誰?
「典子さん!」
潤は何度も呼んだ。
返事はない。
さっきまで確かにいた。
抱きしめられた。
手を握られた。
なのに。
「潤」
里美の声が震えている。
「私、潤しか見えなかった」
「何言うてんねん」
「ずっと一人だった」
「そんなわけ――」
「D大に電話した」
潤が止まる。
「徳田典子なんて学生はいなかった」
「……」
「安心院にも電話した」
「里美」
「そんなバイトはいなかったって」
風が吹いた。
里美は潤を見た。
「私には最初から……誰も見えなかった」
*
里美は、今日見たものを話した。
潤が一人で誰かと話していたこと。
一人で立ち止まり、
誰かに抱かれているような姿勢になったこと。
何もない空間へ手を伸ばし、
そのまま崖へ向かったこと。
「俺、頭おかしなったん?」
「違う」
「でも俺は見た」
「うん」
「話した」
「うん」
「典子さん、昭吾朗大叔父のこと知ってた」
潤は息を整えた。
「『優しかった』って。『帰ってくるって約束してくれた』って」
里美の顔が変わる。
「それ……」
「孝子さんみたいやった」
*
二人はその場を離れることにした。
歩きながら里美が言う。
「潤のカブ、動かなかったでしょ」
「うん」
「私がキックしたら一発でかかった」
「え?」
「二回やって二回とも」
潤は黙る。
「それで声がしたの」
「声?」
「『孫を助けろ』って」
その瞬間。
風の中から若い男の声がした。
『兄貴じゃない』
二人が立ち止まる。
『俺だよ』
潤の背中が震えた。
そして。
『孝子は――こっちで幸せにする』
声は消えた。
「……昭吾朗大叔父?」
返事はなかった。
*
「もしかして」
里美が言う。
「潤のカブが動かなかったのも」
「行かせんため?」
「それで私には動いた」
「追いかけさせるため」
二人は顔を見合わせた。
説明はできない。
でも、
それ以外の答えが思いつかなかった。
*
「里美」
「何」
「助かった」
「うん」
「ごめん」
「許さない」
「……」
しばらく歩く。
「どうしたら許してくれる?」
里美は前を向いたまま言った。
「愛してるって言ってくれなきゃ許さない」
潤は固まった。
「ここで?」
「今」
「……愛してるよ」
里美の顔が真っ赤になる。
「じゃあ、半分許す」
「半分かい」
二人は笑った。
もう、
典子の姿はどこにもなかった。
二台を押しながら、
二人はゆっくり渡月橋の方へ歩いていった。




