05 無能戦士、虫には通じない
日が傾いてきた。
西の空が赤く染まり、太陽が山々の向こうへ沈もうとしている。
「この辺りで野営にしようか」
「分かりました。では、野営に適した場所を探しましょう」
俺たちは街道から少し外れ、森の中にある開けた場所へ陣取ることにした。
荷物を下ろす。
するとオルフィナは枯れ枝を集め、手際よく焚き火の準備を始めた。
「手慣れているな」
「ええ」
オルフィナが少し得意げに胸を張る。
「わたくし、なぜか、よく野営する羽目になるんです」
「なるほど」
俺は深くうなずいた。
◇
夕食は、携帯していた干し肉と野菜を煮込んだ簡単なスープにした。
「おいしいですねえ」
「ああ」
「お外でいただくと、どうしてこんなにおいしく感じるのでしょう」
オルフィナは幸せそうにスープを口へ運んでいる。
俺は焚き火へ小枝を一本放り込んだ。
ぱちっ。
小さく火の粉が舞う。
いつの間にか日は完全に沈み、頭上には満天の星が広がっていた。
「…………」
この光景には覚えがある。
ふと、《疾風の刃》の仲間たちと過ごした夜を思い出した。
アイリスが焚き火で肉を真っ黒に焦がしたことがあった。
モルゾフは「炭じゃねえか」と文句を言いながら、それでも全部食べた。
アルフレットは酒を飲みながら、腹を抱えて笑っていた。
俺も笑った。
あの半年間は――。
楽しかったな。
肩を並べて夜空を見上げたアイリスの横顔が、ふと脳裏に浮かんだ。
少しだけ、胸の奥が寂しくなる。
「ふぅー。おいしかったです」
隣から満足そうな声が聞こえた。
見ると、オルフィナが空になった器を両手で抱え、幸せそうに笑っている。
「…………」
「どうしました?」
「いや」
俺は首を振った。
こうして誰かと焚き火を囲むのも、悪くない。
そんなことを思った。
◇
夜も更けた。
俺たちは毛布にくるまって休むことにした。
とはいえ、ここは森の中だ。
魔物や野生動物が来ないとも限らない。
「俺が見張っている。オルフィナは寝てくれ」
「まあ」
オルフィナが口元に手を当てる。
「眠くなったら、お姉さんの肩にもたれかかってもよいのですよ?」
「大丈夫だ」
「遠慮しなくてもいいのですよ?」
「大丈夫だ」
「そうですか」
俺は大剣を傍らに置き、木の幹へ背中を預けた。
オルフィナもその隣で毛布にくるまる。
しばらくして――。
こてん。
「…………」
俺の腕に何かが乗った。
見る。
オルフィナだった。
「すぅ……すぅ……」
俺の腕にもたれかかり、気持ちよさそうに眠っている。
「…………」
さっきと言ってることが逆じゃないか。
俺は小さくため息をついた。
それにしても。
よくもまあ、今日会ったばかりの男の隣で、こんなに無防備に眠れるものだ。
よほど腕に自信があるのか。
それとも――。
俺なら何もしないと思われているのか。
「…………」
まあ。
おそらく両方だろう。
俺はもう一度、小さくため息をついた。
オルフィナはそんなことも知らず、俺の腕にもたれたまま、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
◇
朝日の光で、俺は目を覚ました。
「…………朝か」
明け方までは見張っていたのだが、その後、少し眠ってしまったらしい。
見ると、俺の身体にはきっちりと毛布が掛けられていた。
オルフィナの姿はない。
「オルフィナ?」
俺は辺りを見回す。
そして、広場の端に彼女を見つけた。
オルフィナは朝日に向かって膝をつき、静かに祈りを捧げていた。
木々の隙間から差し込む朝の光が、白い神官服を照らしている。
風が吹く。
長い髪が、わずかに揺れた。
「…………」
綺麗だ。
そう思った。
俺は荷物の中から紙と鉛筆を取り出した。
木にもたれかけ、鉛筆を走らせる。
紙の上に線が増えていく。
木々。
朝の光。
静かに祈りを捧げる神官。
白い紙の上に、まるで天使のようなオルフィナの姿が浮かび上がっていった。
どれくらい経っただろう。
十分ほどだろうか。
「ガルド?」
