第10話 待ち歌と綱曳き歌
町の歌の話の前に、ひとつだけ。こちらでは、歌は名前を運びます。歌に織り込まれた名前は、歌われているあいだ、誰にも忘れられません。だから人々は、大切な名前を歌に隠して残します。
◆待ち歌
港町の女たちが、帰らない船や兵を待って夜更けに歌う歌。潮と帰り道の神、満ち引きへの祈りでもある。歌が届くかぎり、遠い海や戦場で迷う者には、帰り道が青白い筋になって見えるという。歌い手があきらめて歌をやめると、その道も消える。だから港町では、何年も同じ歌を歌い続ける女が珍しくない。
◆綱曳き歌
川船を岸から綱で曳く人夫たちの歌。掛け声が七人分そろうと、綱そのものが歌い出して、舟の重さが半分になる。一人で歌う舟歌がないのはそのためで、人夫が七人に足りない舟は、通りがかりの者に声だけ貸してもらう。
◆代読み屋
字の読めない家族に、手紙を読んで聞かせる商売。腕のいい代読み屋は、紙に指を当てるだけで書き手の声で読む。ただし他人の声で読みすぎた代読み屋は、やがて自分の声を忘れてしまう。年老いた代読み屋がいつも黙りこくっているのは、そのせいだと言われる。
◆誰のことかわからない子守歌
都の下町には、誰のことを歌っているのかわからない子守歌がある。「時をくれた人」のことだと母親たちは言うが、その人の名を尋ねても、歌の中でしか口にしない。
満ち引きの名前が出たので、少しだけ。この国の教えには、綯い母のほかにも神々がいます。満ち引きは、そのうちのひとりです。港町では、綯い母よりも満ち引きのほうが、ずっと身近な神です。
次は、宮廷の歌の話を。宮廷では、声を止めます。




