孝ちゃん
夕食のあと、潤は宿の外へ出た。
安心院の夜は早い。
町の灯りは少なく、空が広かった。
典子が後ろからついてきた。
「散歩?」
「ちょっとだけ」
「私も行こうかな」
二人で歩く。
*
「大学生なんですよね」
「うん。一年」
「どこです?」
「D大学」
「京都?」
「そう」
「じゃあ、今は帰省?」
典子は少し笑った。
「そんなところ」
また曖昧な答え。
けれど潤は深く考えなかった。
*
橋の近くで、潤はライカを取り出した。
「写真撮っていいですか」
「私を?」
「嫌ならいいです」
「いいよ」
典子が欄干のそばへ立つ。
ファインダーを覗く。
潤の指が止まった。
どこかで見た。
「どうしたの?」
「いや……」
シャッターを切る。
――カシャ。
ライカを下ろして、典子の顔を見る。
三つ編みではない。
服装も違う。
年齢も違う。
なのに。
「徳田さん」
「何?」
「誰かに似てるって言われません?」
「誰に?」
「……ちょっと待って」
*
宿へ戻り、潤は封筒から写真を出した。
昭吾朗と孝子。
典子へ見せる。
「この人」
典子の顔から笑みが消えた。
「誰?」
「孝子さん。戦争中、この辺にいた人」
「……へえ」
「似てません?」
典子は写真を見つめる。
「そうかな」
「めちゃくちゃ似てます」
「昔の人なんでしょ」
「昭吾朗大叔父の恋人だったみたいです」
「恋人」
典子がその言葉を小さく繰り返した。
*
潤は宇佐で聞いた話をした。
昭吾朗が沖縄で死んだこと。
孝子が泣いていたこと。
その後、空襲で亡くなったこと。
典子は黙って聞いていた。
「かわいそうですね」
潤が言う。
「そうだね」
典子は写真から目を離さなかった。
「ずっと待ってたんだろうね」
その言い方が妙に胸に残った。
*
その夜、潤はまた夢を見た。
孝子が立っている。
こちらを見る。
顔が少しずつ変わる。
典子になる。
『潤君』
目を覚ました。
暗い部屋。
外で虫が鳴いている。
*
翌朝。
出発の準備をしていると、典子が来た。
「もう帰るの?」
「別府まで戻って、夜の船です」
「そう」
「大学始まったら京都ですよね」
「うん」
「じゃあ、またどこかで会うかもしれませんね」
典子は潤を見る。
「また会える?」
「え?」
「京都で」
「まあ、大学が京都なら」
「電話番号、教えて」
潤は少し迷ってから、自宅の番号を書いた。
「家の電話ですけど」
「ありがとう」
典子は紙を大事そうに折った。
「じゃあね、潤君」
「はい」
カブを走らせる。
ミラーを見る。
典子が立っている。
いつまでも、
こちらを見ていた。