「ん?」
顔を上げる。
祈りを終えたオルフィナが、いつの間にか俺の隣に立っていた。
「おはようございます。何をしているのですか?」
「絵を描いていた」
「絵?」
オルフィナが俺の手元を覗き込む。
そして――。
「…………」
黙った。
「どうした?」
「これ……」
オルフィナが紙を凝視する。
「わたくし、ですか?」
「ああ」
「これを、ガルドが?」
「ああ」
「…………」
オルフィナは食い入るように絵を見つめている。
「すごい……」
「そうか?」
「すごいです。まるで、そこにもう一人のわたくしがいるみたい……」
大げさだな。
俺は最後に少しだけ鉛筆を走らせ、仕上げを済ませた。
「よかったら、もらってくれ」
「えっ」
紙を差し出す。
「いいんですか?」
「ああ」
オルフィナは両手で大事そうに受け取った。
「ありがとうございます!」
ぱっと表情が明るくなる。
「すごく嬉しいです。宝物にしますね」
「そこまで喜んでもらえるなら、描いた甲斐があったよ」
「それにしても、ガルド。こんなに絵がお上手だったなんて」
「お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞ではありません!」
オルフィナが珍しく強い口調で否定した。
「そうか」
俺は照れくさくなって、頭を掻いた。
昔から絵を描くのは好きだった。
それだけだ。
◇
軽く朝食を済ませ、俺たちは再び街道を歩き始めた。
今日も空は晴れている。
俺はオルフィナの手を引いて歩く。
昨日よりも自然に感じる。
俺が慣れてきたのか。
それとも、オルフィナが慣れたのか。
今日中には、街道沿いの宿場町へ到着できるはずだ。
この手を離さなければ、だがな。
◇
しばらく進むと、街道は鬱蒼とした森の中へ入っていった。
昼間だというのに薄暗い。
この辺りでは、魔物や山賊が出ることもあるらしい。
俺は周囲に注意しながら歩く。
ガサゴソ。
「ん?」
茂みが揺れた。
のっそり。
大きな熊が姿を現した。
「ひえっ」
オルフィナが短い悲鳴を上げ、杖を構える。
「下がっていろ」
俺はオルフィナの前へ出た。
大剣を抜く。
熊と向き合う。
「…………」
「…………」
熊が俺を見る。
俺も熊を見る。
しばらく、にらみ合った。
やがて――。
「…………」
熊が一歩後ろへ下がった。
くるり。
そして、そのまま森の奥へ走り去っていった。
「ふぅー」
背後でオルフィナが胸を撫で下ろす。
「肝を冷やしました」
「ああ」
「さすがですね、ガルド」
「…………」
こういうことは、昔からよくあった。
旅の途中で魔物や賊と出くわす。
俺が大剣を構える。
すると、なぜか向こうから引き下がってくれるのだ。
俺の見掛け倒しは、どうやら超一流らしい。
なので最近では、道中で何かが現れても、それほど慌てなくなった。
「頼りになりますねえ」
オルフィナが感心したように俺を見上げる。
「…………」
俺の本当の実力を知ったら、どんな顔をするのだろう。
そんなことを考えながら、再び歩き出した。
ところが――。
ガサゴソ。
「またか?」
前方の茂みが激しく揺れる。
何かが飛び出してきた。
「ひえっ!」
再びオルフィナが悲鳴を上げる。
現れたのは巨大な芋虫だった。
先日、エルム村で採取した大芋虫とは比べものにならない。
体長は二メートル近く。
丸太のように太い身体をくねらせながら、こちらへ近づいてくる。
芋虫ロード。
立派な魔物だ。
「ガ、ガルド!」
「ああ」
俺はオルフィナの前へ出る。
大剣を構えた。
「…………」
芋虫ロードを見る。
芋虫ロードも俺を見る。
たぶん。
「…………」
来るな。
来るな。
来るな。
俺は心の中で念じた。
芋虫ロードが身体を大きく反らした。
次の瞬間。
ものすごい勢いで突っ込んできた。
「やっぱり駄目か!」
残念ながら。
俺の威嚇は、虫には効かない。
威嚇が効かないとなれば、戦うしかない。
そして戦うとなると――。
困ったことに、俺はめっぽう弱い。




