第24話 陣の朝夢
眠りの話の終わりに、ひとりの兵の話をします。夢をひとつ売った兵の話です。
一
ユタが夢を売ったのは、凍て潮の月の、弦の五日だった。
冬の陣に、都から夢買いが来た。毛皮の外套を着た男で、背中の箱には、小さな手鏡がぎっしり詰まっていた。夢買いは焚き火のそばに座り、兵をひとりずつ呼んでは、どんな夢を見るかを聞いた。
ユタの故郷は、南の海辺の塩田の村だった。夕暮れに、塩の山の向こうから母さんが自分を呼ぶ。手を振ると、母さんの手のひらが塩で白く光る。陣に来てから、ユタは何度もその夢を見ていた。
「いい夢だ」と夢買いは言った。「銀を三枚出そう」
三枚あれば、妹の嫁入りの支度が整う。故郷の家に、それだけの銀があったことは一度もなかった。
夢買いはユタの額に手鏡を当て、短い詞を唱えた。ひやりとしたが、それだけだった。鏡をのぞくと、夕暮れの塩田がほんの一瞬だけ映って、消えた。
二
その夜から、ユタは夢を見なくなった。
眠ってはいる。けれど朝起きると、夜がまるごと抜け落ちたように、何も残っていない。三日目の朝、ユタは母さんの声を思い出そうとして、思い出せないことに気づいた。顔は覚えている。けれど、自分を呼ぶ声が出てこない。
同じ天幕の古参兵のゴウが、ユタの顔を見て言った。
「売ったな」
ユタはうなずいた。ゴウは何も言わず、外套の襟を立てた。ゴウも昔、夢をひとつ売ったことがあるのだと、あとで聞いた。
三
七日目の夜、ユタに夢番が回ってきた。
夜の二つ目の番鐘で、ユタは前の見張りと額を合わせ、夢を受け取った。知らない山の夢だった。雪をかぶった杉の林と、炭焼きの煙。次の番鐘で、ユタはその夢を次の見張りに渡した。自分の夢を足すことは、できなかった。
明け方、陣を一周して戻ってきた夢は、その晩の最初の見張りが受け取る。その晩は、ユタが最初の見張りだった。
額を合わせたとき、ユタは息をのんだ。
夕暮れの塩田だった。
塩の山の向こうで、誰かが手を振っている。手のひらが白く光る。けれど塩田の向こうには、見たことのない雪の山がそびえていて、畦には知らない犬が寝そべっていた。手を振る人の顔は、母さんのようでもあり、誰か別の兵の母親のようでもあった。
声がした。ユタの名を呼ぶ声だった。
四
朝の点呼のあと、ユタはゴウにそのことを話した。
「当たり前だ」とゴウは言った。「お前の夢は、この冬、何度も陣を回った。おれも見た。あの塩の山はな、もうおれの夢の中にも半分住みついてる」
ゴウは焚き火に薪をくべた。
「夢買いが持っていったのは、お前ひとりの分だけだ。陣じゅうに散らばった分までは、鏡に入らん」
ユタはしばらく火を見ていた。それから聞いた。
「ゴウさんが売った夢は、どんな夢だったんですか」
ゴウは少し笑った。
「忘れた。売ったのは、夢番のない陣にいたころだったからな」
その夜、ユタは自分の寝床で、久しぶりに夢を見た。塩田と、雪の山と、知らない犬の夢だった。もうユタひとりの夢ではなかった。けれどユタは、その夢がいちばん好きだった。
夢は誰のものか。眠りの話を始めるときに、私はそう問いかけておくべきでした。答えは、ユタが先に見つけてしまいましたが。
大勢で少しずつ持っているものは、誰にも奪いきれません。子守歌と、同じことです。
ユタの売った夢は、その冬のうちに都で灰になり、香に練られました。どの扉の前で焚かれたかは、前の話でお話ししたとおりです。
眠りの話は、ここまでです。帳面の頁が、また少し減りました。
次は、弔いの話を。




