夜のフェリー
カブを船内へ固定してもらい、潤は客室へ上がった。
船が岸を離れる。
甲板へ出ると、神戸の灯りが少しずつ遠ざかっていった。
「ほんまに来たんやな」
誰に言うでもなく呟く。
京都から神戸まで走っただけでも、潤には十分な冒険だった。
そのうえ今、自分は夜の海の上にいる。
*
船内の公衆電話から家へ電話した。
『船乗れた?』
「乗れた」
『ご飯食べた?』
「食べた」
『酔ってない?』
「まだ」
母の質問に答えたあと、祖父に代わった。
『宇佐へ着いたら、昔のこと知ってそうな人に聞いてみ』
「分かってる」
『写真見せたら何か分かるかもしれん』
「うん」
『安心院も忘れるなよ』
「それ何回目や」
祖父が笑った。
*
里美にも電話した。
『海の上?』
「そう」
『すごいね』
「真っ暗やけどな」
『星見える?』
「あとで甲板出てみる」
『落ちないでよ』
「子供ちゃうぞ」
『潤だから言ってるの』
「どういう意味や」
また笑い声。
受話器を置く。
*
夜。
潤はライカを持って甲板へ出た。
海は黒かった。
遠くに船の灯り。
空には星。
風が強い。
手すりの近くに、一人の女が立っているように見えた。
長い髪。
いや。
三つ編みだったかもしれない。
潤が目を凝らした瞬間、船が揺れた。
もう一度見る。
そこには誰もいなかった。
「……?」
ライカを向ける。
暗すぎる。
写るはずもないと思いながら、シャッターを切った。
――カシャ。
*
その夜、夢を見た。
古い町。
見たことのない飛行場。
白い雲。
若い男が飛行服姿で立っている。
昭吾朗だ。
その少し離れたところに、三つ編みの少女。
アルバムの女学生。
少女がこちらを見る。
何か言った。
けれど聞こえない。
次の瞬間、飛行機の爆音で全部が消えた。
*
目を覚ますと、窓の外が白み始めていた。
船はまだ海の上を進んでいる。
潤は甲板へ出た。
東の空が明るい。
前方に陸地が見える。
「九州……」
初めて見る土地だった。
胸元のライカに触れる。
宇佐は、もう遠くなかった。




