の北の外れ、川のそばの丘に降りた。丘の下に、大きな水車小屋があった。夜なのに、石臼の回る音がしていた。
ヌルカは丘の上から、それを見た。
黒い札をつけた荷車が、小屋の前に並んでいた。荷台から降ろされていくのは、人だった。王国の兵の外套を着た者もいれば、草原の革の胴着を着た者もいた。誰の手首にも、黒い札が結ばれていた。
ツグリが、喉の奥で低く鳴いた。
ヌルカにはわかった。この竜は峠の雪の上で、夫の亡骸のそばに何日も座っていたのだ。荷車が夫を運んでいくのを追って、ここまで飛んできたのだ。近づけないまま幾晩もここで過ごし、やがてあきらめて草原へ帰り、主の息が呼ぶ日を待っていたのだ。
四
ヌルカは、丘を降りなかった。降りれば、自分も荷車から降ろされる側になる。
夜が明けかけたころ、小屋の裏の土手を、何かが風に転がってくるのが見えた。誰かの手首からほどけ落ちた、黒い札だった。ヌルカは身を低くして土手を下り、それを拾った。
札の糸には、まだかすかに、月の光が残っていた。
「お前たちの王は」とヌルカは、ツグリの首に顔を押しつけて言った。「死んだ者を、食べるのか」
竜は答えなかった。
五
草原に戻ったヌルカは、ツグリの背に乗って、群れの巣の崖へ登った。
亡骸はない。手の中にあるのは、黒い札が一枚だけだった。誰の手首から落ちたのかもわからない。夫のものではないかもしれない。王国の兵のものかもしれない。
それでもヌルカは、札を巣の中に置いた。いちばん新しい、まだ温かい卵のそばに。
ツグリが卵の上に首を伸ばし、長いあいだ動かなかった。竜は、自分の覚えていることを卵に分け与える。乗り手の顔も、峠の雪も、荷車の轍も、水車小屋の石臼の音も。
この卵から生まれる竜は、生まれたときから、王国の都へ向かう空の道を知っているだろう。
ヌルカはそう思いながら、崖の上で、夜が明けきるのを待った。
騎竜の民は、いまも王国の兵を恐れ、憎んでいます。けれどこの夜から、ほんの何人かの乗り手は、王国の兵を少しだけ違う目で見るようになりました。同じ荷車に、同じ札で積まれていく者として。
センは鱗を渡されたとき、礼なのか、二度と来るなという意味なのか、わかりませんでした。答えは、どちらでもありませんでした。
ツグリのそばの卵がいつ孵るのかは、まだお話ししません。
弔いの話は、ここまでです。帳面の頁が、また少し減りました。もう、あまり残っていません。
次は、神々の話を。こちらの人々が信じているものと、信じていないものの話です。




