国道を走る
神戸へ向かう道は、地図で見るよりずっと長かった。
日が高くなるにつれ、夏の熱気が道路から立ち上がってくる。潤のカブは速くはない。それでも、小さなエンジンは一定の音を刻みながら西へ進んだ。
大型トラックに追い越されるたび、車体が風に押される。
「うわっ」
思わずハンドルを握り直す。
家を出たときには涼しかった空気も、もうすっかり熱くなっていた。信号で止まるたび、ヘルメットの中に汗が流れる。
それでも不思議と嫌ではなかった。
京都が遠くなる。
自分一人で、知らない土地へ向かっている。
それだけで胸が少し弾んだ。
*
昼前、道路脇の小さな食堂で休んだ。
カブを日陰へ停め、祖母が持たせてくれた握り飯を食べる。
梅干しがやけにうまかった。
店先の公衆電話が目に入る。
まだ神戸にも着いていないのに電話するのも変だと思ったが、母と里美の顔が浮かんだ。
十円玉を入れる。
『はい、榊原です』
「俺」
『潤? 今どこ?』
「まだ途中」
『事故してない?』
「してへん」
『ちゃんと休んでる?』
「今、握り飯食ってる」
母の質問が続く。
その後ろから祖母の声まで聞こえた。
『里美ちゃんにも電話したげ』
「何で?」
『朝から気にしてるで』
「分かった分かった」
受話器を置き、もう一度十円玉を入れた。
*
『もしもし』
「俺」
『潤!』
声が大きい。
「耳痛い」
『今どこ?』
「神戸の手前」
『無事?』
「無事やから電話してる」
『カブは?』
「元気」
『潤は?』
「カブよりちょっと疲れた」
里美が笑った。
『ちゃんと帰ってきてね』
「まだ着いてもないのに帰りの話すんな」
『だって』
「大丈夫や」
『……うん』
少し間があった。
『写真、撮ってる?』
「ぼちぼち」
『女の子ばっかり撮らないでよ』
「撮るか」
『どうだか』
電話を切ったあと、潤は笑った。
里美の声を聞いただけで、京都が急に近くなった気がした。
*
午後、道を一本間違えた。
気づいたときには見覚えのない町へ入っていた。
「どこや、ここ」
地図を広げる。
道路の番号と目の前の標識が合わない。
しばらく悩んだ末、ガソリンスタンドで道を聞いた。
「神戸港?」
「はい」
「反対やで」
「えっ」
店員が笑う。
「だいぶ戻らなあかんな」
「ほんまですか」
「旅はそういうもんや」
潤は肩を落とした。
だが、戻るしかない。
カブの向きを変える。
*
夕方近く、ようやく神戸の港が見えた。
海。
大きな船。
倉庫。
京都とはまるで違う景色だった。
「着いた……」
潤はカブを停めた。
首からライカを外す。
フェリーと、その前に停めた自分のカブをファインダーに入れた。
――カシャ。
シャッターを切る。
その瞬間。
背後に誰かが立ったような気がした。
振り返る。
誰もいない。
「……気のせいか」
港には人がいる。
車もいる。
船員の声も聞こえる。
なのに一瞬だけ、ひどく静かになったように感じた。
潤はライカを胸元へ戻した。
これから海を渡る。
その先に宇佐がある。
昭吾朗がいた土地がある。
潤はカブを押し、フェリー乗り場へ向かった。




